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「シェイクスピア」は実在しなかった!? 【潜入レポ】 ライターが軽井沢で「夏の夜の夢」を演じてみて

3月19日(日)、第3回「軽井沢 本の學校」が開催されました(軽井沢の出版社・あさま社 主催)。約30名の参加者が軽井沢の地でシェイクスピアを味わった当日の様子をレポートします!

”本と出会う場所”をコンセプトにした体験型読書イベント『軽井沢 本の學校』。3月19日(日)に開催された第3回では、世界的戯曲家・シェイクスピアの作品を取り上げました。参加者が作品を演じ、体感し、自分の中に取り入れることで、作品そのものを五感で味わうイベントになりました。

講師としてお迎えしたのは、劇団カクシンハンの演出家、木村龍之介さん。そしてゲスト講師は、演出家のまんぼ(小山裕嗣)さんです。

講師の木村龍之介さん
ゲスト講師のまんぼさん

清々しく晴れた、軽井沢らしい朝。10時をまわると会場に、約30名の参加者が集まりました。軽井沢在住の方もいれば、首都圏から来た方も。会場は、軽井沢芸術倶楽部。そうそうたる顔ぶれから「軽井沢の迎賓館」とも囁かれた、由緒正しき施設です。

10時半、さっそく第3回「軽井沢 本の學校」の開校です。

本日のプログラムは全5幕構成。さっそく第一幕「ひらくよ、ワーク」のはじまりです。

■第一幕:ひらくよ、ワーク~五感を鋭敏にしながら、シェークスピアの世界に誘う~

軽井沢芸術倶楽部のロビー

「さっそく2人1組になってみましょうか」と声をかけたのは、講師ゲストのまんぼさん。まずは「どっちの手で握手?」のワークを行います。2人1組で向き合い「相手がどちらの手で握手するのか」を互いに1分間想像。なにかの合図で示すのはNGです。とにかく相手をじっと見て、心の中を読んでいきます。そして時間が来たら「せーの」で手を差し出します。無事に握手できたら成功です。「そんなの、見ててもわからない」と戸惑いながらも、何度か続けるうちになんと1組を除くほとんどのペアが握手に成功にたどり着きました。

続いては、楽器を使ったワーク。まんぼさんの「好きな楽器を手にとって、輪になってみましょう」の声に、思いおもいにさまざまな楽器を手にとります。イメージをふくらませ、それぞれ手に持った楽器を鳴らしてみます。イメージを音とリズムに託しながら、同時に、他の人が出す音にも耳をすませていきます。 だんだんと五感が目覚めていく不思議な感覚のなか、最後は「数字回し」のワーク。輪になった状態で「1」から順番に、1人1回自由なタイミングで番号を口に出します数えあげていきます。タイミングがかぶってしまったらリセット。
また「1」からカウントです。開始数分は、10までようやく数えられたと思ったら、リセット…を繰り返しました。そこで「一旦、一度耳をすませてみましょう」とまんぼさん。しんとした会場に耳をすませ、体の奥にあるセンサーを呼び覚まします。お互いの気配をしっかり感じながら再びトライすると27まで数え上げることができました。

五感を駆使して、そこにいる人の様子や場の雰囲気をしっかり受け取り、反応していくワーク。シェークスピアの世界に入るための準備体操になりました。会話も増え、場が温まってきたところで、第二幕の開始です。

第二幕 ととのえる。~シェークスピアの世界をのぞき込む~

講師の木村さんが、参加者に語りかけます

ここで、ソファのあるブースに移動。ゆったりと座りながら、シェークスピアの世界をのぞき込んでいきます。講師の木村さんが、笑顔で語りかけます。
 
木村「皆さんは、シェイクスピアという人や作品に、どんな印象があるでしょうか?今日ここにいる皆さんで演じてもらうのは『夏の夜の夢』という喜劇作品です。この作品は、軽井沢という場所にぴったりだと思って選んできました。ぜひ堪能していきましょう」
 
シェイクスピア作品の面白さについて、木村さんはこう語ります。
 
木村「シェイクスピアを見ていてホントに驚くのは、人類はこうやったら間違えますよ、失敗しますよというあらゆる例を、作品の中で見事に描いているところです。こうやったらだめ、こうやったらいいよが詰まっているんですよ」
 
そんな木村さんから参加者へ、ある不思議な問いが投げかけられます。
 
木村「シェイクスピア作品には、あまりにも面白い作品が多すぎて、こんな都市伝説もささやかれています。『実はシェイクスピアという人は存在しなくて、7、8人が組んだユニットみたいなものだったんじゃないの?』。まあ、都市伝説はあくまで都市伝説で、シェイクスピアという人が存在したのは事実です。でもシェイクスピアには、たしかにそう思わせる力があります。
では、質問です。もし都市伝説の通りシェイクスピアがこの世にいなかったとしたら、どうやって今ここにこの作品があるんだと思いますか?」
 
参加者は3、4人でグループになって、話し合いながら想像を膨らませていきます。
 
「人生に悩んでいる人に『人生ってこんなもんだよ』と伝えるために、いろんな人が書いていったとか?」
「『シェイクスピア』という市民活動だったんじゃないかな」
「人殺しとか、色ごととかの作品を全部『シェイクスピア』ってジャンルにまとめたんじゃない?」

さまざまな声が聞こえてきました。
 
木村「皆さん、いいですね。どれも正解です。シェイクスピア作品は、まるで人間の営みの連鎖のなかで作られてきたかのような、見事な作品ばかり。それを、人々は時代ごとに自分なりに受け止めてきました。シェイクスピアは、ある意味でひとつの『現象』になっていると僕は思っています。だからシェイクスピア作品にはもはや、こうでなくてはという形はありません。今日の劇だって、どんなかたちでも、なにが起きても、シェイクスピア作品です」

話は、今日演じることになる『夏の夜の夢』へ。
 
木村「『夏の夜の夢』は喜劇です。最終的に、それぞれの人生が全部うまくいくように書かれています。ぜひ今日は、そのエッセンスを持ち帰ってくださいね。家に帰ってから、自分が演じた役のセリフを覚えてみたり、別の役のセリフを言ってみたりすると、いい気づきがあると思います」
 
というのもシェイクスピア作品には、セリフに予言性があるのだそう。
 
木村「多くの劇では『登場人物がこう感じたからこう言った』という意味でセリフが書かれますよね。でもシェイクスピア作品はその逆。『こんな言葉を言ったら人間はこういう行動をとることになる』という予言を書いているんです。だから今日演じるときは、感情を言葉で表現しようとするのではなく、まず先に言葉を口にしてみてください」
 
『夏の夜の夢』上演の準備は進んでいきます。木村さんの「では、さっそくですが歌ってみましょうか」という意外な掛け声で、一同はピアノの前へ移動。配られた台本を見ながら、冒頭の妖精が出てくるシーンの歌を練習します。 

みんなでピアノを囲います

まずは歌詞を声に出して読んで、言葉の意味を感じるところからスタート。それからピアノのメロディに声を乗せて実際に歌ってみます。繰り返し歌ううちに、体に染み込んでいく心地よいメロディ。ピアノの音色とそれぞれの歌声が響き合い、場がより温まってきます。

第三幕 遊んでみる。~シェークスピアの言葉を感じてみよう~

休憩を挟んで、第三幕。
ここからはシェイクスピアが書いた原稿(日本語訳)に、目を通していきます。まずは第一幕の第一場。登場人物の王侯貴族シーシアスとヒポリタの会話を声に出して読み上げたあと、「このシーンでは一体なにが起こっているのか」をグループで話し合ってみます。

「そもそもこの原稿に、普通の本とは違うところはないですか?」という木村さんに「変わったところで改行されている」との意見があがります。しかしページをめくってみると、別の登場人物、職人クウィンスとボトムの会話では、改行の様子がまた違います。

「これって、なんでだと思いますか?」と木村さん。参加者からは「冒頭の王侯貴族の会話は、まるで詩のように改行されている。使われている言葉も詩みたい。でも職人の台詞は、普通の会話に近いように見えます」との意見が。王侯貴族と民衆で、言葉の書き方を変えているのではないかという気づきにたどり着きます。

木村「そうなんです。冒頭の王侯貴族の会話は、つまり詩なんです。この部分で王侯貴族シーシアスとヒポリタは「月」の話をしているわけですが、これが何を指しているのかは、明言されていない。観客に想像させる余地がありますよね。でも職人同士の会話は、いわば平民のおしゃべり。現実的な会話が続きます。このようにシェイクスピアは、貴族と平民を書き分けているわけです。
『夏の夜の夢』には、妖精の世界と、王侯貴族の世界、そして職人の世界という3つの世界が出てきます。最初はちょっと不幸だったそれぞれの世界が、共存して絡み合いながら、最後にちょっと平和になる。そういう作品です」

ホワイトボードには、役名がずらり

木村さんはホワイトボードに『夏の夜の夢』の登場人物をリストアップしていきます。リストを見ながら、作品のおおまかなあらすじと、それぞれの役柄の特徴を説明。それを踏まえ、話の設定を知るために、全員で第一幕の原稿を回し読みしていきます。

木村「さあ、ちょっと大きめの声で読み上げていきましょう。せっかくなので、前の人が読んで雰囲気をつないで読んでみましょうか」

読みながら、内容への理解を深めていきます。生の声で台詞を聞くと、作品世界への想像が膨らみます。

木村「いいですね。先ほどまんぼさんからもあったように、シェイクスピア作品の面白いところは、言葉が先にあって、言葉を口にすることでその気になるところです。いま、皆さんの目をみていると、その気になっているのがわかります。その調子で、午後もお願いします」

ここでランチ休憩。参加者はお弁当を味わい団らんしながら、演じたい役を紙に書いて提出。木村さんが配役を行います。

第四幕 飛び立つ。~シェークスピアの世界で生きてみる~

ランチ休憩のあとは、まんぼさんによるウォーミングアップを経て、体を温めます。そして、いよいよ配役発表。木村さんが役を発表すると、参加者は驚いたり喜んだりとリアクション。会場が一段とイキイキし、期待が高まります。

「では、さっそく動いてみましょうか」

の掛け声で、それぞれ関わりのある配役の人同士でグループをつくります。つかの間の練習時間。小道具を使いながら、役を自分の中に取り込んでいきます。妖精役は妖精、職人役や職人、貴族役は貴族…ただ集まって動くだけで、遠巻きに「どのグループが何の役を演じるのか」がわかるほど、雰囲気が出ています。

「さあ、時間です。本番を始めてみましょうか」
 
遊び心を大切に、それぞれが互いの目を見て感じ合いながら、ひとつの世界をつくっていきます。

それぞれの役柄で、
シェイクスピアの世界に入り込みます

演劇の経験は関係なく、全員がシェイクスピアの世界のつくり手になりました。ところどころで笑いやざわめきが起き、観客も演じ手も一様に引き込まれていきます。こうして劇が完成。演じきった参加者に、講師たちから拍手が贈られます。
「こんなふうにかたちになるんだ…」
「すっごく面白かった」

思い思いの感動を共有しあう休憩時間を挟んで、総括の時間です。

第五幕 言うべきことではなく感じたままを語り合おう

「皆さん、やってみてどうでした?」と木村さん。

「相手の様子とかリズムを見ながら、なんとか言葉を発して作っていきました」
「初めての演技をしたけれど、面白かった」
などの声があがります。



初めに木村さんからの講評です

木村「いい劇は、観客にキャラクターがしっかり見えるものです。でも、演じている本人の人となりが見えることも、いい劇のひとつの要素。今日は、そんな劇を見せてもらいました。素晴らしかったです」 

木村さん、まんぼさん、そして校長の河野通和さんが登壇し、感想をざっくばらんに語ります。最後にその講評の様子をお届けします。

■オンリーワンなリアルさがあった

河野「今日はずっと外側から拝見してました。最初のワークからどんどん高まって行く感じがよかったですね。
僕は『夏の夜の夢』はもちろん何度も観ているのだけれど、今日の発表を見てみて、リアルさにおいては今まで観たものはなんだったのかと思うくらい感動しました。上手な俳優さんがらしく演じるという整った感じではなく、むしろ破れ目があって、なんとも言えないわけのわからなさがあった。そこがタイトルにある『夢』らしいリアルを醸し出していました。オンリーワンの芝居だと思いました」
 
まんぼ「そうですね。演劇人ってね、舞台上でなにかをやろうとするんですよ。でも今日は、なにか色付けしようとか目立とうとかいうのではなく、フラットにみんなが演じた劇だった。だからこそ、オンリーワンなリアルさがありましたよね。何もない空間に、世界が浮かび上がってくる。僕も混じって演じてみましたが、ちょっと力が入ってしまいました(笑)」
 
木村「シェイクスピア作品って、つくり物じゃない人間のリアルが緻密に描かれています。そしてそのリアルは、人間なら誰しもが持っているもの。だか、そのリアルさに触れた瞬間、ドキッとしたり面白かったりするんですよね。
今日はまさにそんな劇でした。特に装置を立てたり衣装を着たりしていないのに、リアルな世界があった。たしかにあの場に妖精がいたし、登場人物がいた。すんなりと心に景色が入ってくる劇でした。
シェイクスピア作品が400年もの間楽しまれ続けてきた理由、そしてこれからも楽しまれ続けるであろう理由は、誰もが持つ人間のリアルさを描いているところにあるんだなと再確認しました」

■軽井沢という場所でシェイクスピアをやる意味

河野「木村さんは、軽井沢という場でシェイクスピアをやることを、改めてどんなふうに捉えていますか?」
 
木村「東京で演劇をやると、演劇は『興行』になることが多いんですよね。でも軽井沢だと、そういうことから離れられる。これが大きいと思います。
シェイクスピアの作品には、妖精や魔女など、目に見えないものが登場します。シェイクスピアは幼少期から田舎の森を駆け回って育ったので、そういうものがいると多分本当に信じていたんですよね。でも、そういった世界を都心で演じるとなると「妖精がいること」を感じるためにまず意味づけが必要になると思います。それが軽井沢のような場所なら、本当に自然に、妖精の存在を感じられる。軽井沢は、シェイクスピアが描いたものがすでに許されている空間であるような感じがするんですよ」
 
まんぼ「僕は軽井沢で暮らしていて、周囲の音が入ってきやすいと感じます。鳥の声とか、自然の音とか。そういうものに耳を傾けることで、なにかを発見したり、ちょっとなにか言葉を口にしようかなと思えるのが軽井沢。ぽろっと言葉に出してしまうというのは、東京より軽井沢のほうが起こりやすいなと感じます。思えばこれって、すごくシェイクスピア的ですよね。
今日ワーク中で何度か出てきたように、シェイクスピアの劇は、言語が先にあります。言語化して、考察して、発見して、事件が起こる。僕がいつもやっているチェーホフの劇はどんどん自分の内省を掘り下げていくものなので、真逆です。

だからシェイクスピアの劇は、全部の台詞を読んでいなくても、まず口にするだけですぐに作品世界に入っていけるんですよ。言葉の深さや言葉の広がりを楽しみながら作っていく作品なんだなと、今日改めて感じました。
今僕は、軽井沢とシェイクスピアという掛け合わせの可能性にワクワクしています。いつか軽井沢でシェイクスピアを演出できるように頑張ります」
 
最後に河野さんも気づきを語ります。
 
河野「本を読むというと、ひとりで黙読して向き合うという、ひとり旅的な行為に傾きがちです。でも今日は声に出して言葉を読む、しかもみんなと一緒に人の間合いを感じながら読むということをやりました。本を読むということの可能性を広げられて、學校としてもすごくうれしく思います。

私は最近久しぶりに東京から軽井沢に出入りするようになりましたが、やっぱりここに流れている時間は独特だなと感じます。東京には『こうしなきゃいけない』という画一的な時間があるけれども、軽井沢の時間はもっとたゆたっていたりとか、まったく別の時間の流れを複数持っていたりする。東京だと、演劇は非日常として切り取られた壁のある時間です。でも軽井沢では非日常のなかに、演劇がすっと溶け込んでいくんですよ。

軽井沢というこの場所でシェイクスピアを演じることの豊かさと可能性を感じました。今日は木村さん、まんぼさん、そして集まって下さった皆様、ありがとうございました」


軽井沢の地に集って過ごした特別な数時間。研ぎ澄まされた感覚を響かせ合い、かつてないかたちの『夏の夜の夢』が生まれました。参加者の皆様にとって、新鮮な体験になったのではないでしょうか。

あさま社では、今後も「軽井沢 本の學校」を開催します。(構成:安岡晴香)

▶▶▶軽井沢 本の學校の今後の授業はpeatexで情報発信していきます。

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次回は、「23年7月16日」に開催予定。テーマは夏目漱石の「夢十夜」です。ぜひ続報をお待ちください!

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