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夏油傑とかいう愚かで美しい男

こんにちは。普段は臨床心理士として生活している浅井音楽という者です。

突然ですが今回は『呪術廻戦』の夏油傑について個人的な感想を書いていきます。よろしくお願いします。

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夏油傑は「責任に依存し、意味に溺れた男」だ。

彼は作中でも明確に浮いた立ち位置にいる。

『呪術廻戦』は、呪い呪われるという連鎖を通じて「継承」の負の側面を色濃く描いている作品だ。中でも「御三家」に生まれた人間の多くは「家」に対し良いイメージを持っていない。この作品において「家」は、個人の自由を制限し「役割」を与え、構造を再生産する装置として現れる。生まれながら刻まれた生得術式と合わさって、作中人物のほとんどが、あらかじめ呪いと共に生きることを強いられている。

だが夏油の場合は一般家庭からのスカウト組であり、呪いと共に生きるかどうかを選択する余地があった。しかしこの「選択する余地があった」ことが悲劇を生んだとも言える。

スカウト組の代表的な人物として、七海と東堂が挙げられるが、両者とも「呪術師とはどう在るべきか」について思考を巡らせ、深めていった様子が見て取れる。スカウト組である彼らは、その道を押しつけられたのではなく「自分で選択した」。そのため己の力に、理由や責任、自分が苦しむ意味、生きる意味を上乗せする必要があったのだ。

芥見下々,2020,『呪術廻戦』8巻,集英社,p85

「呪術(ちから)に理由とか責任を乗っけんのはそれこそ弱者がやることだろ」
→それはそう、弱者が弱者なりに頑張ろうとするにはそれなりの理由が、強者が暴君にならないためには責任という枷が必要なんだ

何かを選択し、その責任を引き受ける。それは人間が自由であることの表裏であり、人間らしさを構成する重要な要素でもある。責任とはその人が背負うと決めて引き受けるものであって、押しつけられるべきものではない。

しかし選択に伴う責任は、ときに倫理観や罪悪感と結びつき、強固に人を絡め取る。「選んだのは自分だ」という自負は、きっかけひとつで自分を縛る呪いに反転する。

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