見出し画像

運命を変えるアサイゲルマニウム3(魅せられた三名の医師たち)その2

② 酒井良介医師の運命を変えたアサイゲルマニウム

酒井良介先生はアサイゲルマニウムを最もよく知る医師の一人だった。いや、何人かのうちの一人だったというより、それこそ最も知る医師だった。なにより、ゲルマニウムクリニック・・・とも言える成城クリニックの院長として、ぼくが入社した当時は労しておられた。
酒井先生はその名の通り・・・関係ないか・・・お酒好きだった。日本酒が非常に似合う、素敵な先生であった。ぼくがまだ若かった頃、時折行われる販売拠点の勉強会に呼ばれて研究成果を紹介する為に成城に出向いていた。そんな時は酒井先生も参加され、ぼくの研究成果を聴くのを毎年楽しみにしてくださっていた。
いやぁ。中村さん、今回も面白いねぇ!(笑)僕は専門が血液だったから、この辺の赤血球の話は非常に興味があってねぇ。アサイゲルマニウムがこんな風に赤血球の代謝を早めるというのは、本当に胸がワクワクして毎年楽しみなんですよ。僕が勉強したのは、もう大昔なんで、長崎大学の医学部にいた頃だから、もう本当に古い時代なので、もう一度勉強し直さなきゃいけないなぁ(笑)わははは」と、ほぼ毎年喜んでいただいたのを覚えている。やがて、どういうわけか、このぼくがこの成城の販売会社の社長を仰せつかった。販売会社ができる前、酒井先生は成城クリニックの院長だったので、そのクリニックの跡地(事務所)を用いて始められた販売会社にも度々おいでになった。ただ、ぼくが社長になった頃は、酒井先生は娘さん家族が住む函館に転居されていたので、酒井先生が上京した際に、懇親の機会を持つ程度だった。
むしろ、函館にぼくが帰っている時に行う、4月に年一回行われる研究報告会で会う事が多かった。

研究報告会後の懇親会でビールと焼酎同時が酒井先生スタイル(笑)

酒井先生は、成城クリニック院長をされている期間に浅井ゲルマニウム研究所の薬事法違反事件に巻き込まれた。本当に大変なご苦労をされたはずだ。アサイゲルマニウムの素晴らしさ、不思議な力を最も知る医師だからこそ、そのアサイゲルマニウムを取り上げられて使えなくなり、終いに警視庁で取り調べを受けるというのは青天の霹靂であり、大いなる屈辱だったろう。
酒井先生ほど、様々な疾患の方々にアサイゲルマニウムを勧め(処方し)、その不思議な有効症例を数多く診られた医師はいないだろう。伝説として、5階にあったクリニックの診療待ちで、階段に1階に至るまで行列ができた時代があったという・・・。逆に言えば、そのようなゲルマニウムブームが疎まれ、会社のチカラが不足していたこともあり、医薬品になることなく、告発や訴訟へと進んでいったのではないだろうか。

もちろん、酒井先生はアサイゲルマニウムに出会い、そのチカラに魅了され、クリニック院長として直向きに邁進された訳で、その意味で運命は変わっていたであろう。しかし、運命はさらに大きく変わり、アサイゲルマニウムを一旦は手の内から手放さなければならなくなったのは運命のイタズラである。

さて、薬事法違反後も、結審してから後、酒井先生には浅井ゲルマニウム研究所社員の健康を守るべく、産業医よろしく社員の健康診断結果を見つつ個別に健康指導を毎年実施していただいた。
「あ、つぎは中村さんか!うん、いいですねぇ。ちょっと中性脂肪が高いけど、しっかり運動して、よく寝て、よく食べて、よく出して・・・快眠・快食・快便ってね。この3つをしっかりして、あとはゲルマをしっかり飲んでれば健康はバッチリだから。あと、研究のね、赤血球の話はまた楽しみにしてますからね」と、毎年励ましてくれたのは忘れない。あと、「僕は医者と歯医者が嫌いでね。歯医者嫌いだから、歯がこんなになっちゃったんだよ(笑)ゲルマ齧っとけば痛くなくなっちゃうしね(笑)」と屈託なく抜け揃った歯茎を見せてくれたのが忘れられない。
そんなワケで、ぼくは「アサイゲルマニウムで口腔内の痛みは取れるけど、それと別に原因はちゃんと取り除いてくださいね」、と取引先のお客様などにお伝えしている(笑)歯が無くなっちゃうと困るからね (^_^;)

年一度の健康問診後の懇親会にて(2007年)

先生は漢方に精通しておられ、常々「ゲルマはねぇ、漢方に似ているんですよ。西洋薬のようにね、何かを止めてしまうものじゃなくて、促すような働きが独特でね。氣・血・水ってね!ほんとにゲルマは凄いんだよねぇ。まぁ、大体のことは大概ゲルマをしっかりたくさん飲めば良くなっちゃうから。本当に皆さん助かってるんだよねぇ(笑)」と話しておられた。

酒井先生のインタビュー記事も50周年の記念冊子に掲載されたので、中村篤史先生の院長ブログに紹介されて読むことができます。(ここでは紹介しないですが深澤肇医師のインタビューもありますので御覧ください)

このインタビューで130歳を目指すと言っておられた酒井先生も、コロナ禍の最中に函館で逝去された。医師としての使命を終え、晩年一人暮らしをされる中で、少しずつ弱られたように感じる。
ぼくは医師ではないが、医師は生涯が終わるまで、患者と接するのが幸せなのかもしれないような気がする

ぼくは販売会社の社長をしている頃、エンドユーザーの皆さんと会う機会をかなり多く得た。その度に、酒井先生のことがエンドユーザーの皆さんから話題に上がった。多くのユーザーさんが成城クリニック時代の患者さんたちや、ご家族で、アサイゲルマニウムの再興を願って待って下さり、健康食品になっても戻って購入してくださった方々だった為、酒井先生に診てもらった人たちだったからだ。
私は、(私の家族は)酒井先生の指導でアサイゲルマニウムを飲んだおかげで今も生きているんです。先生にあったら呉れ呉れも△△が宜しく言っていたとお伝え下さい」「今年も先生にお酒を送りたいんだけど、飲んでくれるかしら。お父さん(旦那さん)が助かったのは酒井先生が〇〇カプセル飲めば大丈夫だから!と言ってくれたおかげなんです!
「夫は末期癌だったのに、クリニックで酒井先生に大丈夫だから、と励まされ、治療してた別の病院で(切除)手術のためにお腹を開けたらガンが無くなってて、間違いだったと執刀医が閉じたんですよ(爆笑)」こんな声かけを全国どこへ行っても聞いてきた。酒井先生は、それだけ信頼され、死ぬはずだった患者さんたちをアサイゲルマニウムによって救ってきたのだ。
その度に、ぼくの気持ちは引き締まる思いだった。ぼくに出来ることはなんだろうか・・・

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?