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[短編小説]山形グルメメモリー

注意
ココナラにてご注文いただいた作品の掲載です。
依頼は「山形にちなんだ小説orエッセイ」でした。
以下本文です。
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山形グルメメモリー

 山形市というと何が浮かぶだろう。
 ラーメン、蕎麦、芋煮、玉こん、どんどん焼き……僕が真っ先に思い浮かべるのは食べ物ばかりだ。もちろん、観光だってある。文翔館は立派な建物で目を奪われるだろうし、山寺の石段を登り切った先の絶景も捨てがたい。温泉も数多く、学生の頃はよく百目鬼温泉に行ったものだ。とはいえ、田舎の娯楽といえば食事がメインだろう。そこに住んでいると、観光地にはなかなか訪れない。
 娯楽というと高校生ならカラオケや映画なども入ってくるだろうか。今の子はスマホさえあればどこでもいいのかもしれない、という気もする。スマホばかり見ているというお叱りではなく、スマホを通して世界と繋がっているのだ。僕自身はスマホネイティブ世代というわけじゃないけれど、物心ついた頃には2ちゃんねるを見ていたものだから、ネットを介したコミュニケーションやコミュニティにはシンパシーを覚える。そんなネットコミュニティの片隅で、僕はちょっとした「遊び」をしていた。突発オフ会と呼ばれるものだ。
 2ちゃんねる(という名前も懐かしい)で匿名の誰かとオフでちょっとした集まりを企画する人たちがいた。彼ら彼女らに混じって、名前も知らない誰かと、ペットボトルを片手におしゃべりしたり、カラオケに入ったり、おいしいお店を教えてもらったり……当時浪人生だった僕は、ここで山形の「うまい」によく出会った。ラーメンにハマったのもこれが原因だ。おかげさまでぷくぷくボディに育ってしまったが恨んではいない。後々、山形で大学生になってからも教えてもらったお店には大変お世話になった。名前もわからない彼らのおかげで、僕は豊かなグルメライフを友人らと満喫できた。ことラーメンにおいては「あいつに聞けば間違いない」と指名されるほどだった。
 ラーメンという「ツール」がグルメの美食的本質とは別の魅力をもっていることに気づいたのも学生の頃だ。ラーメンほど嗜好が分かれる料理はなかなかない。背油醤油、煮干し・アゴ出汁、濃厚味噌、くっさい豚骨、二郎系、エトセトラ……「これしか食べられない」という人もいれば、「あれもこれもウマイ」という人もいる。ラーメンは人をあらわすのだ。僕はなんでも食べられる人だから、相手に合わせて「これはいかが?」とたずねる。そうして「山形のウマイ店」を紹介するのだ。山形と人を繋いでくれるのがラーメンだ。
 山形市のラーメン個人消費は全国一位というだけあって、レパートリーも豊富だ。特に醤油系が強いが、他だって負けていない。煮干しなら強弱を選べるし、あごだしが強い「麺場くうが?」のラーメンは著者ダントツのオススメだ。「鬼がらし」の辛味噌ラーメンは辛さ自在で食べる人を選ばない。蕎麦屋でラーメンが出てくるのも山形くらいだろう、しっとり和風出汁の効いた醤油は病みつきになる。がっつり食べたいなら二郎系も数多い。冷やしラーメンは一度食べてみる価値はあると思うし、天童まで足を伸ばせば「水車生そば」の鳥中華がある。……こういった数多のラーメンを、自分も教えてもらったし、開拓もしてきた。特に麺がうまいお店が多いから、安心して推せるのだ。ネットを介して知り合った人がいるように、ラーメンを介して僕は人や山形と繋がっている。山形に来たら、ぜひラーメンを味わってほしい。
 ラーメンばかりではない。田舎あるあるかもしれないが、山形も蕎麦がうまい。田舎そばは香りが強く、麺が太目だ。そして喉越しを味わうのではなく、もぐもぐと噛んで楽しむ。ざるならそばつゆにざぶんと潜らせてつゆごとすするのが田舎スタイルだ。それでも蕎麦の香りが強く損なわれないからしっかり蕎麦を味わえる。東根の「伊勢そば」は極北的に太すぎるが、興味がある人は挑戦してほしい。この沼を味わえてしまう人は、もう他では満足できないだろう。河北の肉そばも忘れてはいけない。コリコリとした鶏肉が乗っている蕎麦だ。温・冷どちらも楽しめるが、蕎麦の食感は冷たい方が格別だ。冬だろうが冷たい肉そばを食べる人は少なくない。お店によってセットは異なるが、ソースかつ丼や納豆餅と合わせるのも満足度が高い。
 おやつにどんどん焼きはいかがだろう。薄めの小麦粉焼きを箸にくるくると巻きつけた粉ものだ。ソースをたっぷりと絡めて食べると、得も言われぬ幸福感に満たされる。山形県民のソウルフードだ。祭りの縁日といえばどんどん焼き、という人も多いだろう。手軽に食べに行くなら山形駅西の「おやつ屋」が味のレパートリー豊富でいいけれど、個人的にはヨークベニマル落合店内の「coco夢や」がオススメだ。どんどん焼きは生地のふっくら加減で味や食感が大きく変わるのだけど、ここのどんどん焼きはもっちりとしていてうまい。初心者も食べやすく、最後まで飽きずに食べられるだろう。思い出話になるけれど、かつてあった「屋台や」というどんどん焼き屋が永遠のマイフェイバリットだ。あの店を超える店が出てきてくれることを今もずっと心待ちにしている。
 食べ物の話ばかりで申し訳ないけれど、他にもたくさんのグルメが山形には眠っている。レストランやカフェだって、都会に引けを取らないお店が山ほどある。むしろ山形だからこそ、山形と繋がっているからこそのお店は魅力的だ。表には出さずとも、町と育った歴史を感じる店は多い。老客の多い店は特にそんな空気がある。そして、看板を下ろすお店もまた多い。事情は様々だけれど、よく「もっと行っておけばよかった」と思ってしまう。そういう人はきっと多く、だからこそ看板を下ろすことにもなってしまうのかもしれない。外食にずっと行ければもっと多くの店を支えられるかもしれないけど、それは夢物語だ。だからこそ、その味が楽しめなくなる前に、空気が消えてしまう前に、好きな店には通わないといけない。僕は今までなんとなく行っていたけれど、最近は「いつ来られなくなるかわからないんだ」と思いながらお店の暖簾をくぐっている。そうして「また来られますように」と祈りながら後にする。好きな店がずっとあってほしい、そんなワガママをずっと言っている。
 好きな店や料理がありすぎて、僕は山形を離れるのが怖い。
 これらを味わえなくなってしまうのが何より恐ろしい。
「他でもおいしいものはあるでしょ?」と思うかもしれないけれど、僕にとっては、山形の味がすべてだ。よその味がダメというわけではない。むしろ旅行では味わっている方でもある。けれど、帰ってくる味はここなのだ。あの店、この店、それらが僕を作っていて、「ただいま」とでも言うように暖簾をくぐりたい。そんな不安と欲望が、僕を山形に根付かせている。
 思い出の味がある。特別にきらめいたものではないけれど、確かに僕の人生の一瞬にあった味だ。それらの味を口にするたび、思い出が蘇る。味にも記憶が宿っている、と思う。あの人と食べた時はあんなに美味しかったのに、ということもしばしばだ。嬉しかった時の味を忘れない。悔しかった時の味も忘れない。どんな時も、お店は僕を迎えてくれた。これからも繰り返すだろう。味に記憶を乗せて、食べるたびに味わいが深くなっていく。地元のお店に通う楽しみだ。また来られますように、と祈ることも忘れない。
 そうして、僕はまた暖簾をくぐる。

〈了〉

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