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人生を変えるための学問「僕たちはどう生きるか」〜結末から考える人生のシナリオ〜


みなさんは今日が人生最後であるとしても悔いのない生き方ができているでしょうか。やりたいことがあるけどやれていない。過去には戻れないとしてもあの時のあの人にまた会いたい。人生は常に今の連続で、歩いてきた道の上に今がありますよね。その道は父と母から始まり遡れば宇宙の始まりまで辿り着きます。僕らはどこからきて何処へ向かうのかというのは人類の永遠のテーマですね。

僕たちは生まれる場所を選べません。親ガチャと言うフレーズが一時期流行りましたよね。僕は幼い頃両親の仲がとんでもなく悪く親が殴り合いの喧嘩をしている姿を目の当たりにしたり、僕自身も物凄い剣幕で怒鳴られたり、家を追い出されたり、蹴られたり、と虐待に近いものを受けたこともありました。

今そういった状況にある方、過去同じような境遇にあった方もいらっしゃるかと思います。当時の僕は「何で僕がこんな目に遭わなきゃいけないんだ」とか「運悪いな」とか日々思っていました。小学校6年から中学あたりがピークで毎日ちょっとしたことでスイッチが入って僕が止めに入らなかったら殺し合い寸前というところまでいく日もありました。しばらくして近くに住んでいた父方の祖母が見かねて家族全員で話し合いをし、完全鎮火とまではいかないものの火は最小限に収まりました。

そこから月日が流れて専門学校の卒業間近という時に僕が就活をしていなかったことが両親に知れてまた僕と両親の間に確執ができてしまいます。「高い金払って専門まで行かせて何で服の道に進まないんだ」と散々言われました。

当時の僕は気がつかなかったのですが、今思うのは両親の言いなりになることが嫌だったのだと思います。勉強しろ、休まずに学校に行け、ちゃんとしたところに就職しろ。全部の期待を裏切る方向へ進んできた。そんな反抗を通して親の愛を確かめていたのかもしません。こんな言うことを聞かないダメな子でも見捨てない親なのかどうか試していたのかもしれません。

僕の両親は最初は反対派するもののいつも最後は「頑張りなさいよと」暖かく見守ってくれました。親の誕生日だってろくに祝ったこともないし、何一つとして親孝行なんてできてません。

問題や仲違いは時間が解決してくれるものなのか今は不思議とお互い近況報告したりして仲良くやっています。そして僕は今本当にこの両親の元に生まれて良かったと思っています。

親とも誰とも関わりたくないと、これまで仲良くなってもすぐ疎遠になってしまったりと避けてきましたが結局のところ人はいくら自由とお金が手に入っても人の間にいる時にしか幸せを感じる事ができないのかもしれません。「人間」とはそんな意味が込められた言葉なのではないかとふと思いました。

本名を「旭」と言うのですがこの名前のおかげかそんな運命なのかどんなに辛いことがあって落ち込んでも最後は前を向いて歩こうって思えるんです。

今両親と仲が悪かったり虐待された過去があって許せないと言う人がいたらその経験から自分が何を得たのか今一度思い返してみてください。

僕が得たものは人の怒りの沈め方や対処方法を知ることができたということと、何をしたら何を言ったら人が、ましてや子供の心が傷つくのかを知れたことです。

子供の心は本当に些細なことで傷つくし、ほんの小さな優しさで愛を感じることができます。


親が間違えたのなら自分が正していけばいいのです。当時の親と同じ立場だったら自分はどうしているか。そこを思い返して考えるだけでも意味のあることだと思います。どんなに辛い過去だとしても必ずそこを乗り越えていかなければならない日が来ます。乗り越えない限り目の前の問題は何度も僕らの前に姿を変えて現れます。

僕だって辛くなって死にたくなることもありますがそんな時、僕は今事故や事件で死なないってことは何者かに生かされてるんだな、まだ僕にはやるべき事があるんだなと考えるようにしています。

この世の全ては陰と陽です。光と影、プラスとマイナスです。生きていればいいこともあるし悪いこともある。陰と陽の世界を体験する事が僕たちが生まれてきた理由なんですね、きっと。また人生は上り坂、下り坂、まさかとかってよく言いますよね。

色々ありますけどあなたが今無事に生きているならあなたにはこの世でまだやるべき事があるんです。あなたの命はあなたが守ってあげてください。それがまた他の誰かを救うことにもなります。

長々と思いつくままに最近思うことを書いてまりましたが気を取り直して、新学期ということでお互い頑張っていきましょう!

ありがとうございました。



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