朝日 ね子
ねこのこと
北海道弁や、日常のことばについて
うちにいるねこについての記事です。
出勤したら、駐車場を二匹のねこが歩いていた。 私の車を見ると少し身をかがめたが、危険がないようだとわかると早歩きで通過。その間、立ち去るまでにこちらを振り返ること数回。 そんなに見なくても追いかけたりしないから。 そう思いながら、私もねこらを見、ニャーニャー呟きながら職員玄関に向かう。 さてドアを開けようというところで、玄関横の花壇に穴を掘る白黒のねこと目があった。こいつも先ほどの二匹のお仲間らしい。 穴を掘ったということは、やることはひとつしかない。 こらー
大事な場面を見逃してしまうことがよくある。 大事な場面を見るほかの人たちの表情を盗み見ているうちに、件の場面が終わってしまうのだ。 こういうのを人間観察と言うのかな? しかし不思議なもので、いくら人間観察をしてもひとを見る目ってのは鍛えられないものらしい。これまでの人生でそれは実証済み。 ところで、人間観察の途中でうちの課長さんと時々目が合うことがある。 課長、あなたもこっち側ですね。心の中で言ってみるが、多分届いていない。(そしてひとを見る目がないのも多分同じ
エビデンスという言葉を聞くと、どうしても口にしたくなる言葉がある。 カニデンス。 いいじゃかいか。独り言だもの。
どっか島にでも行きたいな、と言ったひとがいた。 そうだね、ランゲルハンス島なんてどうだろうね。 悪くないね。 わかってるんだか、わかってないんだか。
自己満足を承知のうえで、日々だれかを怒らせたり、傷つけたり、困らせたりしないように気を付けているつもりだ。 それは自分が傷つけられたくないからで、自分が困りたくないからで、怒りたくないからで。 しかしときどき、思わぬところでその心がけが水泡に帰すことがある。本当は防げたのかもしれないが、起こってから気づくのだから仕方ない。口をついて出る不用意な発言、態度や仕草、タイミング。時には部外者の行動も相まって、人の世はどうにも思うようにいかない。 だれかを不快にしたかもしれな
よく晴れていて、太陽の光を浴びたら少し気分がマシになった。 2ヶ月ぶりに髪を切った。ちゃんと自分の顔になった。 何がしたいのか、何が楽しいのかわからない。何に時間を費やしたいのかわからない。 何にも時間を費やしたくない。何もしたくない。 だからといって、何もせずいられるわけもなし。日常を淡々と。 淡々ってはかなげでどことなくきれいな言葉だ。漢字で書くとね。 平坦で単調な日々には、楽しみを用意せよと言う人がいる。それがわからないんだって。 このごろは、ぐっ
海松の茂みに身体をあずけて、ぼくははるかな水面を見上げていた。ぼくにとっての〈空〉。揺れるそれが碧く見えるのは、本物の空の色を映しているからだ。右手を空に伸べると、海松の葉から細かな気泡が立ちのぼった。いくら望んでも、この手は届かない。 小魚の群れが螺旋を描きながら水面に昇ってゆく。いっせいに向きを変えるその身体が、銀に耀いた。彼らはどこへゆくのだろう。ぼくは指の間から〈空〉を透かし見、ぼんやりとそんなことを思った。 空はひと時として同じ色をしていないという。やがてそれ
やりたいことも、やらなければならないことも横に置いて、眠ることにした。 快晴を捨てた。自由を行使した。 けだるさが頭にも身体にもまとわりつき、しかし不調とまではいかず、相変わらず健康な休日の朝。 たとえば日々の中で、食事、睡眠、運動のどれを最も重視するか。 私は絶対に睡眠だ。逆に言うと、睡眠が調わないとてきめんに心身に違和感を生じる。そしてそんな違和感は、一度感じてしまうと容易に解消できない。 だから睡眠の時間も内容も充実させたい。しかしそうもいかないことが多々
秋分を幾日か過ぎた夕方に、うさぎが現れた。 姉から写真とともに「なんかいる」と送られてきた。 最初は隣の家の馬屋のあたりをうろうろしていたが、そのあとうちのほうに来て、しばらく家のまわりを見てまわり、知らないうちにいなくなったそうだ。山に帰ったらしい。 毛色は白に少し茶が混じりはじめ、まだらだった。耳は見慣れたペットのうさぎより短い。立ち歩くと、足の長さに違和感を感じるほどだ。 動画も送られてきた。 すたすたと歩き、ときどき辺りの臭いを嗅ぐように顔を上げる。 雪
前提として、歩行者のあまりいない田舎なのだ。 その田舎の町を貫くように通る国道の、センターラインのあたりに落ちていた。ピンク色の細長い風船だった。 バルーンアート用のねじれた風船は、何カ所かくびれていて、少し前まで何かの形に成形されていた様子がうかがえる。 まず、え、なに? と思った。 近づく。良かった、生き物じゃなくてモノだ。 もっと近づく。あ、風船じゃん。しかもバルーンアートの。 通り過ぎてから、最大の疑問が浮かぶ。 どこから来て、なんであんなところに
余白が大切だと言われて久しい。(たぶん) 誰がいつから言ってるのか知らないが、たくさんの人がそのように考えているらしい。 わかるような気もするが、わからない気もする。 このほど、余白について考えてみた。改めて考え込んだわけではなく、ふいに思いついた程度ではあるが。 余白があったらいいな、と思うこと。 時間、空間、頭の中、目に映るもの。 なるほど、なるほど。どこかで見聞きしたことのあるものばかりだが、どれもなんとなく納得のラインナップ。 それぞれが影響し合って
空よりも透明で海よりも深い色。 お気に入りのインクで手紙を書いた。 愛用のペン先はこの店で手に入る一番細いものだ。 「カウンターに物を広げるな。邪魔だ」 店主の言葉も意に介さず、少年は自分の手先に集中している。 「どうせ、他の客なんて来ないくせに。――ビンをちょうだい」 書き終えた便箋を細く巻きながら、彼はどこまでも無邪気だ。 店主は鳥かごや色褪せた書物や鉱石といった雑多なものが並ぶ棚から、洋酒の空きビンを発掘して彼に渡した。用途を尋ねるほど野暮ではない。 ビン
近所のおじさんが運転する白いセダンで出かけた。助手席に私、後ろに姉と叔母さん。 数日前に多めに降った雪が残っている。アスファルト以外の地面はほとんど分厚い雪の下だ。天気が良くて、道路の雪はきれいに溶けていた。気温は低い。 廃屋が雪の重みに耐えかねてつぶけている。珍しくもない風景だけど、なんとも言えない気持ちになる。 ちょっと感傷に浸りそうになり、あわてて思考を少し巻き戻す。 あれ、つぶける? つぶれるが正しいのはわかる。でも、つぶけるは言い間違いではないと思う。
さこういっぱく、と読む。 馬の特徴をあらわす言葉だ。 左後ろ足だけが白い馬のことを言う。 むかし、左後一白の馬はよく走るのだと祖母が言った。ある種の迷信だとは思うが、確かに当時家にいた、かつてよい成績を残した馬は、左後一白であった。 夕方に、祖母と馬屋の外を歩いた。 馬が振り返る。鼻を鳴らすものもいる。 ときどき思い出される遠い記憶。 雪の残る放牧地で、ブカブカの馬服を着せられたとねっこが跳ねる。まだ首が短くて、両足を少し曲げないと地面に鼻が付かない。
人の振り見て我が振り直せとはよく言ったものだ。 ありのままで良いなどと言いながら、一方ではより良くなれとせっつく。 さて、良いとは? 悪いとは? その尺度も方向も個人の好みや経験のたまものであるなら、ただひとつ「お気に召すまま」というのが今の自分を納得させる言葉。
晴れた日が続いている。 それに加えて季節外れの高温とのことで、これはもうひょっとしたらひょっとするぞ、と妙な期待をしてしまう。 つまりは、もうこのまま春になっちゃうんじゃない? 今期の雪は終わったんじゃない? わくわくと天気予報を見る。 ……そうだよね、そんなにうまくはいかないよね。だって2月の中旬だもの。ここは冬将軍の陣地だもの。 数日したらちゃんと、雪マーク(ときどき傘マーク)が復活している。 しぼみそうになるところを、急いで自分の気を引く。まあいいじゃない