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スキは好きであって欲しいと願う

普段私が書いている氷水の様な文章からは中身が想像出来ないくらいロウメンティックなタイトルである。実際私もこのスウィーティな響きをどうしたものかと思っているのだがこればかりは仕方がない。そういう内容なのだから。

私が趣味で文章をネットに投稿し始めて十年以上が経つ。最初の五、六年こそやっきになって賞に応募していたがそのうち自分の書きたい事がなんというか一般ウケしない事実に気が付いた。そこからはもう自由にやっている。

最初はなろう。そしてカクヨム。その後アルファという遍歴を辿り今こうしてnoteに行き着いた。各所で駄作な長・短編を書きまくっていたが時折書くエッセイに実は一番ノリノリな自分に気が付いていた。だからここではほとんど小説を書かない。そういう意味ではnoteはいくらか他の場に比べて水が合っている気がする。なんせエッセイが多い。

余談だが書き始めの頃に青臭いだけの稚拙な文章で聞いたこともない、どマイナーな文学賞に応募した際に二次選考まで進んだことがあった。もうすぐ最終選考発表という段階になって運営からメールがきた。

「今度どこそこで昨年のグランプリ受賞者と今年の応募者を集めてワークショップをやるから参加しないか?参加費は数千円(飲食費別)」

という内容であったと記憶している。当時の私は色々な意味で青臭かったので行かないという選択をした。実際仕事も忙しく、何のための会か理解出来ないものに割く時間が単に惜しかった。

その結果かどうかは知らないが私の作品は最終選考に残れなかった。大人になった今、やや邪推ぎみに考えるならば彼らにとって私は都合の良い人間になり得なかった。だから選考落ちした。のでは無いだろうかと考える。


本題の回収に入るがnoteにきて様々な方から投稿へのスキ♡をいただいている。大変喜ばしいことだ。

かつての古巣であった各プラットフォームもそうだったが大体はアクセス解析がひと目で分かる。数年前、旧Twitterと連携させとにかくフォロワーを増やそうと躍起になっていた頃。私はあるジレンマを抱えていた。作品へのイイネは多いのにアクセスは低い。旧Twitterでもイイネやリツイートは多いのにリンクへのアクセスはほとんど無い。

つまりどういうことか。

旧Twitterに関して言えばフォロワーの人々はイイネやリツイートを沢山してくれるが実際に私の作品へ興味があるわけではない。ただ通りすがりにポチッとしてくれているだけ。これは仕方ない。元々SNSはそういう気軽さもひとつの利点である。

問題は投稿プラットフォームの方。こちらに関しては特に読んでもいないのにイイねをくれている。理由は人によって様々だろうが、多くは自分の作品への誘導だろう。正直言って個人的にはお互いに良くないと思う。全てに当てはまるわけでは無いが、こういう事をしてくれる多くの人々が二回目三回目がほとんど無い。それによって一時的に浮かれたモチベーションはその前よりも急激な落下をしてみせしばらく立ち直ることが出来ない。冷徹な言い方に思えるかもしれないがあまり生産性があるとは言えない行動である。要約するならば

その気が無いなら初めから期待などさせないでくれ。

という事が言いたい。

他の方は知らない。というか押し付ける事はしない。だが十年以上の活動の結果、私が導き出したストレス無くここいらで生きていく方法。それは私に限っていう事だが少なくとも作品を読んだ上で評価をしていただきたい。という事である。投稿にスキ♡を押すなら本当に好きであって欲しいのだ。その重さは大して問わない。めちゃくちゃスキだなあ!でももちろんだが、なんとなくスキだな。でも構わない。とにかくちゃんと読んでから押して欲しいだけだ。

自分の作品へ誘導するために読まないでスキ♡を押してくださった方。残念ながら私は貴方の作品を見ないだろうし、せめても礼儀でフォローをするだろうがそれはいつか貴方の作品で興味をひくものが出てきた時に見に行くつもりでやっている事なので申し訳ないがご期待には沿えない。

そういう意味ではnoteのユーザーは正直というか誠実な方が多いのか、アクセスとスキの数に妙な誤差は生じていない。今のところ。

今の状況が理想的だ。このまま読んでくださる方が増える事を願う。

読んでいて偉そうなだとも思うし決してポジティブな内容ではないと思う。しかしだからあえて先頭に固定して貼っている。

私は、貴方がせっかく押してくれた大事なスキ♡がせめて本当に好きであって欲しいと願っている。

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