@玲汰の嫁だった私より


まずはthe GazettEでサブスクになってないであろう私がリアルタイムにライブハウスで共に過ごして来た初期〜まだガゼットカタカナ表記だった頃の荒削りで疾走感と初々しさのあるメンバーを見てくれ

初期ガゼット2002年結成。私がライブに行き始めたのは翌年。関東近郊で精力的に活動をし、三年間の活動を経てPSカンパニーに所属をきっかけに怒涛のプロモーション戦略と共にライブ本数も物凄い勢いで、当時ガゼットのライブに行った事ないバンギャいるの!?くらいのインディーズ界では旬だった。

(この時期騒ぎすぎて 咲き禁止騒動  になる。あれは高田馬場エリアじゃった…おルキが「そのノリやめない?やめたらもう一曲増やす」で手打ちとなった。ごめん。時代もあったが威勢のいいギャと麺が平気で揉めたり、先輩がやらかしすぎてモッシュ、ダイブ、最前仕切り行為が軒並み禁止されていった。もし、現在のライブハウスのつまらなさを感じている子がいるとしたら確実に、我々〜先輩の責任である。心から申し訳ない)

私は玲汰(故REITA)推し。あまりにも衝撃的だった。鼻に…布!?まさに原点。私は漫画を読み続けていたので(奥行きのない世界で鼻を立体的に描かない物が多く、描いても小さいパーツ)鼻という概念を「消す」のはまさに二次元の美の象徴だと思った。リズム隊好きも相まってどハマりする。

当時ガゼットより歴の長いバンドマンとバンギャは嘲笑い、〜に似ていると比喩される事も多々あったが徐々に「らしさ」を提示していった。個人的には当時売れていた 遠くのバンドより近くのガゼット派で初期→メジャーデビューまで「登っていく疾走感」を見守るのが大好きなタイプのバンギャである。

それから数年間ガゼを推しつつ雑食ギャ(DD)をし続けライブ三昧生活を送る中、ターニングポイントとなる2005年メジャーデビュー告知があった。結成から3年経っていた。徐々に楽曲は爽やかになりメイクは薄くなって、ライブハウスから規模がに大きくなっていった。私はインディーズのアバンギャルドさが好みなので、どうしてもメジャーを意識した楽曲に共感しづらかった。

寂しさと共に満足し、私とthe gazetteは離れた

ーざっと振り返ってここまでー

そして何年も経った現在。

いつか また どこかで。と軽い気持ちで離れたのね?
何でかというと、もう私たちがいなくても大丈夫!って一目瞭然だったじゃん。去年日本武道館だよ?私の初見は 浦和ナルシス だよ…
夢叶ったじゃん!
活躍する彼らをCMやSNSで見るたびに、大人になってしまってもウキウキしていたんだよ。いつかまたふらっと地元に帰るノリでライブ行くと当然思ってた。

こんな知らせでまたガゼットを振り返る日が来るなんて思わなかった。てかまだ信じてない。
だからまだ綺麗事をつらつら並べてお礼とか全然思い浮かばない。

ただ、楽しかった私たちと
ただ、一生懸命だったthe gazetteとの思い出がどんどん噴水のように溢れ出ているだけなんだよ。

置いていかないでよ。何で1番ナイーブな時期乗り越えて一生懸命大人になってから逝っちゃったの?
何でそうやってまた逢えない本当のスターになっちゃうの?  

私は 少し頑張れば会える規模が好き って再三言ってるじゃん。
たまたまだよね?だって当時ガチでヤバい人たちも活動してた中、そんな弱い子じゃなかったじゃん。

今は気持ちの整理が全くつかないよ。
死なないでよ。死なないで頼むから。もう何人とお別れした?数えたくもない


今まで出会った人全員1人も死んでほしくなかった

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