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父親5年目になったので、ちょっと記録させてください。

子どもが5歳になりまして。
ということは、僕も父親になってから5年が経つということである。
すごいことだ。5年もこんなことやってんのか。

僕は父親である。
妻と共働きしている。
5歳と3歳の子どもがいる。
彼らは日中、保育園に通っている。


「子どもが保育園に通っている」という文言にどれだけの情報が含まれているか、子どもができるまで考えたことがなかった。

「子どもが保育園に通っている」ということは、
朝、まだまだ寝足りない子どもをなんとか起こし、
自分の身支度と並行して子どもに朝食を食べさせ、着替えさせ、
まだまだ家で遊びたい子どもをどうにか保育園まで送り届け、
花やら車やら彼らの友だちに捕まって身動きが取れなくなりながらも先生に引き渡し、
そこまでで十分に時間がオーバーしているので職場にギリギリに滑り込み、
仕事は可能な限り定時で終わらせ、保育園に迎えに行き、
「コンビニ行きたい」「お菓子買いたい」とピーピー言うやつらを受け流したり流しきれなかったりしながら家に帰り、
帰ったからには遊びたいやつらになんとか夕飯を食べさせ、
保育園で使った汚れ物やら水筒やらを片付け、
翌日のお手拭きとか巾着とかを準備し、
遊びたがるやつらをなんとかお風呂に入れ、遊びたがるやつらをどうにか捕まえて歯磨きをし、
いよいよ遊びたがるやつらを、どうにかこうにか翌日に支障がない時間までに寝付かせることである。
これを、平日は毎日。

やってらんなくない?こんなこと。
5年やったからって、とても看過できるものではない。
そういう、「やってらんなくない?」が、子育てには無限に含まれている。

一例として。
トイレトレーニングという言葉がある。
子どもがトイレで用を足せるように、便意や尿意を認識させ、トイレに座り、踏ん張り、後始末をして、をトレーニングする工程である。トレーニングパンツという、オムツよりも出してしまったときに不快感があるものを履かせて慣らしましょう、というのが一般的。
そもそも子どもはこれまでオムツで用を足しているので、
「なぜ今やっている遊びを中断してまでトイレに行かねばならぬのだ。オムツならここでこのまま出せるであろう」と考えている。たぶん。
なので、その場でやる。やるとどうなるか。
オムツなら捨てればいいけど、パンツは洗わなければならない。
誰が洗うのか。親ですね。

トイレの水でモノを極力流し、ウタマロ石鹸で洗い、オキシクリーンに漬けることで、モノの色や臭いをほぼ落とすことができます。
心を無にしながら。
これを毎日、時によっては1日4回ぐらい。
なんなら、この「ウンチが付いたパンツを脱がせて拭き取って新しいパンツを履かせる」工程自体も彼らの遊びを中断しなければならないので、めっちゃ嫌がる。逃げる。隠す。
なので、ウンチの臭いをぶら下げた子どもが家中駆け回ることになり、なんかもうえらいことです。
やってらんなくない?こんなこと。

僕はこれまで、仕事(理学療法士)と趣味(遊戯王)で自己を確立していたように思う。
子育てが入ってきたことで、その状況が一変した。

仕事は、出勤も退勤も時間がギリギリで、そこに間に合わせるために業務時間内も余裕がなく、+αの仕事は十分にこなせず、子どもが熱出して急に休んで周囲に迷惑をかけ、そういう事情で仕事量が抑えられているが、「これ俺がいることによって周囲の仕事量を増やしているのでは…」という一定の居心地の悪さが常にある。

趣味は、シンプルに金と時間がない。子どもの将来の学費等々を考えると、何も気にせず趣味に費やせるお金というのは、それはもう悲しくなるほどに少ない。平日の可処分時間は睡眠時間を削ることでしか得られず、それでもいいとこ1~2時間。それ以外の時間が密なので、積極的に活動する気力はそう生まれるものではない。包み隠さず言うと、先日のAAオフに参加できていなかったら、9割ぐらい遊戯王止めようと思っていた。(今はちゃんと続けるメンタルでいます。ご安心を)

仕事や趣味の部分を削って生まれた子育てというミッションは、冒頭に書いたような有様である。
彼らが健やかに育っていることは救いだが、それに対して僕が自己効力感を得られることはほぼ無い。理屈が通じない生き物を社会生活に落とし込むのにはそれ相応の苦労と徒労感を伴う。時には怒ったり叱ったりして言うことを聞かせざるをえない場面もあり、その後は自己嫌悪に襲われる。
我が家は妻と家事育児を折半しながら頑張っているけれど、正直それでも全く足りてないと思う。もともと30000ぐらいの攻撃力を持った家事育児仕事モンスターを二人で分配したところで、一人の担当分は15000。余裕でライフを超えている。



子どもたちの成長は楽しみである。
彼らとの生活は楽しい。
この気持ちは本心。

一方で、現状の生活はしんどい。
これも本心。
「もう仕事辞めた方が楽なんじゃないか」と何回考えたかわからない。


何が悪いのかと考えたのだけど、結局のところ金と時間なのだろう。
今よりも拘束時間が短く、かつ彼らの将来の不安がないレベルの収入が得られるのであれば、そのときは心の余裕を取り戻せそうな気がする。
そんな仕事があったら苦労はしないのだけど。
少なくとも、そこを目指すためには理学療法士は捨てねばならないだろう。
異次元の少子化対策するんでしょ。頼みますよ。ほんとに。


そんな父親5年生でした。
この先には「小1の壁」なるものが控えているので、まだまだ問題は山積み。
なんとかせねば。なんとかなるかなぁ。



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