アポイ岳 1

           (2021、6、20)

 今、卒論を書いている。
テーマは私の作っている古布画で、熊谷守一のことも書くつもりだ。
 いろんな資料を集めたいと思っていたとき、福島の友人が、10年ほど前、熊谷守一を卒論に書いた人がいるよと教えてくれた。
「北海道の人でK・Yさん、時々フェイスブックに投稿しているから連絡とってみたら?」
 気をつけているとたしかにK・Yさんの投稿。思い切って
「はじめまして、私は今京都造形で、熊谷守一のことで卒論を書いています」と自己紹介して送信してみた。
相手にしてみたら、どこの誰とも分からないのだからしばらく返事は来なかった。でもK・Yさんのフェイスブックを読んで「いいね」を送っていたら返事をくれて、やり取りができるようになり、卒論のコピーも送ってきてくださった。

 ある時ラジオの番組で宇梶静江さんという人がアイヌの文化の普及につとめていて、古布やアイヌの刺繍で〔古布絵〕を作っていると聞いた。
それ以上のことが何も分からないのでひょっとしてと
「宇梶さんのこと何かご存じありませんか」とK・Yさんに聞いてみた。すると、
「宇梶さんは隣町浦河の出身で、ここ様似で講演会があって聴きにいきました」とのこと。
「えっ、さまに!」 なんだか聞いたことがある。
遠い記憶をたどりよせてみた。

 大学生の時、当時カニ族と言ってリュックをしょって安上がりな旅をするのが若者の中で大流行であった。私も〔北海道どこでも乗り放題3週間〕の切符を買って、友人4人で出かけた。リーダーのFさんは山が好きとみえて、北海道で山に登りましょうとアポイ岳と知床羅臼岳を組み込んだ。
「襟裳岬の近くのアポイ岳はね、標高は低いけれど高山植物の宝庫でお山が花でいっぱいになるの」
 
 前日襟裳岬に行ったが、一面の霧で何も見えなかった。様似のユースホステルに泊まって翌日起きてみると土砂降りの雨、どうにもならない。残念ながらアポイ岳のお花畑は諦めて、知床羅臼岳に登って帰った。
その様似だ。当時私たちは二十歳で、今から56年前のことになる。

そのことをK・Yさんに書き送ると、彼女もびっくりしていた。
「そんな昔、ここへきていらしたのですね」
彼女は伊豆大島から様似へお嫁に来て、自然が大好きで、アポイ岳の自然を守るボランティアをしている。アポイ岳の花や蝶、日高山脈の景色、牧場、海の風景をたくさんフェイスブックにあげ、花には一つ一つ名前をつけ、景色は息をのむほど美しい。
「アポイ岳にぜひおいでください」

もう一度様似のアポイ岳へ⁉ 
こんな夢のような話があるなんて!
コロナがおさまったら思い切って北海道へ行ってみたい。
アポイ岳に登り、様似の町をぶらぶらのんびり楽しみたい。
夢は膨らむばかりである。 

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