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怪しい話 ― わたしは自分の寿命を知っている


ふつう、人は自分の寿命を知りません。知りたくも無い。

死について具体的には考えられない。それを経験できないので。

でも、確実にいつか来ることだけは分かっている事象です。

向こうは良いところでしょうか。

ほとんど誰も帰って来ないのですから。

でも、この意識が永久に抹消されるなんて怖すぎます。

と、かなり厄介な問題なので、みんなは誰とも話さない。


わたしのような、もし知っちゃったらどう思うのかという話です。

ちょっと怪しいです。でも、たいした話では無いのですほろほろ。



1.じぶんの寿命を知る


50歳を過ぎた頃、心臓の先端部から”肥大”が始まりました。

心臓のビートがおかしい。リズムがへん!

父もそうだったそうなので、ああ、無情。我が一族に貫徹する遺伝子スイッチがカチリ入ったのでした。

お医者さんが言う。

ガサガサに積み上がったお粗末な細胞で心臓の肥大化が続く、心臓のポンプ機能はヘロヘロに落ちて行く。

今は先端にあるガザガサ部は心臓上部にまで達し、やがて弁が閉まらなくなる。

原因不明で治療法も無い、平均より早く死ぬと。

怖いことをお医者さんが言う。


ある時、歩きながら「何歳まで生きるんだろう?」とふと思った。

そしたら、「73」という数字が額の先にぱっと大きく、”見えた”。

おじさんに成ってから、言葉が来たり、数字が見えたりすることが起こり始めていました。


おお、、絶妙だなとわたしは思った。

男性の平均寿命が81歳なので、少し早い。

でも、嫁さん泣き崩れる程に早いわけでもない。

停年まで働けるので、いちおう、夫の務めは果たせそう。

73歳ならあまりボケてないだろうし、自力で動いているでしょう。

そして、ある日、パタッと鼓動が止まる・・。

かのじょには申し訳ないけど、それならそれで仕方無いと思った。

ガンのように切った貼ったと大騒ぎしなくてもいいし。


あなたなら、こんな”お告げ”来たら、どうするんでしょう。

受け取ります?気のせい?

数字が”見える”なんて有り得ないわけです。

寿命を予知するなんて特技、わたしに絶対ありそうもないんだし。

でも、わたしは、受け取った。

だって、リアルに見えたんだもの。偶然にしては出来過ぎです。

脳がいかれて暴走始めたんでしょうか。かもしれない。

まっ、とにかく、わたしは、自分の先を”知った”のでした。



2.気のせいが多そうなこの世界


『ユング自伝』を読むと、彼はヨーロッパが戦火にまみえる数年前に、街が血に覆われる姿を見たと書いています。

ドイツとの戦争で多くの人が死ぬと分かった。そして、実際、惨禍が起こった・・。

彼は、学者で精神科医なので、いい加減な話は書きません。

怒涛の激流に街々が呑み込まれて行くリアルなシーンを彼は確かに見た。

わたしは、ユングの言葉をそのまま受け入れました。

そうだと言うのなら、そうなのです。


心臓の異常が開始された頃、てつ(長男)が放送作家に成るべく都内に引っ越ししました。

がんばれよって、送別会を家族で開いた。

店でカニ食べながら、左隣に座るてつを見た時でした。

彼の顔に50歳ほどの恰幅の良い中年男性の顔が重なった。

見たこと無い顔でした。

ガッチリとした立派な風格。

ああ、これは「やがてのてつ」なんだなと分かった。

彼はこんなふうな年の取り方をするのか、、良かった。

わたしは安心した。

てつに、そう見えると告げた。彼はふーんと言っただけ。


息子のやがての姿が見える、なんてありそうもないことなのです。

そんなワザ、いつゲットしたんだろ?


この手の”怪しい話”は、たぶん世の中にいっぱいあるでしょう。

でも、本人は、信じてもらえないと分かっている。

人は、説明できないこと、分かってもらえないことは、無かったことにします。

記憶から消して行く。あれは、気のせいだった。

でも、我が身が体験したのでした。気のせいでは、済まされなかった。

以来、わたしは73歳で死ぬことを意識して行きます。



3.そして、もうすぐとなり


現在、わたしは65歳です。あと、7年となりました。

2回ほどオリンピックしたら、行かねばなりません。

わたしは、今も73歳で死ぬ気でいます。死ぬ気、満々みたいな。

なぜか、きっとそうなるだろうと”分かってる”。

いや、別に死にたいわけではありません。


あなたは、自分の死はずっと先のことだと思ってるでしょう。

でも、この10年、すごく早かったんじゃないでしょうか?

たとえば、あなたが今、40歳だとします。

この短かった10年という束を、これからたった4回繰り返すだけなのです。

そしたら、あなたはあっという間に80歳になってる。


実は、わたしはずっと65歳やってたわけではないのです。

あなたは驚くかもしれないけど、わたしのこころは今も28歳です。

28歳の心身のわたしは、つい最近のことでした。

そういう時間間隔で人は死を迎えます。


わたしが子どもの頃、男子の平均寿命はなんと65歳でした。停年も55歳だった。

わたし、とっくに死なないといけなかった。

寿命というのは個人的な概念ではなく、きわめて集団的、社会的な事象です。

みんなが寿命65歳なら、自分もそうだと受け入れてしまう。

実際、自分に死が来た時に、ああ、そうかと個人は納得するものでしかない。

そして、あと7年でも、あと70年でも、実はあっという間に来るのです。

いつの間にか、20歳に、30歳に、40歳に成ってたように、70歳も80歳もすぐに来ます。

こんな恐ろしい話ってそうそうないのですよね?


であれば、そりゃ断然、もっとも嬉しいことを今やればいいのです。

わたし?

わたしは、自称、寿命を”分かっている”男です。

死を他人事のように先送りできませんでした。

”分かっている”ので、人より強くエンドを意識しています。

だから、「もっとも嬉しいことをやればいい」を強く意識しているでしょう。

そして、わたしはこうして書くことが何よりも嬉しいと”分かっている”。

50歳を過ぎて書き始めてからようやく、そう言えるところまで来ました。

”分かってる”が、2つもあるなんてすごくないですか?


永遠を願う”わたし”は今もいます。

でも、この肉体と脳が腐ったら、この意識活動は維持できません。

仮に”なにやら霊魂”というようなものに成ったとしても、この意識自体はぜんぜん維持できません。まったく別物です。

願う”わたし”、苦しむ”わたし”は、もう存在しない。

存在しなくなったらと悩む”わたし”が、そこにもう居ないのです。


生きているということは、悩めるということです。

そして、しあわせとは満たされる感覚です。

じぶんの寿命を”分かって”から、わたしは楽しいよりも、嬉しいを追求しだしました。

胸がほかほかと喜ぶことを食べることに決めたのです。

ええ、わたし、今日もしあわせなのですほろほろ。

読んでくださり、ありがとうございます。

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