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自分の哲学を持とう


みなさんは自分の哲学を持っていますでしょうか。僕は自分が自分であることの意味や、自分はこの先どうしていきたいのか、どうなっていきたいのかをここ最近よく考えます。

僕は中学生あたりから当たり前について疑う癖がありました。

偏差値の高校に行かないと良い大学に入れない。良い大学に行かないとお給料のいい企業に就職できない。

なぜ僕らは社会に出てからあまり使うことのない勉強に時間を使うのでしょうか。

数学や国語、日本史、世界史なんかは大事だと思いますが。ただ歴史においては多角的な視点から時代背景を追うのではなく年号でこの時何があったとか、ただの暗記ゲームでしかありません。

なぜ義務教育には自分が学びたいことを選んで学ぶ権利がないのか僕は疑問でした。

学校という場所は平均的な、上からの命令にきちんと従う労働者を育成するための訓練所でしかないんですよね。だから成績で評価される。できないことはできるように努力させられる。本人の意思に関係なく。

大半の人は社会に出たら勉強をしなくなるそうです。僕には知りたいことが山ほどあります。世界の真実をこの目で確かめたい。

みんながこう言ってるからきっとこうなんだろうで済ませたくないんです。

僕らは誰かの意見に踊らされているんです。本で読んだこと、誰かが言っていたことをさも自分の意見かのように話す。

自分の哲学というのは一年や二年で持てるものではないと思っています。日々の積み重ねの中で常に疑いを持っていろんな角度からものを見て蓄積されたものが自分の中でミックスされて出来上がっていくのだと思います。

スタート地点は自分はどうしたいのかということです。この人生で何を経験したいのか、悔いのない人生とはどんなものかを常に問いかける。

幸せの形は人それぞれでいいんです。誰かに憧れる必要なんてないんです。答えは自分自身の中にしかない。見つからないなら見つかるまで問い続ける、歩き続けるしかないんです。幸せを探すのもまた幸せの形かも知れません。その過程は振り返った時必ず自分を豊かにしてくれます。

僕らは何かをやりたいと思った時にできない理由を探し始めます。でもそれが本当にやりたいことなのかは実際にやってみないとわからないものなんです。

周りがどうとか、世間の常識とか考え始めたらキリがありません。スタートサムシングです。

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