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ローマのスタジアム計画はなぜ突如終焉を迎えたのか?

ローマはスタジアム計画を捨てる

ローマに外国資本が入り丁度10年が経とうとしていた2021年2月25日、ローマは取締役会でトル・ディ・ヴァッレ地区競馬場跡地への新スタジアム建設から撤退することを決定した。このニュースにデ・ロッシも悔しさを滲ませた。

デ・ロッシ「トリノではユヴェントスが手早くスタジアムを完成させ、その後クラブの成長に大きく作用した。俺はローマの新スタジアム計画に関するプレゼンテーションに、センシ期とパロッタ期で計2回出席していて、当時は今頃どちらの計画も完成していると思っていた。結局、物置きに建築模型だけが残された。非常に残念な話だ。本当ならイタリアサッカー全体を盛り上げるための大きな一歩になるかも知れなったのに、その一歩が踏み出せなかったのは悔やまれるね」

そもそも何故ここまで計画は遅々として進まなかったのか、何故ローマの新スタジアム建設計画は破棄に至ったのか、今後収支面で他国のサッカークラブと対抗していくためにフリードキンはこの問題をどう対処していくのか、今回のnote版ローマ速報は、永久に辿り着くことのできなかったぼくたちのスタジアムにまつわるあらゆる話を書いて行こう。

先に申し上げておきたいのは、i)『計画が遅々として進まなかった背景』ii)『新スタジアム計画が破棄に至った背景』は別の問題であり、分けて考えるべき内容だということ。時系列を追って説明する為にまずはi)について述べさせて頂く。

i)『計画が遅々として進まなかった背景』

先に結論を述べておくと、計画がここまで形にならなかったのは主にラツィオ州とローマ市における政治・行政的な要因が大きい。「なんでまたそんなことで…これだからイタリアは…」と思う方もいらっしゃるかも知れないが、ローマ市は言ってみれば東京都のようなもので、地方政治の枠を超えて全国民の関心事にもなり得る。東京都でも未だに築地市場の豊洲への移転問題が何一つ解決されず、こちらも同様に政治的な問題であったように、首都の都市開発というものはややこしいものだ。

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