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パウロ・フォンセカの流儀~ポルトガル人はどのようにしてセリエAを指揮する様になったのか?

この記事のおすすめポイント
☑イタリアメディアに対してではなく、同じポルトガル人監督仲間からの質問にフォンセカ監督が答えるというレアな座談会の模様を収録しています。
☑ローマの隠れたもうひとつの伝統を知る事ができます。
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ローマもうひとつの系譜

2018-19シーズンの冬にエウゼビオ・ディフランチェスコが失速すると、ローマは古典的カルチョマナーの体現者、クラウディオ・ラニエリを呼び戻し、ひとまずはヨーロッパリーグ出場という最低限の体裁を保つことに成功した。その夏、ラニエリが去った後、アントニオ・コンテ、ロベルト・デゼルビといったイタリア人監督に白羽の矢が立つも、ジャンルカ・ペトラーキSDは、モダンロジックの信奉者、ポルトガル人監督のパウロ・フォンセカにチームを任せる決断をした。

これは二つの理由から正しいだろう。ひとつは、ディフランチェスコとフォンセカはとても似たスタイルを標榜していた為、ディフランチェスコの下で指導を受けた選手たちならば、フォンセカのメソッドを容易に習得できるかもしれないという観点。そして、もうひとつは、この10年のセリエAで、ローマはセリエAで最も多くの外国人監督を招へいしたクラブだからだ。(注:途中就任などの緊急起用は除外する)

バンディエラ、プリマヴェーラと地元出身の選手を多数輩出するローマだが、実は外国人監督はローマのもうひとつの隠れた伝統と言えるだろう。なぜ外国人を呼ぶのか、その理由を如月なりに解釈すると、ローマは過去20年間、常にファンやメディアによって4度目のスクデット獲得を義務付けられたクラブではあったが、限られた予算の中でスクデットレースに参加するためのワールドクラスのスター選手を揃えることは難しかった。そのような制限下で、資金力のあるビッグクラブに対抗していく手段として、ドラスティックな戦術導入を目指したと思われる。スター選手を各ポジションに揃える資金がなければ、有能な監督一人にコストを掛ければよいというわけだ。イタリアではまだ浸透していない諸外国のサッカー理論を導入するという飛躍しているようでリアリスティックな発想はおそらくワルテル・サバティーニ辺りの着想かもしれない。

2011年に後にバルセロナで大成功を収めるルイス・エンリケにチームを任せて失速。翌シーズンにゼーマンで再度沈降。そして、永遠に忘れることのできない夢のような2013-14シーズン、リュディ・ガルシア先生でローマは再び順位表の上位に留まる強豪として返り咲いたのである。しかし、忘れてはいけないのは、2011年以前のセンシファミリーのローマでも、ルチアーノ・スパレッティのゼロトップといった、ある意味飛び道具的な発明で戦う素地があったということだ。

むしろ過去20年のローマ史で、重心を下げた守備ありきのイタリア的な監督は、前述のサー・クラウディオ・ラニエリしかいないという事実を忘れてはいけない。スクデットやヨーロッパから遠ざかった時代でも、ローマは常に新しい着想のチームを用意してきた。王道が駄目なら別の方法で頂を目指す、これがローマなのである。

そして、ポルトガルの戦術家パウロ・フォンセカの到着でその伝統は再び花開いた。彼は2015-16シーズンにブラガ(ELで次にローマが戦うクラブでもある)でタッサ・デ・ポルトガル(ポルトガルカップ)を制し、翌シーズンウクライナの強豪シャフタールドネツクで指揮を執ると、その3シーズンで3度のリーグ優勝を含む合計6つのタイトルを手にした。2017-18のチャンピオンズリーグで、彼のシャフタールに苦しめられたことを我々は忘れていない。

フォンセカ公式戦データ

参考資料として、2020年12月20日現在のフォンセカ監督の公式戦のデータをまとめたので記しておく。驚くなかれ、彼はここまでの66試合で勝率54.5%という高い結果を出し、ポイント奪取率は75.7%と、ほとんど試合でローマにポイントをもたらしているのだ。イタリア初挑戦でここまでの成績を残すことは容易ではない。*表のシステム表記に一部間違いがあるが全体のデータに影響はないのでそのままにしています。

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