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個人主義と次の世代への責任とは?

 SNSを見ていて考えさせられたことがありました。

 私たちの仕事は、社会にうんざりして個人主義に傾いた弱者と、能力主義の強者で「お荷物はうんざり」と感じている人々を、個人主義から共同体主義へ移行させ、福祉国家の価値観を重視するように導くことです。

精神科医のSNSより(個人の特定を避けるため、言い換えをしています)

 子孫を持てない人たちが「次の世代のことは気にしない」と感じるのは理解できる。基本は子孫を残せた人たちだけが中心となり、次の世代の社会構築を真剣に考えることになるだろう。私も長くても残り30年程度しか生きられないだろうし、残りの人生は楽に過ごす方法を考えたい。
 しかし、「子孫を諦めた人たち」が次の世代の社会構築を放棄することが本当の問題であり恐怖を感じる。特に独身男性は60代で亡くなると考えられ、年金の払い損になる可能性がある。私の家も私と兄の兄弟で末代が確定しており、「終焉」に向かっている。

一般の方のSNSより(個人の特定を避けるため、言い換えをしています)

 確かに多くの人が福祉国家を重要視する方向に価値観が傾けば良いと思います。
 
 ただ、自分も「子孫を持てない人たちが次の世代のことは気にしない」という意見には同意します。そのため、「子孫を諦めた人たち」が次の世代の社会構築を放棄することは自然な流れだと感じます。

 現に自分も「次世代のために」ではなく、あくまで「自分のため」に生きており綺麗事を言うつもりはありません。他者への貢献は理解していますが、それが強い動機づけにはならないです。あくまで仕事は自分のためであり、それが運良く社会貢献に繋がれば十分です。

 個人主義から共同体主義への移行は難しいかもしれませんが、社会との関わりに疲弊して個人主義に傾いた弱者や輝かしい実績を出し続けている能力主義の強者が「自分が損をさせられている」と感じない仕組みを構築することが重要でしょう。
 これは「やり甲斐」や「生き甲斐」だけでなく、実利を伴ったものでなければ難しいでしょう。
 共同体主義への移行を形成するのは困難かもしれませんが、個人主義の人々が実利を感じられ、動機づけを形成できる仕組みを作れることができれば、実現できる可能性があるかもしれません。

 自分に何かできるかは分かりませんが、今回はこれらの考えを文章にしてみました。
 最後までお読みいただきありがとうございます。


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