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『かたづの!』読了

 いらしてくださって、ありがとうございます。

 中島京子さんの作品は、『長いお別れ』と『夢見る帝国図書館』(ともに文春文庫)の二作を読んでいますが、どちらもとても素敵な物語でした。
 文章が読みやすく、するりと物語に没入できる。人の心の機微が丁寧に描かれていて、深刻な傷に触れながらも重すぎないのは、随所にフフっと笑いがこぼれてしまう抜けがあるからなのでしょう。

 今回読んだ『かたづの!』は、2014年に単行本として集英社から刊行され、2017年に文庫化されたものです。購入したのは2019年ですが、ながらく未読本の棚に眠っていて、昨夜書棚の前を通ったときに目が合って手に取りました。
 ページ数は470枚超、原稿用紙換算で780枚を超える長編でしたが、読み始めたら止まらず、五時間ほどで読み終えました。

 時は関ヶ原の合戦のころ。八戸(青森県)の根城ねじょうの城主夫人である十五歳の祢々ねねは、一本角の羚羊かもしかと出逢います。
 この羚羊が、のちに『片角かたづの』として南部の秘宝として語り継がれることになるのですが、物語はこの「かたづの」の語りで綴られていきます。

 祢々は物事を己の頭で考え、咀嚼することができる、聡明で美しい少女。一つ年下の夫と仲睦まじく、二人の娘と待望の長男に恵まれますが、その後の人生は実に苦難に満ちたものでした。
 28歳のとき夫が急逝、その直後に跡継ぎとなるはずの長男も急逝。祢々の叔父である利直による謀殺説がささやかれる中、祢々は自らが女亭主(城主)となることを選択した後、剃髪し清心尼と呼ばれるようになります。
 八戸の領内で採れる鉄やさまざまを手中にすべく、叔父の利直は次々と謀略を仕掛けてきますが、そのどれもがあまりに非道で。
 八戸を襲う荒波を、葛藤や苦しみを抱えつつ乗り越えていく清心尼。海に面した豊かな土地から、ついには内陸の遠野への領地替えを命じられ、荒れ果てた人心と土地に苦悩しながら、清心尼は遠野で59歳の生涯を閉じます。

 その悲壮な姿は、羚羊の、人とは違う動物目線で語られるせいか、とてもつらいはずなのに、どこかのんびりとしていて、読んでいる最中は彼女に同調して苦しくなることはなかったのですけれど、読み終えてからずーんと胸に迫るものがありました。

 四十年余にわたる彼女の人生に寄り添った羚羊ですが、そも、人の言葉を解する彼の存在そのものがファンタジー。本作は、池上冬樹氏が解説で語られるように「歴史ファンタジー小説」なのです。
 祢々が人生を閉じた地・遠野といえば、天狗や河童、座敷童子の伝承を綴った遠野物語が有名ですが、本作には河童などのあやかしが随所に登場し、とぼけた味わい、というより、本当に「すっとぼけて」くれるのです。悲惨な出来事が続くなかに挟まれる、彼らのコミカルなシーンには何度も声を出して笑ってしまいました。

 読んで笑える、噴き出してしまう文章って、その一瞬だけでも現世のすべての憂さを吹き飛ばしてくれるようで、とてもいいなと思うのです。
 中島京子さんは、そうした抜けを描かれるのも本当にお上手で、それは『夢見る帝国図書館』でつくづく感じていたのですが、本作ではもう、参ったとしか言えないくらい、楽しませていただきました。

 江戸時代の初期に、東北の一角で起きたこれらの出来事。清心尼は実在の人物で、夫や子供たちの死や、八戸根城から遠野への転地もまた事実。
 けれど、それらのリアルに実にうまくフィクションが重ねられ、虚実綯い交ぜの物語は壮大で、悲しく、時に可笑しく、あたたかく胸を打つのでした。

 清心尼が嫁いでいく孫娘に語った言葉は、現世に生きる人々へのメッセージにも思えるもので、すこし長くなりますがご紹介させていただきます。

「親ならば誰でも、嫁ぐ娘に幸あれかしと、健やかであれかしと願うものです。ところがこの世はままならぬもの、どんなに願っても、人は病や災難に見舞われる。幸いのうちに、平らかな日々を過ごしてほしいと願うのに、戦乱や陰謀に巻き込まれてしまうこともあるのです。巻き込まれずにいることは難しい。もし、あなたがこの先、苦しいこと、辛いことに出会わずにいられるとわかっているなら、どれほどこの年寄りは安心でしょう。だが、わたしも、あなたの母君も、わたし自身の母も、苦しみを避けて通ることはできなかった。だから、覚えておいてください。不幸や禍はいつだって、あなたを丸ごと呑みこんでしまおうとするのです。けれども、あなたを呑みこもうとする禍が降ってきたときには、ただただそれに身をゆだねてしまわずに、知恵を絞って考えてください。禍に呑みこまれずに抗おうという強い思いがあれば、必ず、向かうべき道が見えてくるものです。だいじなのは、あきらめないことです」

中島京子『かたづの!』集英社文庫より引用


 本作『かたづの!』は、第3回河合隼雄物語賞、第4回歴史時代作家クラブ賞作品賞、第28回柴田錬三郎賞の三冠を得ています。

 池上冬樹氏は本書の解説の最後で、中島京子さんの作品から直木賞受賞作『小さいおうち』、泉鏡花文学賞受賞作『妻が椎茸だったころ』、中央公論文芸賞・日本医療小説大賞受賞作『長いお別れ』などを挙げつつ、

「文学賞は水物の部分もあるけれど、中島京子に関してはまぎれもなく実力のなせる技である。三賞に輝いた本作『かたづの!』から読まれるといいだろう。厚みのある面白さと評価の高さを実感されるにちがいない」

 と結んでおられます。

 ファンタジーや、歴史物なのにふざけ過ぎた文章は苦手という方もおいでかと存じます。私もあまり得意ではないのですが、中島京子さんの作品はするりと物語に没入させてくれるので、ファンタジーの風味はまったく気にならず、笑いを誘う抜けの塩梅が絶妙で、読み進めながら「また河童たちが出てきてくれないかなぁ」と期待してしまったほど。
 
 また、刊行時に、著者自身が「ありったけのウソとホントをつぎこんで紡ぎました。愉しんでいただけたら嬉しいです」というメッセージを寄せられたそうですが、ほんと、どこまでが本当なのかと気になって……。
 読み終えて、祢々が自ら模様を描いた「黒地花卉群羚羊模様絞繍小袖くろじかきぐんれいようもようこうしゅうこそで」とやらを検索してしまいました(ちなみに物語に登場するこの小袖は架空で、東京国立博物館に実在する「黒地花卉群鹿模様小袖」がモデルだと思われます)。

 中島京子さんの『かたづの!』、読み終えて八戸や遠野を訪ねたくもなりました。オススメの一冊ですので、ご興味をお持ちの方はぜひご一読を!

・・・・・

 最後までお読みくださり、ありがとうございます。

 東京方面は台風が接近中。先日から気になる揺れも続いていますので、備えを十分に心がけたいと思います。
 みなさまもご安全にお過ごしになれますように(´ー`)ノ

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