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服が人をつくる


衣、食、住、の中でみなさんが一番重きを置くのはどこでしょうか。僕は物心ついた時から衣つまり服なんです。

小学生の頃から僕はいつも親の買い物について行って自分で服を選んでいました。母親に選んでもらった服が気に入らなくてジジ臭いと言われながらくすんだ色の服やジーンズを選んで着ているような子供でした。

ナポレオンの言葉に「人は着た服の通りの人間になる」という言葉があります。この言葉は最近知ったのですが、それを身をもって体感した事が幾度となくあります。

高校生の頃、私服校で、自分に自信が持てなかった僕は雑誌やYouTubeでオシャレについて研究していました。「人からカッコいいと思われたい。」そんな一心で勉強そっちのけで、古着屋でバイトしたり、自分でリメイクしたりして遊んでいました。そんなことをやっているとやはり長野の田舎なので当然注目されるんですよね。「その服どこで買ったの?」とか「お洒落だね」とか言われるんですよ。

高校生でバイトをしていると言えどお金がなかったのでGUやユニクロとかで買える服をいかにカッコよく着こなすかみたいなことでそこに命をかけていました。時々ZOZOTOWNとかで奮発してHAREなんかを買ったりして。

そこで僕はかなり前向きな性格になっていくんです。不思議なことに。中学生の頃人前で話すなんて考えられなかった僕が高三になって生徒会の役員まで務めるようになっていました。

その頃には奇抜な方に走り、青いシャツに赤いパンツなんかを合わせたりしていました。

最初はものすごく反対していた担任の先生も僕の本気度を感じてくれたのか服を作りたいと相談した時に家庭科室を貸し出してくれる手配をしてくれたり、テストで赤点取っても免除してくれたり、色々周りの状況も変わっていったんです。それで文化服装学院に進学することになる。

僕は独学で服を作るようになって初めて他人のために作った服が僕の祖父のシャツだったんです。モスグリーンのコーデュロイシャツでした。祖父はその服を亡くなるまでの数年間、毎日のように着てくれていた。その服は一昨年亡くなった時に一緒に棺桶に入れられて天国まで届いたんです。
祖母がお気に入りのシャツだから届けてあげようと。

人があっての服なのか、服があっての人なのか。学生時代僕はずっとそんなことを考えていました。こうなりたいと思った時僕は必ず形から入るので服は真似しやすいし、手っ取り早いんです。

TPOや気分によって人はその時々で自分に合った服装をします。意識的にも無意識の領域でも服は少なからずその人の人生に影響を与えていると僕は思います。

時代の流れとファッションの関係性を見ていくのもかなり面白いです。こういう時代背景があってこれが流行ったんだなとか。追っていくと発見があるかもです。

僕は今一生を共にできる服を探し求めてまた旅をしています。これだというものが見つかるのか、はたまた自分で作ってしまうのか。


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