焼きそばで白米を食べることができる人生

焼きそばで白米を食べられる人生で良かったと思う。

世の中には炭水化物と炭水化物を一緒に食べることが出来る人とそうでない人がいる。個人的にはどちらも正しくどちらかが間違っているなんて思わない。ただ人間はどうしても自分の価値観と相容れない考えを排除したがる節があり、それは誹謗中傷や差別の入り口になっていると言っても過言では無い。食べるもの食べないのも本人の自由である。私はただ単純に焼きそばやラーメン、うどんや蕎麦、ナポリタンなどと一緒に白米を食べる時に「ああ、こういう事をしようとも思わない人が日本人であってもこの世の中にはいるんだな。私はこの人生で良かった」と思うだけだ。それはもう幸せである。

私はソース焼きそばが好きだ。カップ焼きそばも好きだし、家で作るチルド麺も好きだ。屋台の焼きそばだけは味が極端に薄いものが多いせいか好きでは無い。だがあれが好きな人もいるだろう。蓼食う虫も好き好きである。

とにかく焼きそばが好きである。付け合わせの紅しょうがももれなく好きだ。あればあるほど良いのが紅しょうがであるが、家にあると何故か不思議と使いきれない。

紅しょうが通して思わぬ出会いがあったことも書かねばなるまい。

数年前に期間限定で発売した焼きそば牛丼をご存じだろうか。大手牛丼チェーンのすき家から販売された悪魔的メニューである。その名の通り牛丼の上に焼きそばが乗っている。炭水化物と炭水化物のガッチャード。

初めは「こんなギャグみたいな食い物うまいわけがない」と、たかを括っていた。しかし食わず嫌いは良くないと一度立ち止まって考えてみることにした。牛丼も焼きそばも、なくてはならない莫逆の友として紅しょうが存在している。同じ友を持つ者同士、果たして相性が悪いだろうか。私は気が付けばすき家のカウンターに座り焼きそば牛丼を注文していた。

結論から言えばこいつがめちゃくちゃ美味かった。想像を遥かに超えた産物であり、ここ数年間ではTOP5に入る個人的な大ヒット作であった。

濃い味の焼きそばをかっこんだ先に牛丼があるという非日常。俺は焼きそばを食っていたと思ったらいつのまにか牛丼を食っていたんだ。そんなありのまま起きた事を説明する相手もいない、孤独なすき家のカウンターで私は人生の伴侶に出会った気分であった。期間限定だったけど。

焼野原流紅しょうがかけ過ぎ牛丼(詳しく知りたい方は「目玉焼きの黄身いつつぶす」という漫画を読んでください)をこよなく愛する味覚異常者の私からすると、この二つを山盛りの紅しょうがとかっ込む幸せは筆舌にし難い。食欲を満たされる快感とは別の、排他的で刺激的な快楽が箸をすすめる度に私の脳を貫いていく。絶対身体に悪い!と分かっていて食べる物はより一層に美味い。

ナポリタンライス定食も同じ部類である。ナポリタンとご飯と味噌汁。これがまた美味い。まずまずもってナポリタン自体が喫茶店の気取らないスパゲッティのひとつであるからして、こういう下品な食べ方でも全然いけてしまうし、むしろ本領発揮している感がある。

ケチャップと絡まったピーマン玉ねぎそして申し訳程度のソーセージ。それらとぶくぶく太った麺をご飯と一緒にかっ込み、具のほとんど無い味噌汁で流し込む。全て食べ終わった後に飲むアイスコーヒーがまたひとしおに美味い。

レトロ風を気取った昨今の店では定食がないのでなかなか出来ないだろうが、ちゃんとした昔ながらの店であれば「いいよ」のひと声でマスターが出してくれる裏メニューである。

昭和の臭いがぷんぷんする、身体に悪い排他的なメニューばかりだが、こういう事を平気でしていた時代があり、今でもそれに囚われている私は幸せなのである。







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