見出し画像

来訪者

illustrated by スミタ2024 @good_god_gold

 窓から見える地球に目をやったシュンヤは心の中で大きな溜息をついた。ここへ来てから三か月あまり。そろそろ地球が恋しくなっていた。ともすれば、ぼうっと地球を眺めている自分に気がつき、慌てて目の前の仕事に集中し直す日々が続いている。夜もなかなか眠れず食も細くなっていた。ホームシックだとわかっているものの、口には出さなかった。弱音は禁物なのだ。

 ふいに外装パネルから軽い音が船内に伝わり、管制室にいた乗組員たちは互いにチラリと目を合わせたが、特に慌てる様子はなかった。彗星から放出された流星体か廃棄された人工衛星の欠片がぶつかったのだろう。特殊な吸音処理の施された船内にまで音が届いたからには、それなりの衝撃があったに違いないが、それでもこの宇宙船の航行に影響を与えるものではなさそうだった。
 ガンガン。
 こんどははっきりと衝撃音が聞こえた。
 操縦席のデンが姿勢を正す。
 ガンガン。
 また聞こえた。音は一定のリズムで繰り返されている。どうやら単純に何かがぶつかったわけではない。
 デンが首を回し、モニターを指差した。シュンヤがすかさずコンソールパネルを操作し、メインモニターに船体質量を表示させる。
「もしかして増えているのか?」
「ええ、これを見て」
 航宙員のチサがグラフを映し出すと乗組員の間に一斉に緊張が走った。グラフは船体質量に急激な変化が起きたことを示している。流星体がぶつかっただけでは宇宙船の質量が増えることはない。あきらかに船体に何かが付着しているのだ。異物が付着した場所によっては航行に支障を来す可能性もある。
 ガンガン。
 またしても衝撃音が響いた。さっきよりも音が大きくなっている。
「進路はそのまま出力をゼロに。慣性航行に移行する」
 船長が指示を出した。
「了解。慣性航行へ移行」
「警報を」
 シュンヤはコンソールのスイッチガードを親指で跳ね上げると、そのまま赤いボタンを押し込んだ。宇宙船の中に甲高い警告音が鳴り響く中、船長のアナウンスが各自のインナースピーカーを通じて直接耳に届く。
「現在、船体に何らかの物質が付着しているため、排除するまでは慣性航行に」
 船長はそこで言葉を止めた。チサを見やる。
「どうしたんだ?」
「あれを」
 チサがグラフの横に表示された質量分析数値を指差している。
 炭素、水素、酸素、窒素、水。
「まさか有機化合物なのか」
 船長が息を飲んだ。
「つまり?」
「生物ってこと」
 デンの質問に通信士のフカイが淡々と応じる。
 船長がマイクを握りアナウンスを再開した。
「おそらく船体に付着しているのは生命体だと思われる。正体がわかるまではランクAの警戒態勢を維持する」
 ガンガン。
「船長」
 船内通信用の小さなモニタに顔が表れた。機関員のリオだ。
「なんだ」
「どうやら生命体はメインハッチの外にいるようです」
 そう言ってリオが指差した先にはエアロックが映っていた。その向こう側にはメインハッチがある。
 ガンガンガン。
「もしかして、あれってハッチをノックしているんじゃないですか?」
 リオが真顔で言った。
「映像はどうなっている?」
「すみません。ハッチ周りのカメラは修理のために取り外しています」
 チサが首を振る。
「光速航行に入るまでに直す予定だったので」
「ふむ」
 船長はゆっくりと腕を組み、何か考え始めた。
 デンがすっと操縦席から立ち上がる。
「見てきますよ」
 軽い声でそう言って管制室の入り口を指差す。
 ガンガンガン。
「俺も行く」
 シュンヤも立ち上がった。
「待て。危険だ」
 船長が鋭い声を出した。
「正体不明の生命体がこのままハッチを叩き続けるほうが危険です」
「外装を破るんじゃなく、ちゃんとハッチから入ろうとしているんだ。おそらく知的生命体ですよ」
 船長が組んでいた腕を静かに解いた。
「よしわかった。だが、くれぐれも気をつけるんだぞ」
「もちろんです。ハッチを開けて生命体の正体を確かめるだけですよ」
 デンが頷く。
「エアロックを二重モードにすれば、強引に入ろうとしても最初のエアロックで防げます」
 シュンヤが続けた。

 ガンガンガン。
 相変わらずハッチの外から衝撃音が聞こえていた。
 宇宙服に身を固めたデンとシュンヤがエアロック内へ進むと、重厚な機械音と共に扉がゆっくりと閉まり、中の気圧が下がり始めた。同時にエアロック内の照明も暗くなっていく。二人はヘルメットのヘッドランプを点灯させ、互いの装備を再確認する。
 二人はヘルメット越しに顔を見合わせて頷き、仕切られたエアロックの第二エリアへと進んだ。高密度ポリマーの隔離壁が音も無く閉じ、やがてエアロック内は真空になった。照明は完全に消え、暗闇の中で筋状に伸びたヘッドランプの明かりだけがお互いの姿を照らしている。通信機を通じて互いの呼吸音が聞こえていた。
「ハッチを開けます」
 通信機を通して船長に伝えた。
「気をつけろ」
 腕を前へ大きく伸ばして白いカーボン製グローブの親指を立てる。管制室ではヘルメットカメラの映像を見ているはずだった。
 シュンヤがスイッチガードを外し、開閉ボタンを押した。
 滑らかな動きでハッチが外側へ押し出され、そのまま横へスライドした。
 デンがゆっくりと宇宙空間へ身を乗り出した瞬間、シュンヤにはデンの身体がふわりと浮いたように見えた。
「うわああ」
 凄まじい勢いで外から突き飛ばされたデンがエアロックの中へ転がった。壁にぶつかって身体を丸くする。かなりの衝撃を受けたようだ。
「どうした?」
 船長の甲高い声がシュンヤの頭の中に鳴り響いた。

ここから先は

2,782字
この記事のみ ¥ 120

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?