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耳をすます

死にかけたことがある。

次男の出産直後、弛緩性出血しかんせいしゅっけつを起こした。

産後の回復室で夫と話していたら、身体の中で爆発するような痛みに襲われた。

子宮が収縮していこうとする痛みかと思ったが、それにしてはあまりにも強烈で、声を発しようにも出せず、手が届く距離にいる夫に訴えることも出来なかった。

様子を見にカーテンを開けた看護師さんが、私を一目見るなり

「すぐ分娩室へ戻して!急いで!」

と叫び、そのままストレッチャーに乗せられ、先程次男を産んだ場所に戻された。

目は見えて、身体中にいろいろな器械が付けられたのも分かった。
声は出せず、飛行機に乗っている時、気圧で耳が変になったような感じで、音は遠くの方で聞こえていた。

「血圧60切りました」
「輸血準備して」
「出血、まだ止まりません」

看護師さん達が「がんばって、がんばって」「目を開けていて」と言っていて、目を閉じないようにした。

子宮内にガーゼをぎゅうぎゅうに詰める方法で出血は止まった。

第一発見者であったカーテンを開けてくれた看護師さんが、「死なないでよかった」と抱きしめてくれた。

この経験で得たのは、

「さいごの最後まで、耳は聴こえてるのかもしれない」

で、以降私は、もし誰かを見送る時は、話しかけようと思っているし、願わくば自分も話しかけられたいと思っている。
笑わせて欲しい。笑えるかな。

つまりさいごは、出来たらひとりじゃない方がいいよねということだ。

「コロナになったら、お骨になって帰ってくるんだって」

二世帯同居している高齢の母が言う言葉は重くて、頼むからそんな事言わないでと言えなかった。
だって現実がそうだから。
実際のところ、お骨で戻ってきたという話も、まわりから聞いた。

別れることすら出来ないかも。
そう思う恐怖は、常にすぐ隣りにあって暮らしている。

父を家族で見送った時の、父の目から流れていた涙を思い出す。
あの涙が、苦しいからじゃないといいな。

noteを始めたのは、コロナ禍になってからだ。

ここで出会った人たちは、私が知らなかったことをたくさん教えてくれる。
 noteでなければ、リアルでは接点がなく、まず出会えなかった方々だ。

文章を書く。
文章を読む。
言葉に耳を傾ける。
声をあげる。

どれもとても勇気が要ること。

ありがとうございます。

未読の方、ぜひ読んでください。





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