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組織は歯車のアートだ

先日、俳優の光石研さんのインタビューを見ていて、光石さんのこんな話がとても興味深いものでした。

私が芝居に悩んでいる頃にですね、とある監督からこんな一言を言われて、それをきっかけに自分の芝居に対する考え方が大きく変わったんですよ。その監督は芝居に悩んでいる私に「あなたがこの場面で、泣いて演技しようが笑って演技しようがこっちは知ったこっちゃない。こっちは映画を撮ってんだ」と。それで「ああ、それでいいんだ」と考えるようになったんです。監督が言いたかったのは、自分が選んだこの光石という俳優がどのような演技をしようが、それを受け入れて創るのが映画だと。だから監督が「このような演技をしてほしい」というゴールを見せて、そのゴールに向けて演技をするのではなく、自分が感じたままに演技をした結果がゴールになるんだと。

(うる覚えなので多少ニュアンスが違う部分もあるかもですが)私が感じたのは、芝居または演技というものが「正解となる演技があって、それを上手に適切に表現することが正しい演技だ」という考えではなく「その選ばれた俳優や女優が自分が感じたままに演じるもの」であって、その時その人が演じたままに、みんなで創っていくのが映画だというお話でした。

私はこの話が大好きです。

この話を聞いて映画というものの奥深さをより感じるようになりました。

映画の話に限らず、何か、このもともとある正解を正確に作るのではなく、その場その時の、ある意味での「偶然」を甘んじて受け入れて作り上げていくという考え方に「奥ゆかしさ」や「美しさ」を感じます。

私が目指したい組織も、この話の先にあると考えています。

「識学」に代表されるような組織論。会社を一つのシステムとして考え、合理的にシステマチックに作り上げていくことを「正解」とするような風潮が、最近ちょっと強すぎるような気がします。

私の考える「美しい組織」はその反対。

今回は、こんな組織の考え方について話してみようと思います。

組織はシステムか、アートか?

組織またはチームというものをシステマチックに作り上げられる堅牢な城のようなものか、はたまたアーティスティックに激情的に作り上げるような芸術と考えるか。

私は、組織は不安定な「アート」だと考えます。

ただし、誤解しないで頂きたいのですが、何も組織にシステムは不要または入る余地もなく、アーティスト集団なのだなんて暴論を言うつもりはありません。

ただし、組織を何でもシステム(理屈)で片づけようとする最近の傾向みたいなものに対しては強い抵抗感を抱いています。

組織を理屈と捉えるか芸術と捉えるかの違い

理由は、組織には「可変性」が存在することをどこか忘れられているような気がするからです。経営の3要素と言われる「ヒト・モノ・カネ」のうち、ほかの2つになくて「ヒト」にだけある要素。これが可変性というものです。

ヒトは、他の要素によって自在に動くものであるため、作り手(経営者)の理屈をいくら作り上げても、相手側の要素によりいとも簡単に予想通り動いてくれなくなります。どれだけ立派な離職防止の仕組みを作り上げようとも「新しいことをやりたくなりました」という、こちらではコントロールしきれない要因により、人は退職していきます。

そのため、この「ヒトの可変性」という問題により、経営には勝ち組の方程式を作るのは難しく、理屈だけで経営を回そうというのは至難の業なのですね。


組織の歯車はダメか?

「組織の歯車」というと、マイナスの表現として使われることがほとんどだと思います。

ただ、ちょっと立ち止まって考えてみると、私たちは大きな間違いをしているのではないでしょうか?

時計の中でたくさんの歯車が動いていることは皆さんご存知だと思いますが、この時計の歯車は、たとえどんなに小さな歯車であっても、どの1つが無くなってしまったとしても時計は途端に動かなくなってしまいます。

つまり、歯車と言うのはその物体の中で「無くてはならない存在」であることを意味しますね。

そのため、「自分は組織の歯車でしかない」というボヤキは、つまりは組織の歯車にすらなれていないことを意味しているのだと思います。

組織またはチームのかけがいのない歯車になって、組織またはチームに貢献していくということは、社会人としてとても誇るべきことだと私は感じます。

歯車のアート

「組織はアートである」「組織の歯車は重要」という2つの要素を組み合わせると「組織は歯車のアートで回る」という仮定が成り立ちます。

私はこんな組織を目指しています。

人にはそれぞれ役割というものがあると思っています。それは社会の中でもプライベートであっても。

会社の中では営業や事務や社長であっても、それぞれ会社から役割を任されて、それを自分なりに精一杯パフォーマンスしている。

例えば弊社は35人くらいの中小企業ですが、今いる35人がそれぞれ自分色を出しながら仕事をしてくれています。目指すべき方向は経営理念に向かっているとしても、それぞれの色や特色は向いている方向が違わない限り尊重してあげたいと思います。

これが今の弊社の「歯車アート」であって、例えば数年後に社員が入れ替わったとしたら、その違う色の歯車たちがまためいっぱいパフォーマンスをしてくれた結果が、その時のうちの一つの「歯車アート」となる。


そのアートを楽しみながら、自分たちで道を創っていく。

その道のりは1つではなくその時その時に決めていく。

そんな組織の方がが、私は「美しい」と考えます。



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