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運転手さんのお話

5年生の私は、小学校のブラスバンドに属していた。
楽器は「コルネット」という小ぶりなトランペット。
毎朝7時半からの朝練があるため、7時前には家を出ていた。

通学路の坂を上る私のすぐ横を、大きな車が音をたてずに上っていった。
毎朝必ず同じ車。 

車に詳しくない私であったが(今も詳しくない)その車は「偉い人を乗せるのだろうな」と思いながら見ていた。
黒くて大きくて、窓から一瞬見える座席に白いレース。

運転手さんは黒のスーツ姿で、真白な手袋をしていた。

車のすぐ近くを歩く小学生に対して、「あなたがそこを歩いているの、分かっておりますよ」というような運転だった。

昭和49年生まれの私が小学生だった頃は、車が怖かった。

我が家には車がなく、父も母も運転免許がなかったので、どうしても車移動が必要な時はタクシーを使った。

乗り物酔いをする不安と、運転手さんの機嫌を損ねる怖さ(「車に弱いので窓を開けてもいいですか?」と聞くと露骨に嫌がる方がいた。この車が匂うのか?私の運転で酔うのかと?)と、そして父が運転手さんと口喧嘩になる怖さ。

あの頃の私は、車も運転する人も、怖かった。
(40年くらい前の話だ。もちろんやさしい運転手さんも沢山いらした)


毎朝見かける黒い車のことを不思議に思い、家族に話した。

母が、警察の偉い人の自宅に迎えに来ている車だと教えてくれた。

その偉い人は、家に爆発物が届いて、家族が亡くなった。
新聞に載るような大きな事件だったと話してくれた。

私が生まれる前の事件。

家に小包が届く。 

受け取って開封したら爆発。

話を聞き、恐怖で震えあがった。

以降、その黒い車がそっと私の横を通り過ぎる時、身を固くした。 

事件からはすでに何年も経ち、車も運転手さんも事件には関係ないのに。






ずいぶん大きくなってから、事件のことを少し調べた。

小包を開けた瞬間の即死。
爆風で破片による負傷、大火傷。

生々しい事実にも、もう小学生ではないから、怖さだけではなかった。  

記憶の中の黒い車、運転手さんのやさしい運転、ハンドルを握る真白な手袋。

家族を失った人は、あの黒い車で毎朝職場に向かっていたのだろうか。


今朝投稿された、宮島さんの noteを拝読した。

運転手さんのお話があり、 黒い車の思い出が浮かんだ。


noteで、お仕事の話を読むのが好きだ。

そこで何をしてきたか、どんな人と出会ったか、その時、何を考えていたか。

宮島さんが noteに綴られる方々は、誠に血の通った人間だなと思いながらいつも読む。

一緒に仕事をし、その時代を共に過ごしてきた人たち。

そういう方々からきっと、宮島さんは愛されていただろうなと想像する。

いま私達が、宮島さんの noteに惹かれるように。

愛されると書いたが、いいことだけではないと思う。

つらさや苦しさもあったと思う。
相当なものだと推察している。

人と関わる時、いい悪いのどちらかで判断など出来ようか。

結局は気持ちの折り合いをつけながら、互いに必死に、自分を生き抜いていくだけなのではないかと思う。

それが個人間の事柄ではなく、仕事というものを介してであったら、物事はより複雑にならざるを得ないと思っている。

今、この noteを書かれている宮島さんと、その当時の宮島さん。 
おふたりに文章の中で出会えて、とても嬉しい。

「私の人生の軌跡」を楽しみにしているいち読者より。


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