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アサイゲルマニウムについて知ってもらうために

はじめに

アサイゲルマニウムは1967年に初めて合成されました。世界で初めて、生理的有用性を期待しつつ創製された水溶性有機ゲルマニウム化合物です。
ぼくが所属する株式会社浅井ゲルマニウム研究所の創設者である故浅井一彦博士が着想し、「人の生命にかかわる物質」として生み出されました。現在2023年、初合成から実に56年が経過しています。
ぼくの人生の半分はこのアサイゲルマニウムの研究とともにありました。様々な経験をとおして、四半世紀におよぶ付き合いの中で見つけたこと、それはアサイゲルマニウムは非常にMysteriousな分子で、ヒトを始めとする生命体に対して極めて重要な働きを持ち、特に人類の健康面では生命の質と表現できるQuality of Lifeを向上させられるものだと確信するに至ったのです。
ゲルマニウムという元素が希少なため、アサイゲルマニウムは安価ではないのですが、それでも皆さんの健康に様々な形で役立てるであろうこの不思議な物質を知っていただき、秘めている力を体感して頂く機会が増えれば幸いです。このnoteに、ぼくの知るアサイゲルマニウムについて、そして研究をとおして明らかにされた科学的根拠をともなう知見を記していきたいと思います。
一人でも多くの方々に知っていただき、健康に役立てていただきたいから。

アサイゲルマニウムの生まれた経緯の概略

浅井先生は石炭学の研究をドイツで行い、戦後すぐに日本で継続して復興のために必要と考える石炭に関する研究の中でゲルマニウムが木質部(ビトリット)というところに存在していることを見出しました。植物の化石としての石炭の木質部に存在するゲルマニウムを植物の生育と関係している可能性を期待しつつ、当時の植物を集めてゲルマニウム含量を調査しました。結果として明らかになったのは、漢方薬として重宝される薬用植物中に高含量であることでした。詳細は割愛します(先生の自伝『ゲルマニウムと私』をお読みください)が、ゲルマニウムが生命、そして疾病に対して有用性を発揮するのではないかと着想されたのです。1950年代後半の出来事です。
当時、浅井先生は日本の戦後復興のために必要なのは石炭産業であることを踏まえて、財団法人石炭綜合研究所を立ち上げて東大卒の若者たちとともに日夜研究を続けていました。そして、及川浩研究員(後に東洋大学の教授になられた)が中心となり、浅井所長の指示の下で有機ゲルマニウム化合物の研究が行われていったことが石炭綜合研究所の年報誌に記録として残されています(浅井ゲルマニウム研究所所蔵)。その後、15年ほどかけて水溶性の有機ゲルマニウム化合物の合成研究が続けられ、冒頭に述べたように1967年に初めて合成に成功しています。1968年の日本化学会第21年会にて「β-シアンエチルトリクロルゲルマン誘導体の合成」というタイトルで石炭綜合研究所(炭研)の及川浩、柿本紀博によって発表され、世に出ました。
この当時、石炭産業はエネルギー転換による石油への置き換わりで斜陽になり、そんな中で浅井先生は私財を投げ売って研究につぎ込み、やっとのことで水溶性の有機ゲルマニウムを創り出すことに成功したため、石炭綜合研究所は閉じることになっていったようです。その後、浅井先生はご自身のゲルマニウム化合物=私のゲルマニウムと呼んでいたことが著書からわかります。浅井’sゲルマニウム、すなわちアサイゲルマニウム(浅井ゲルマニウム)です。
こうして作られたアサイゲルマニウム;カルボキシ・エチル・ゲルマニウム三二酸化物(GeCH2CH2COOH)2O3)が不思議な運命の船出をし、55年の航海を経て今に至っているのです。

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