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許せることと、一緒に居続けられることはちがう。

人間って、ある程度近しい人に、何か困ったことをされたり、多少不誠実な言動をとられたとしても、怒り続けたり、恨んだままでいるのはエネルギーがいることだから、たいてい、「しかたないな」って許しちゃうか、時間がたって、怒ってたことも忘れてしまうと思うんです。もちろん、相手が謝ってきてくれることもある。

怒り続けたって、互いに何の利益もないし。とらわれたままだと、先にも進めない。
自分や大事な人の命にかかわるようなことじゃない限り、許すことはそんなに難しいことじゃない。

だけども。

その、期間にしたらさほどでもない間の出来ごとが、こちら側の何かを欠落、または消失させてしまうことがある。その消失は、程度にして微々たるものかもしれないけど、これまでのその人との関係を、同じようには保てない程度には、重要で、無理やり乱暴に一言で言ってしまうと、信頼とか、友情、愛情と呼ぶようなもの。

恨んではいない全く。すっかり許しているし、その人の魅力は、ちょっとした失敗で失われるようなものじゃないと知っているから。

でも、もし恨んでいないのなら、こちらが今まで通りの状態でいてくれると思うんです、相手は。
そうでないことが許せない。こちらの変化を、「なにか」の「消失」を、見過ごせない。まるでこちらが裏切ったかのように、大きな心変わりだと感じてしまうのです。

結局、最終的に、お互いに、お互いの望む相手ではなくなっている。そうなってしまうと、よほどの利害の一致がない限り(一緒に子育てをしているとか、会社を経営しているとか)、関係の維持は難しくなってしまう。


ひとり、石垣島から那覇にやって来て、考えたことです。

あっ。引っ越しました。

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