三百の罵倒

 三ヶ月に一度ほどのペースで寄稿しているタウン誌向けの短いコラムをようやく書き終えたあと、丸古まるこ三千男みちおは書斎から応接間に移ってソファに深々と腰を下ろした。住み込み秘書の渡師わたし菱代ひしよが黙ったままアイスコーヒーを目の前に置く。
「今日はまだ予定はあるのかね?」
 渡師が勿体ぶって大きな手帳を開き、何かを口にしようとしたところで、青矢凪あおやなぎ亮子りょうこが何の前触れもなく応接間にふわりと現れた。老舗の出版社、右往左往社の編集者である。
「あ、どうもー」青矢凪は二人に向かって胸の前で両手をバタバタと左右に振った。今日もいつもと同じように青色のゆったりとした服を着ている。
「ええっと」渡師が驚いた顔で青矢凪を見ているから、おそらく約束はしていないのだなと丸古は感じ取った。
「お久しぶりです、丸古先生。じつは来年の後半に新刊が出ますのでよろしくお願いします」
 そう言いながら青矢凪は軽やかな足取りで応接間の中央へ進み、丸古の向かい側に座ると、傍らに大きなトートバッグを置いた。何が入っているのかはわからないが、近ごろの編集者は誰も彼もがトートバッグを持っているようだ。
「ふむ。帯文の依頼か。まあ、いいだろう。誰の新刊だ? 新人かね?」
 既に老齢の域に達しつつある丸古は、若い作家たちをできるだけ後押ししているが、それは売れたときに「あれは前々から私が推していたのだ。どうだ、やはり私には見る目があるだろう」と自慢するためである。
 数年前までは、若手の作家たちに妙な嫉妬心を燃やし、若い芽を早々に摘み取ろうとあれこれ画策していたのだが、時代の流れには逆らえないと悟り、今は幅広く早めに手をつけて褒める方針を採っていた。こうして目利きぶりをアピールしておけば、何かしらの文学賞の選考委員に転がり込めるかもしれぬという目算あってのことだ。
「えー、なに言ってるんですか。先生の新刊に決まってますよ」
「ちょっと待ちなさい。そんな話は聞いてないぞ」丸古は思わずソファから腰を浮かし、渡師に顔を向けた。

ここから先は

4,464字
この記事のみ ¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?