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「スポーツ経験が無い男は危機感持った方が良い」について

スポーツ経験がない男、今まであまり運動の経験がない男、部活に入った経験がない男。俺、ガチで危機感持った方が良いと思う。

最近、Xを中心に、このような文言が流行っている。
元ネタは、男磨き情報を発信している「ジョージ-メンズコーチ-」、通称「危機感ニキ」のこの動画。

ちなみに私はこの人のことを、Youtube始めたての頃から知っている古参で、思想にもある程度賛同しているのだが、ネットの反応を見る限り「賛否両論」と言った所だ。

というのも、X上でバズったのはあくまで「切り抜き動画」である。捉え方によっては「陰キャ」や「チー牛」とカテゴライズされる人々を一蹴しているだけにも思えてしまうため、差別的発言だとして炎上するのも無理はない。

そこで今回は、彼のこの言葉に隠された思想を分析しつつ、「スポーツ経験」というのは果たして重要なのか、持論も展開していきたいと思う。

ジョージ氏の背景

彼の思想を分析するのには、まず彼の人生そのものを深掘りする必要がある。私が、彼の数々の動画から掴んだ大まかな人生像をここで整理したい。本人に直接聞いたわけではないので、正確なものではないことに留意してほしい。

彼の人生は、小学生までは意外と順風満帆だった。典型的な「足が速い」スター。サッカーでも大活躍。

そんな彼に転機が訪れたのは、中学生になり、名門サッカークラブ「鹿島アントラーズ」の下部組織に入部したことだった。それまで「足が速い」ことで優遇されてきた彼の人生は、ここで一気に転落した。というのも、周りの人間のサッカーレベルが高すぎて、相対的に一番下手くそになり、彼は一気にカースト最下位に転落してしまったのだ。

パス練習で一緒に組むチームメイトに申し訳なさを感じる。チーム分けで自分と一緒になるとメンバーから「はい~お前がチームにいるからもう負けた」と残念に思われる。試合でもミスが怖くてパスを貰いたくない…。

奇遇なのか、私の人生とめちゃくちゃ似ているのが面白い(だからこそ私は彼に惹かれるのかもしれない)。私も中学生の時入部したサッカー部で、それはまあ下手くそすぎて、いなくても変わらないゴミ同然の扱いを受けた。

コーチ・顧問には半分いない者扱いされ、先輩には「お前要らないから部活来なくても良いって、帰れよ」と言われ、同級生には「お前とチーム組みたくないんだけれど」と言われ、おしまいには後輩にさえ「下手くそが」と言われて練習の時に全身を蹴られまくった。これを2年半耐え続けた。あの頃は純粋に死にたかったな。

まあ、技術が劣っている自らに責任はあるのだけれど、思春期の自尊心形成にどれだけ悪影響を及ぼしたか、私は彼の気持ちが痛いほど理解できる。

彼は高校進学後もサッカーを続けた。ただ、彼は生活リズムが乱れていて、自堕落な生活を送っていたという。また、この頃彼は自分が「コミュ障」であることに気付く。自分がイギリス人ハーフで、周囲から注目される存在だからこそ、必要以上に周囲の目を気にしてしまう。そして、少しずつ他人と会うのが、話すのが怖くなっていた。

大学(青山学院大学)進学後も、自堕落な生活を続いていた。何より彼の頭を悩ませたのがコミュ障だった。人に会うと、喋ると、恥ずかしい思いをすると、すぐ顔が赤くなる。だから逃げて、逃げて、逃げ続けた。そんな自分が嫌いだったらしい。

だからこそ、大学2年生の時に休学して、イギリスにサッカー留学に行くことに決めたという。ただ、イギリスに行ってもすぐにコミュ障が克服されることはなかった。最初の頃は半分引きこもりだったらしい。

それでも彼は諦めなかった。積極的に行動を継続した。恥ずかしくても人に話しかけまくった。

そして、この頃に彼は自己啓発に目覚めた。主に海外の自己啓発Youtuberから情報を収集して、実際に習慣を実践しだした。禁欲、コールドシャワー、瞑想、筋トレ、食事管理…。

様々な習慣を取り入れるようになって、徐々に彼の人生は変わっていった。自己嫌悪感や、周囲の目を気にすることが無くなってきて、男としての「自信」がついていった。

その後、Youtubeを初め、彼が人生を通して得た「男磨き」の知識を発信し始めた。スタイルは、かつて殻に閉じこもっていた「自分」に発破をかけるように、かなり強い口調で喋っている。

チャンネルの理念は「強い男を取り戻す」。日本中の悩めるメンズに、彼は今日も熱いメッセージを届けているー。


と、ここまで彼の人生を深堀りしてきたが、そこから見える彼の思想は究極なまでの「能力主義」である。遺伝的要素も、性格特性も、後天的に克服可能で、その努力と言うのは、いつでも誰にでもできる。

だからこそ、「危機感持った方が良い」という発言の裏には、家に引き篭もってばっかで「どうせ無理」とか思わずに、一歩踏み出して自分を試される「スポーツ」という分野に挑戦して成長しろ、という意図が含まれている。

…では実際、私の人生において「スポーツ経験」というのは果たして役に立ったのだろうか?
後知恵バイアスに陥らないためにも、時系列順に述べていきたい。

私は、物心ついたころには大量のスポーツを親から強制的にやらされてきた。圧倒的スパルタ教育。

水泳、アルペンスキー、クロスカントリースキー、トランポリン、サッカー、フットサル、マラソン…。

どれも正直言って楽しくなかった。友達と遊んでいた方がよっぽど楽しかった。
小学生までの私からすれば、こうした「スポーツ経験」は、抑圧された自我を育むというマイナスな面でしかなかったと言える。

中学からはもっと最悪だった。先述したように部活でゴミ同然の扱いを受けていたから、それはもう毎日生き地獄のような気分だった。ただ、ここで私が得たのは、強烈な「見返してやる」という強い復讐心である。お陰様で死ぬほど勉強を頑張った。

転機が訪れたのは高校の頃である。まずスポーツを親の命令に背いて自分で選んだ。少しマイナーなスポーツだけれど、めちゃくちゃ頑張って、中学まで最底辺だった私が、未経験ながらキャプテンに成り上がり、さらに国体メンバーにも選出された。

これは部活に限らず勉強でもそうだったけれど、苦しかった時、辛かった時、いつも私の脳裏に浮かんでいたのは、中学の頃私に酷い扱いをしていた人間たちであった。「お前らに負けてたまるか、人生レベルで圧倒的な格の違いを見せつけて借りを返させてやる」という、強い気持ちが私を前に押し進めた(今ではもはやそんな彼らがどうでも良くなってこの感情は薄くなったが)。

この高校の頃の経験は、後知恵バイアスを考慮しても明らかに私の人生にプラスして働いていると思う。元々私は引っ込み思案だったけれど、部長になったからには一番声を張らなければならない。コミュ障の克服、どんなに理不尽なことがあっても、どんなに辛くても、チームのため、目標のためにやり切る精神力…。


ただ私が思うのは、「スポーツ経験」そのものが重要ではなくて、何かに打ちのめされて、それでも立ち上がるという、「挫折経験」というのが本質だとは思う。勿論、それを頻繁に得られるのが「スポーツ経験」ではあるのだが、別に勉強だとか、音楽だとか、他の分野でも同様の経験を得られることは出来る。

また、スポーツ経験の利点は、挫折経験に加えて身体的にも成長できるという面もあると思う。彼は「モテ」にもフォーカスして論を進めていたけれど、確かに私や私の友人の経験上、スポーツを全力でやっている時期と言うのは女性からのアプローチも多かった。女性からすると、無意識レベルで"ガタイ"というのは大切なのだろう。

ただ、私の経験から彼の話に付け加えて伝えたいのは、何よりも自分で「やりたい経験」を選ぶことが重要だということ。誰かにやらされて得るスポーツ経験は、アイデンティティに悪影響を及ぼすだけである。

最後に、彼がいつも動画の締めで放っている言葉をお借りして、この記事を綴じようと思う。

きつい時こそ、やらなきゃいけない事やろうぜ。

おわり

2024.5.10追記
「男磨き」に興味を持った方はこちらの記事も併せてどうぞ。

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