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留年ばかりしていた私が大学で教員をすることになった話

出身大学で教員をすることになった。今年度の後期である。わたし自身も驚いている。だって、わたしの最終学歴は大学学部卒だし、なんならその学部の卒業に7年もかかっているんだから。でも、学生時代にゼミやその他の授業でお世話になっていた教授からの直々の依頼だったので、逡巡の挙句、受諾した。もともとある授業が開講予定だったが、その担当教員の方がどうしても教員を辞退せざるを得ない状況になり、それでわたしに白羽の矢が立ったようだ。

誰が教えるのか、という問題はつねに、何を教えるのか、という問いとセットだ。わたしが担当する予定の授業について、具体的なことは書けないけれども、リーダーシップとアートに関わる授業である、ということくらいは言えるはず。社会人と文筆活動の経験があって、それでわたしが指名されたのだろうと思う。このこと自体はとてもありがたいことだ。できるかどうかはともかく、できるだろうという期待をしてもらった以上、それには応えたいと思う。

だが、どのように授業を組み立てたらよいのか。一般的な大学の授業は1コマ90分の授業が全十数回である。その過程を通じて、学生になんらかの学びを得てもらう必要がある。大学にはシラバスというものがある。それに則って授業が進められるものであり(高等教育がそのような進め方でいいのかという批判は当然ありうる)、わたしもゆくゆくはその準備をせねばならない。義務教育ならともかくも、大学の授業では教え方自体も手探りで考えないといけない。

でも、教壇に立つ以前に、わたしは今まで学校という制度と反りが合わなかった方の人間だ。高校時代は留年ギリギリまで学校を休んでいて、学校の代わりに図書館で学びを得ていた。本棚の間を縫ってはいろんな本を物色し、CDを借り、時間が経つのを待っていた。そんなだったから、大学でも留年した。結果的に卒業はできたけれど、それは大学制度に馴染んだということを意味しないし、むしろ、単位を揃えるということに躍起になっていただけだ。

「先生」という呼び方も元々好かない。医師や政治家や企業のお偉いさんみたいな、権威が必要とされるところでは決まって用いられる呼び方だけれども、そういった権威を傘にどれほど汚いことをしているひとがいることか。もちろんなかには本当に立派なひともいて、そういうひとに向けて尊敬を込めて「先生」と呼ぶのに吝かではないが、全員が立派であるはずがない。わたしは「先生」と呼ばれたくはない。

あるいは、時代的なものもあって、「先生」に教える側としての強度がないということもあるのだろうと思う。だから、「先生」という「がわ」だけは堅固に守っておこうという向きなのかもしれない。でも、そうならなおさら「先生」の皮を捨てて他の関係の結び方を構築すべきではないか(たとえばリーダーシップ)。そして、これは「先生」だけでなく、だらしなく「先生」にもたれかかってばかりの「生徒」側にも問題があると思う。

いずれにせよ、いまの世界で、なにかを真剣に学ぼうとしたら、教わる側、つまり生徒が、自分から学びに行かなければならないのである。しかも、「ただ」で教わらなければならない。カネを払って教えてくれるものは、しょせん、それ(価格)だけのものだ。カネを受け取ったのだから価格に応分のものを教えると、教える側は思うし、カネを支払ったのだから分からせてくれと、教わる側も契約関係にあぐらをかいている。それは「学び」ではない。学校で済ませておくべきたぐいの「習いごと」だ。

近藤康太郎『アロハで猟師、はじめました』

本当に学びたいことがあるなら、自分から動かねばならない。「そんなことは教えてくれなかった」じゃあだめなんだよ。でも、学生にとっては単位をかき集めるということが喫緊の問題であって、わたしもその辛さはよく知っているつもり。授業から「学び」がいっそう遠ざかる。でも、わたしたちには学びたいことがあるはずだ。そしてそれは必ずしも学内で満たされるものだとは限らない。わたしも学校の外で学んできた方の人間だ。

 先生がみんなに同じ内容の授業を与えている場合、その中身は単なる「情報」である。その「情報」を自分のものにするには、自分の力が必要になる。そして、学校以外の、誰にも制約されない時間やだらだらした時間を使って考え、遊びや家庭での経験とシンクロさせて自分の中に落とし込んでいく、というプロセスも必要だ。個性は、そうやって伸ばしていくものであり、余暇の時間をしっかり使うことによってしか、自分自身は成長しないのではないか。
 余暇の使い方を学ぶことこそが、人間をつくり、個性をつくる。それが私の持論である。

ウスビ・サコ『サコ学長、日本を語る』

個性の伸ばし方なんて、大学で教えることではない。むしろわたしの周りの「個性的」な人間は、学校の外でそれぞれ問いを立ててはそれに応えようとしてきたひとたちだと思う。「優等生」って優れているはずなのに、いや、優れているからこそ没個性的なんだよね。でも、わたしの担当する予定の授業がアートに関係するものである以上、どう生きるか、という個性の問題にも関わらざるを得ないと思う。生きることの技、業、術だ。「書を捨てよ、町に出よう」ではないが、学生たちと街に繰り出してみようか。

わたしは研究者として教壇に立つわけではないので、なんらかの専門的な知を学生たちに与えることはできない。けれども、生き方という点でなんらかのヒントを与えることはできないだろうか、と考えている。誰もが誰かの写し鏡であって、ならば最初にわたしが自分の姿を提示すべきではないだろうか。大学を何年も留年して酒と煙草と読書に時間を費やしたような馬鹿な姿を、でもそうしていながらもなんとか道を探し求めている姿を。まず自らを開示することはリーダーシップの一部だと思っている。

「先生」と「生徒」の新しい関係性としてのリーダーシップと、「生徒」が人間を、個性を育てるという意味においてのアートと。今のところはこの二つを軸に、考えていきたい。まだ時間はあるのでたっぷり準備しよう。まずはプラトンやアリストテレスの、そしてハイデガーの技術論(テクニックの語源であるテクネーはアートと同じだからね)から。まだ見ぬ受講生と出会うのが楽しみだ。やるからにはいい授業だったと言ってもらえるような時間にしたい。

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