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台湾語から見る日本と台湾のつながり(日本語版)

はじめに

みなさんはじめまして!在台歴四年のkuboです。

単刀直入ですが、みなさん、いままで海外に根付く日本の文化・言語に興味をもったことはありますか?

普段日本で生活している中で、外来語や食、ファッションなどを通して、日本で日常的に使われている外国の文化や言語に触れる機会は多々あると思いますが、なかなか他の国でどのような日本の文化や言語が浸透しているのか知れる機会って少ないですよね?
読者様の中には、この記事をみて初めて、海外でも日本語や日本の文化が日常的に使われていることを知った人もいると思います。

今回この記事では、私が四年間暮らしてきた台湾にフォーカスをあて、日本と台湾の繋がりや、私が台湾で生活する中で見つけた、台湾語に根付く日本語を簡単に皆さんに共有していきたいと思います。

5分ほどで読める記事となっていますので、非日常の知識に触れたい時に、一読していただけると幸いです。

そしてこの記事との出会いが、読者様が日本と台湾の関係に興味を惹かれるきっかけになればと願います。

近30年における日本と台湾の関係


近年日本では空前の台湾ブームが沸き上がっており、ニュースやテレビ番組で台湾に関する内容を見かけるこが増えてきたのではないでしょうか。

私は普段テレビは見ないのですが、この四年間で比べても、最近よく母や知り合いから、この前台湾の特集してたで!台湾のコロナ対策すごいらしいな〜なと、連絡をもらう機会が増えました。

ただ読者様の中には、あまり台湾と日本の繋がりについて知らない方もいるかと思うので、本題に入る前に少し、時系列を遡る形で、簡単に日本と台湾の繋がりについて紹介します。
(ここで紹介する内容は、あくまで日台の繋がりに関する出来事についてあまりご存知ではない方向けで、詳しい流れや政治的側面はあえて触れていませんので、ご了承ください。)


直近で見られた出来事は、コロナ関係の助け合いです。

去年4月、世界中でコロナが蔓延し、日本ではマスク生産が間に合わず、一時的マスクが足りなくなった頃、当時コロナの感染拡大を抑えられていた台湾は、日本に200万枚のマスクを寄付してくれました。

逆に今年6月には日本が台湾に合計214万回分のコロナワクチンを無償提供しました。

これらの件は、まだ新しく日本のメディアでもよく取り上げられてたので、ご存知の方も多いと思います。

ただ日本と台湾の助け合いは今に始まったことではありません。

コロナ前の近30年の日台の歴史を見てみると、そこでは日台で発生した各大震災における助け合いの繋がりがありました。

私が以前、謝謝台灣実行委員会で活動していた時に調べた情報によると、震災における助け合いの繋がりは、阪神淡路大震災から始まります。

1995年に日本で発生した阪神淡路大震災の際、多くの台湾人の方が現地にボランティアとして駆けつけてくれたそうです。

そして4年後の1999年、次は台湾で、俗に921大地震という、マグニチュード7.6の大地震が台湾中部を襲いました。その際、海外から真っ先に駆けつけたのが日本の救助隊でした。データをみれば救助隊の人数が一番多かったのも日本でした。

その地震から12年が経った2011年、あの東日本大地震が日本を襲います。震災後、日本は世界各国からたくさんの支援を頂いきましたが、その中でも台湾は200億を超える義捐金や、物資提供、ボランティアの派遣、暖かいメッセージなど本当に多くの暖かい支援をしてくれました。

その後も日本か台湾で地震が発生し、甚大な被害が出た時には、義捐金やボランティアを通して助け合いの繋がりがありました。

50年に渡る 日台統治時代

ここまで近30年間における、日台間の助け合いの繋がりを紹介してきましたが、実は歴史を見れば日本と台湾にはさらに深い結びつきがあります。

世界史専攻だった人は、少し学んだことがあると思いますが、第二次世界大戦終戦前、50年に渡って日本政府は台湾を統治していました。

台湾ではこの時代のことを日本統治時代と呼び、当時作られた制度や習慣、建造物の名残がいまでも台湾の至る所で見受けられます。例えば今の台湾の教育制度、衛生管理、ダムなどの基礎は日本統治時代に整えられたと言われています。

また当時の台湾では日本語が公用語とされ、日常的に日本語を使用しており、その影響をうけ、台湾で話されている台湾語の中には、日本語から派生した言葉が多く存在し、今でも日常的に使われています。


台湾語と日本語

台湾には公用語の中国語以外に、台湾語という言語があります。

台湾語は別名、台湾閩南語(たいわんびんなんご)といい、全土で台湾人口の74.5%以上の人が話す言語です。この言語は基本的に文字はなく、主に中部以下の地域の、日常のコミュニケーションツールとして使用されています。

南部で生活していると、街中や大学でもよく耳にしますし、たまに台湾語しか話せない方もいます。

さてここからやっと本題に入りますが、まず皆さんに問題です。

日本語から派生した台湾語の数は幾つぐらいあると思いますか?

なんと私が今回この記事を書く際に、関連記事を日本語と中国語の両方で調べて、集計したところざっと90以上の日本語から台湾語に派生した単語がありました。

それらの単語を見ていくと、自動車関係や食べ物、人に関する名称が多いように感じます。

当時日本から派遣された技術者とコミュニケーションを図るために、台湾人が覚えた日本語が、そのまま台湾語に派生したのでしょうか??

またそれらの単語は日本語と台湾語が同音同意、同音異意、異音同漢同意に分けることができます。
そのほかに日本語から派生した単語を使った、台湾語の造語などもあります。その造語中で、初めて聞いた時なかなかに衝撃を受けたものもありました。

最後に今も使われている、日本語から派生した台湾語 10選 同音同意編 私が衝撃をうけた日本語から派生した単語を使った、台湾語の造語2選を紹介します。

同音同意編で紹介する単語は、日本語と台湾語の発音と意味が同じものなので、イントネーションは多少違いますが、日本語発音で話しても伝わる単語です。

台湾の中部以下ににこられた際は、是非使ってみてください。
現地の方と話が盛り上がること間違いなしです!


もし今回反響がよければ、次回私が担当する記事で、同音異意、異音同漢同意編も紹介しようと思います。


今回私の記事を読んで、台湾語や日台の繋がりについて興味を持たれた方は、ホームページや書籍でさらに詳しい内容を調べてみてください。
日本と台湾の繋がりはとても奥深く、さまざまなドラマがあります。
また台湾の歴史や文化を知ることで、日本の世界における歴史をより身近に感じることができます。


台湾を知る、すなわち、日本をより深く知ることなり。

最後になりますが、この記事が読者様が日台の関係や、台湾に根付く日本、さらには世界各国と日本の関係に興味をもち、知っていく足掛かりになることを願っております。


今も使われている、日本語から派生した台湾語10選 同音同意編

台湾語:扛棒(kha̋ng-páng) 日本語:看板
台湾語:歐兜賣(oo-tóo-bái)日本語:オートバイ
台湾語:脫拉庫(thoo-lá-khuh)日本語:トラック
台湾語:霸蘇(bá-suh) 日本語:バス
台湾語:扁東(piān-tong)日本語:弁当
台湾語:哇沙米(ua-sá-bih)日本語:わさび
台湾語:沙西米(sa-sí-mih)日本語:さしみ
台湾語:歐吉桑(oo-jí-sáng)日本語:おじさん
台湾語:歐巴桑(oo-bá-sán)日本語:おばさん
台湾語:運將(ùn-tsiàng) 日本語:運ちゃん(タクシーの運転手)

私が衝撃をうけた日本語から派生した単語を使った、台湾語の造語2選


台湾語:阿搭罵孔骨力(adamakonguri)  日本語:あたまコンクリート
この言葉は日本語のあたまとコンクリートを合わせた台湾語の俗語で、頑固な方や、考えが硬い方を比喩する時に使われています。

台湾語:阿撒布魯(ā sǎ bù lǔ) 日本語:朝風呂(asaburo)
この言葉は発音は日本語の朝風呂とほぼ同じ発音なんですが、物事に筋が通ってない状況や、めちゃくちゃな状況の時に使う言葉です。昔台湾には朝風呂の習慣がなく、日本人が朝にお風呂に入ってるのを見て、この言葉ができたそうです。

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