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「本」に集う場を軽井沢につくった理由 【河野通和さん(編集者)インタビュー】

軽井沢という場所で、今読むべき「名著」を新たな視点で味わう。そんな体験を提供していくのが「軽井沢 本の學校」です。今回は、學校長を務める河野通和さんにインタビュー。なぜ今、軽井沢にそのような場所をつくったのか。どんなことをしていきたいのか。ざっくばらんにお聞きしました。


河野通和さん
「河野文庫」主宰。編集者・読書案内人。
1953年岡山市生まれ。大学卒業後、中央公論社(現中央公論新社)に入社し、「婦人公論」「中央公論」編集長を歴任。その後、新潮社で季刊誌「考える人」編集長を務め、2017年4月、株式会社ほぼ日入社。「ほぼ日の学校」を立ち上げ、2021年10月まで学校長を務めた後、退社。 京都橘大学「たちばな教養学校Ukon」の学頭に就任。著書に、『言葉はこうして生き残った』(ミシマ社)、『「考える人」は本を読む』(角川新書)がある。

■軽井沢と河野通和さんのご縁

― 今日は軽井沢までお越しいただき、ありがとうございます。

いえいえ。よろしくお願いします。

― さっそくですが、河野さんは、軽井沢にどのような思い出がありますか。長らく編集者として活躍されているので、作家さんとの思い出も多そうですが…。

そうですね。軽井沢は、明治、大正、昭和の文化人と、とても縁の深い場所です。名だたる作家、評論家、翻訳者、学者たちが、ここをベースに活動していました。だから編集者として、ここには何度も通いました。
私が最初に勤めた中央公論社も、軽井沢に寮を持っていました。もっとも、その寮は社員が使うための福利厚生施設ではなく、筆者を長期間カンヅメにして執筆してもらうための場所でしたから、私自身は一度も利用したことはありません(笑)。
とにかく当時は、特に夏になると多くの作家が軽井沢に滞在したため、原稿集めなどさまざまな用事で軽井沢に来ていました。

― 仕事で軽井沢って、素敵ですね。
いやいや、用が終わればそそくさと東京に戻るんです。軽井沢でなにかを食べたとか、いい宿に泊まったなんて思い出はありませんよ(笑)。
入社して間もなく、初めて軽井沢に来たときのことは、よく覚えています。
当時は文学賞の選考会の前に、選考委員の先生方に直接候補作のご説明や相談をするのが通例でした。当時、井上靖さんや野上弥生子さんなど、文学史的な大家がまだ健在で、夏を軽井沢で過ごしておられました。そういった先生方を順に訪問するのです。「今年の候補作は、こういうラインナップになりそうです」とご説明してまわります。
いまと違って、メールも宅急便もない時代です。新入社員だった私は、大量の本を抱えて先輩の後に従いました。


― それが、最初の軽井沢での仕事。なかなかの重労働ですね…。
ただ、それ以上に、かつて作品を読んで親しんだ有名作家の謦咳に接することができるわけです。光栄ですし、貴重な機会です。贅沢な時間だったと思います。けれども、時代は移り、そういう方々も1人減り、2人減りして、気がつけば軽井沢は、次第に私とも縁のうすい場所になっていました。その切れかけていた縁を再び結んでくれたのが、あさま社を立ち上げた坂口惣一さんです。

坂口さんと出会ったのは、5年ほど前のこと。私が「ほぼ日の学校」の学校長をやっていたときに、受講生として来てくださったのが最初です。その坂口さんが軽井沢でひとり出版社を立ち上げる、と聞いたときには、びっくりしました。そんな大英断をしたのだ、と知って、すぐにメールを差し上げました。そして、久々にお会いし、そこから「軽井沢 本の學校」の話も始まります。

■「読書案内人」という次なる役割

― なぜ、「軽井沢 本の學校」をつくろうという話になったんですか?
実はちょうど、私自身、そういう「場」づくりをやりたいと思っていたんです。
というのも、当時、学校長を務めていた「ほぼ日の学校」を離れ、これから何をしようかと考えていました。自分のこれからの人生を考えたときに、漠然と、これからは「読書案内人」として本のコンシェルジュのような役割ができないか、と思っていたところです。
好きな本を静かに読みながら、悠々自適の時間を生きるという選択肢も、当然あったのですが、私はやっぱり、編集者の最後の仕事として、皆さんと本をつなぐ手伝いをもう少しできないものかと思っていました。

― もっと本の魅力を知ってもらいたい、というような?
そう。これだけ「活字離れ」が叫ばれ、実際に出版界全体の売上が年々下がっています。書店の数も減っているし、雑誌はどんどん休刊になり、書籍の初版部数も目に見えて減っている。重版の速度も鈍っている。こんな出版不況の時代に、自分にできることは何だろうか、と。
とはいえ、簡単なことではありません。いまの世の中には、読書の他にも楽しいことがいっぱいあります。情報も娯楽も溢れかえっているなかで、あえて「本」に目を向けてもらうのは至難のわざです。いったいどうやったら突破できるのか、とずっと考えている中で、私は「場」をつくることに、ひとつの可能性というか、大きな魅力を感じるようになっていました。

■「体験すること」の可能性

― 可能性?
先ほども触れたように、「ほぼ日の学校」で学校長を務めていました。その「ほぼ日の学校」で、『枕草子』についてのトークイベントをしたことがあります。古典文学の魅力を発信して雄寧なSNS界の人気者「たられば」さんをナビゲーターにしながら、山本淳子さんという、『源氏物語』や平安朝の女性文学を研究している先生を京都からお招きし、清少納言と紫式部とについて、同時代を生きたエッセイストと作家という切り口で語っていただきました。
まずびっくりしたのは、200人あまりの会場が、かなり若い世代の人たちで埋まったこと。20代の方もいましたね。なにかおもしろい話が聞けるのではないか、と期待してくださったわけです。

しかし、本当に驚いたのは、そのあとです。
山本先生は『源氏物語の時代』『枕草子のたくらみ』(どちらも朝日新聞出版)という本を出しておられたので、せっかくだし当日会場で本の販売をしましょうという話になって、それを版元に持ちかけました。すると、「そんなには売れないのではないか」と、けっこう弱気な反応が返ってきました。だから、「そんなことはない。あるだけ全部持ってきたらいいじゃないですか」と話してみました。
すると、なんと、本当に持ってきただけの本が全部売れちゃった!

― 完売!
あれには、みんなびっくりしました。
基本的に書店でやるイベントでは、一部の人気作家以外、それほど本って動かないんです。サイン本ならちょっと違うかな……くらい。今回はサイン本でもないし、しかも学術的なテーマの本です。それなのに、売れた。「こんなに飛ぶように本が売れた! ありえない!」って、みんな驚きました。


実は、それまでにも「ほぼ日の学校」では実証済みで、似たような体験を何度かしていました。トークイベントで直接じっくり話を聞いた人たちは、「もう少し勉強してみようかな」と思って本を買ってくれます。知らなかったことを知るって(それも思いがけないことであればあるほど)、喜びをもたらしてくれることだからです。興味のつなげ方ひとつで、人はこんなふうに動くものなのだ、ということを実感する機会が、それまでに何回もありました。本を買い求めた方々から、「こんなことでもないと決して読まなかった。いや、おもしろかった」と後日知らせていただくこともまたありました。「買って損した!」というクレームは一件もなかったです(笑)。

― リアルな場で体験したからこそ、興味をもってくれたんですね。
これはすごいと思っていました。
それまで出版社に勤めながら、いろんな本のPRやら、イベントをやりましたが、どうしても既存の枠組みの中でやると限界がありました。なかなか、本好きの人たち以上に広がっていきません。でも、「ほぼ日の学校」は違いました。そこに何かおもしろいことがありそうだ、と思って来た人が、「なるほど、こんなにおもしろいものか!」と、本の魅力に気づいてくれるんです。こんなに楽しい、豊かな世界があったのか、と気づいて、本を手にしてくれるんです。
「体験」って本当に大事なんだなと思いました。だから「ほぼ日の学校」を離れてからも、そういうリアルな場所をたくさんつくって、本のおもしろさを世の中にもっと伝えたいと思っていました。

― それで「軽井沢 本の學校」を立ち上げようと。
まさにその流れです。だから、こんな本を読んだら、きっとこんな刺激を受けてくれるんじゃないか。きっとおもしろがってくれるんじゃないか……そういう本の旅案内を、いろいろなテーマ、切り口でやっていきたいと思います。

■軽井沢と”再会”してみて

― このたび、時をあけて軽井沢との縁が復活したわけですが、久々に来た軽井沢はいかがですか?

なんだか新しいスポットになっているなと感じました。リモートワークが一般的になったのをきっかけに、新しく移住する人が増えたのもひとつの理由でしょう。若い頃軽井沢に来ていたときには感じなかった、未来の可能性を含んだ場所として、軽井沢と「出会い直している」気がします。
移住者が増えているという現象について、私は「新しい時間との出会い」を求めている人が増えた結果ではないか、と思っています。

― 新しい時間の流れ?
東京にいると、時間の流れって、一元的ですよね。極端に言えば、仕事の時間が生活全般を支配しているような。つまり「何かの目的を達成するためのプロセスとしていまがある」という感覚。でも、軽井沢に来てみると、もう来ただけで別の時間の流れがありますよね。

たとえば自分の家の庭に植物を植えて育てる。軽井沢の学校で自由に子どもを育てる。それ自体の持つ、違った時間の流れに接します。多次元の時間が流れているのが軽井沢の特徴のひとつだと思うんです。だから、東京の画一的な時間の流れにどこか息苦しさを感じていた人が、ちょっとそれに距離を置き、自分の時間を取り戻したいと感じて、無意識にも移住を選んでいるのではないか、と気がします。

― なるほど。
「何かのためにいまがある」という経済や社会のシステムに次第に閉塞感を抱き始めた人たちが、別の時間との出会いを求めて軽井沢にやってくる。これは、これからのトレンドになっていくのではないかと思います。

この軽井沢ならではの時間の流れって、そもそも読書に似ていると思いませんか? 本に触れるということは、筆者の書いた世界、物語の時間の中に入っていって、その中を生きてみること。つまり文学的な時間を体験して、また現実の自分に戻ってくるという、多次元の時間トリップの体験です。
軽井沢という場所は、その意味でも、まさに本にふさわしい場所だと思います。

■本にふさわしい場所、軽井沢で

― 今後「軽井沢 本の學校」で、どんなことをしていきますか?
鋭意検討中ですが、とにかく毎回、本にまつわるなにか突拍子もないことをやりたいですね。ヘンなことをみんなで真剣に考えて、大真面目に遊んでみる。この學校の面白いところは、そのヘンなことをみんなで一緒に体験して、違う背景を持った人同士で対話をすることだと思います。

同じ本を読んでも、そこで何を体験するかは、それぞれ個性に応じて違います。その異なる体験を、集まって互いに確認し合う。そこにこそ多様性があり、豊かさがあります。軽井沢という場所で、人と人とが出会い、おもしろい化学反応を起こしていく。「軽井沢 本の學校」を是非そういう場所にしたいです。

― 楽しみにしています。最後に、読者の方にメッセージをお願いします。

試食とか試飲みたいな感じで、まずは冷やかし気分で「軽井沢 本の學校」に気軽に足を運んでもらえたらうれしいです。何の役に立つかを考える前に、まずは体験しておもしろさを実感していただければ――。そのためにわれわれは、精一杯おもしろいメニューを用意したいと思います。

来てくださる方がいて初めて、そのメニューが輝きます。それがまた、この學校のおもしろいところです。だから参加者の皆さんは「消費する」のではなく、演じる側(プレイヤー)として参加していただきたい。みんなでおもしろい舞台をつくって、みんなで楽しむ。そういう循環を一緒に創り出せたらと思います。お会いできるのを楽しみにしています。

(取材・構成:安岡晴香)

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