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ちゃんと”ながら聞き”できているのか

最近は新たに動画を一から制作しているものに日々向き合っているわけですが、3分くらいの動画なのに1000から1500レイヤー(レイヤー=テキスト1つ、図形1個っていうとわかりやすいかな)ほどなって綺麗に整理しているけど、どこやってるかわからなりそうです。
とはいえ、イメージと大まかな枠組みや動きができてしまっているので、あとは配色や照明の光具合の調整など単純作業でもあるのでVoicyとか音楽を聴きながらやっていることが多いです。

こうして毎回仕事をしながら聞いている僕ですが、
果たして、単純作業でながらで聞いた内容は理解しているのか疑問になっていて、「なるほどー」とか「確かに」とか思うことが少ないなと感じることがあります。

聞き終わったときにだいたい理解したことになっていて、自分の中である程度考えがまとまるけれど、仕事終わったときなど時間が空いたときに思い出してみると頭に内容が残っていないなってなることが多くありました。

反対に仕事以外では、起きてまもなくや外出の支度、家事のときに聞いていてそのときは頭に入っていて自分の経験に置き換えるなどして理解したことがずっと残っていることが多いです。

となると、自分が単純作業だと思っていた簡単な編集でも意外とながら聞きできるほど、頭のリソースを割り振ることができないんだなと自然と感じます。

あと一つ、”ながら聞き”で理解したことが長い時間残っていない理由で可能性があるのは、「ひとりごと」を言っているかどうか。

家では、聞きながら「なるほど」や「確かに」、「だったら、、」とか誰かと話してるくらいに”ひとりごと”を言っています。
ただ、仕事場ではただの迷惑な人なのでぶつぶつ言うわけにはいきません。

もちろん、今の状況下における自分とピンポイントな内容であれば、あるほど理解度や内容に対して没頭する感覚が強くなって、そんな”ひとりごと”があるかどうかがどうでもよくなるけれど、ちょっと自分と離れている内容だったり、興味が薄目のことだったりすると、”ひとりごと”という自分の言葉として理解した印だけでもアウトプットしたことが顕著に出てくるのかなと感じます。

だから、音声だからといって、なんでもかんでも「ながら」でできて時間を節約できている風に捉えず、理解しているか、おおまかでも覚えているか、とか重要にしないと節約した意味がなくなってしまいます。

ひとりひとり「ながら」という同時進行で頭を割り振ってできる幅は違うので一番自分に合っている聞き方や「ながら聞き」を試していく必要があります。

こうして書きながら気づいたことなので僕もいろいろ聞き方を試していこうと思います。

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