子どもに投げた道徳の種が機関銃になって跳ね返ってきた話。
上の子は現在4歳。
トイレトレーニングの真っ最中です。
ウンチをトイレでさせることに、かれこれ半年ぐらい手間取っております。この半年、保育園から帰ってきてはウンチパンツを洗う日々。つらい。泣ける。
そんな我が子は、最近数字の勉強が好きになりました。
めっちゃ数字が書いてあるポスターを指さしながら、
「ぼく4になった!」
「トーマス1ばん!」
「パパどれ?」
など、可愛らしく楽しんでいます。
ある日。
「ぼくこれになったら、トイレでウンチできる!」と胸を張りながら、
1つの数字を指さしました。
その指の先には、68。
一周回ってオムツ付けかねねーよ!
という言葉をグッと飲み込み。
リアクションに困った先に口から出たのは、
「そんなになったらパパ死んじゃってるよー」
でした。
そう答えたが最後。
「パパも?」
「ママも?」
「じぃじも?」
「おうちも?」
「車も?」
「保育園も?」
「道路も?」
「ラーメンのお店も?」
「新幹線も?」
圧がすごい。
一個一個に「そうだよ」「それも壊れちゃうよ」と答えつつ考える。
これは、どこに終着させるべきか。
自分で言っといてなんだけど、最終的に全部が死ぬ・壊れる・滅びるってのは、あまりに夢が無さすぎやせんか。
なんとかこう、うまいこと良い話にせねば。
「みんな死んじゃったり壊れたりするけど、誰かがもっと良いもの作ってくれたり、パパたちよりすごい人が産まれたりするんだよ。最後は死んじゃったり壊れたりするけど、そういうことを楽しみにみんな頑張ってるんだよ」
「ふーん」
全くもってうまい返しが出来なかった。
だからか知らないけれど、彼は興味を失って別のオモチャで遊び始めた。
ところで。
最後は死ぬけど、そのしんどさを乗り越えられるぐらいに、今の僕は日々を楽しく頑張れているのだろうか。
仕事に追われ、嫌がる子どもをどうにか保育園に受け渡し、趣味に時間を費やせないことに悶々とし……。
彼らに道徳の種を投げるたびに、全く同じ言葉が打ち返されてくるのだ。
育児ってこわい。
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