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素敵な青年たち ― ミイラになんか成るもんか


退職したせいでしょう。

わたしは、テレビにも若い女子にもかなり関心が無くなってる。食べ物もお腹が満ちれば何でも良いや、みたいな。

わたしにも終わりが近ずく。でも、虚無なミイラに成ることだけは猛烈に嫌だ。

枯れたら枯れたで、最後まで精いっぱい生きる姿でありたいです。


意外なことに、さいきん、若い人から元気をもらってる。

若い=未熟、じゃない、未確定ということです。

定まっていないからいろいろ探索し、あがく。だから、学びがある。

ミイラ化して行くわたしも、かれらから教えられている。



1.「ふつう」であり続ける人


ああ、、じぶんがほんとにつまんない。

テレビを見ないから、人間世界からじぶんが脱落していってる。

岸井ゆきのという女優を知らなかったのがその証拠です。

笑うととてもチャーミングなんだけど、一見ぶすっとしてるように見える30歳。

初のエッセイを出したのでと彼女の言葉が載っていた。


恋愛感覚はよく分からないという。

自然と相手を好きになっていて、誰かに「あなたは彼が好きなのよ」と言われないと気が付かない。

そう言われるとそうなんだなと自分でも思うけれど、独占したいとかはない。

家族や友達と同じように、その人が「好きだ」という感じだと言う。


現場で衣装を脱いだとたん、いつも心もとなくなってしまうともいう。

それまで演じていた役ははかなく消えてしまい、共演者やスタッフに囲まれている自分が場違いである気がしてしまう。

自分みたいな超一般の人間がこんなところにいてすみません、という申し訳なさに包まれ、

一刻も早く自分の家に、しっくりくる居場所に帰りたくなってしまうそうです。


で、自分の友達はみんな、自分がたくさんテレビに出るようになっても、まったく態度を変えることはない。

「私たちもがんばらなきゃ」と嫌みなく言ってくれると言う。

自分もがんばる友達に「すごい!」と素直に称賛を送るし、どんどん高みにのぼっていく彼らに負けないよう、がんばりたいと思う。

「それは、全員がそれぞれの高みを見ているからだろう。

自分たちのめざす場所に向かって、日々努力を重ねている彼らに、誰かの成功を羨んだり妬んだりしている暇はないのだ。」

〝ふつう〟を、守りたい、と彼女は願ってた。

それってすごくない?


冷静に自己を見ていたのです。

こう在らねばとかいう観念に縛られず、自己の芯を大切にしていた。

彼女には、”自分自身であること”への欲求、他者評価に負けまいとする自負(プライド)があるように思う。

もちろん、自分の傾向も制約も分かっている。自分は世間いっぱんからずれていると。

それでも、にんげんとしての自然さを貫きたいとでもいうような、自分の精いっぱいを生きようとしていた。

わたしは、とても素敵だと思った。


あなたは、年を取ると枯れるというわたしの言葉を信じてはだめです。

いろいろ枯れるからといって、人間性を保持する人は実はすくない。

意固地になったり投げやりな者が多い。

年を取ると、彼女が願うような自然さを大量に失って行くでしょう。



2.すんごい、Kazuma


こちらは男性。

YouTubeでたまたま彼を知りました。(Kazu Languages)

300万アクセスもある方。ショートでも数十万もあるので、知らないのはわたしだけだったでしょう。

いや、国内より海外で知られている方かもしれない。

23歳のYouTuberは、10か国語以上をとても流ちょうに話す日本人でした。

容貌は凛々しい。ほっそりした感じで柔らかな対応なんだけど、目は武士のように真剣。本来の日本男子の直系といえる。


いろんな国の若者が、ある英語空間に来てはおしゃべりしている。みんな、英語の腕を磨きたい。

Kazumaは、僕は日本だけど、きみは?とか住んでいるところをそこで出会った相手に聞く。

そうか、フランスなのか。じゃあ、あそこもあるよねとかいう流れの中で突然、相手の母国語で話す。

そうすると、相手は「あっ」と驚く。

彼は、嬉しがる。まあ、ドッキリなわけです。へへへという感じ。


まさか、英語空間で、日本人がフランス語を、あるいはアラビア語を、スペイン語、タイ語、アラビア語、ヒンドゥ語を話すとは思って無かった。

とたんに、相手の表情がすごく変わった。

相手もオープンに素顔を晒し出す。

えっ、あなたほんとは話せるの?どこで習ったの?と相手は食いつく。

いいえ、僕はネットで自学習だよと、3か月前に始めたんだと、彼は、とても流ちょうに話す。

Oh,my gosh!

たった3か月、、かと相手は腰を抜かす。Kazumaはまた少し照れ、へへへと。

もちろん、たとえば中国に彼が行って中国語を話しても、きっとこうは驚かれなかったでしょう。

単に中国語、じょうずですねという反応で終わったと思う。

みんなは、世界語の英語空間に武者修行に来ている場で、とつぜん、親戚に会ったという感じになるのです。

実は、英語が学びたいというのは表面的な理由でしかなく、ほんとは友達が欲しいのです。

自分の母国語を真剣に学び知りたがる者を、人は拒否できない。


で、数日、わたしはこのKazumaにハマってずいぶん多く見た。

何度見てもわたしが飽きない。

彼、とてもチャーミングなんです。

どれもほとんど同じようなドッキリパターンなんだけど、相手と同じように、初めてKazumaを知る瞬間をわたしも体験し続ける。

たとえば、下記のようなやりとりです。

女性たちの反応が、かなり面白い。素を引っ張り出された彼女たちが、かわいい。

https://www.youtube.com/watch?v=4qNrqxo-BME&list=RDCMUCQlOfsmvWrWDHdopzmoxi2A&start_radio=1&t=31s


彼はコミニケーションをしたい、その国の人を知りたいとまじめに言う。

人を尊敬するには、その国の言葉を話すのがたいせつだと思っている。

インドネシア語でも中国語でもロシア語でも、なんでも覚えて行く。

ドッキリを仕掛けてうまく行くと(たいがいうまく行くのですが)、子どものように嬉しがる。

ほんとに、彼は人間が好きなんだなぁ。

彼の嫌味の無い、素直な笑顔に相手もコロリやられる。

彼の率直さ、偏見の無さに相手は警戒を解く。

また彼が笑う。チャーミングだ。

もちろん、彼は真剣ですが、凛々しい。そのピュアさが異国の人にも伝わるのでしょう。


実は、1日10時間この空間に入るというほどに、集中力がある人です(週末だけですが)。

そして、彼はとびぬけて”耳が良い”。

ヨーロッパ語族の中の、言語たちは似ている。

だから、数か国語を話す人は多いけれど、彼のように、アラビア語、ロシア語、インドネシア語、中国語と、文法構造の異なる言語をものにする人は少ないのです。

彼は聞き分ける特殊な耳をもっている。



3.青年のすごさ


Kazumaがすごいのは、その多言語の獲得能力にあるのではないのです。

彼のコスモポリタンなマインドにあると思います。


井戸の中に閉じ困って、自己防御をしていません。虚栄も張らず、真っすぐに相手に向かう。

オレはこんなにすごいんだとか、敬って欲しいなんてカケラもないのです。

ただただ青年は人を世界を知りたい、教えて欲しい。

彼は得意になることもなく、虚栄も無く、蔑視もしない。

ただ、そのものの自分を相手にさらし、仲良くなろうとする。

彼は、人というものの可能性を信じているでしょう。

ああ、日本にもこんな人が出て来たんだ。令和ってすごい!


彼は1度に1言語に集中するといいます。

たとえば、タイ語ならそれをがっつりと学び、すぐ使いたがる。

何度も言いますが、とても良い耳をしている。

そして、言葉とその国の人が好きだと言う。尊敬している。

まったく違う人間、生活、興味を知りたい。何でも知りたい。

そういう自分の願いを素直に捉え、世界にチャレンジして行く。

おお、、ミイラ化している場合じゃない!とわたしの背筋が伸びる。


時代は流動し、非常に世界が多国籍化しているのがひしひしと分かります。

たとえば、相手がスウェーデン人だといっても、お父さんはパレスチナ人でお母さんはスイス人だなんていう。

そこで、彼はいきなりスウェーデン語で話しかけ、相手をびっくりさせる。

まさかアラビア語、まさかのフランス語なんかが続いて出て来る。

ロシア人と話すと、両親がウクライナ人とロシア人だったりする。

青年たちだから、政治の話はあまり出なくて、興味のある身近な話です。

今度あそこに旅行したいとか、マンガが好きだとか、けっこう日本のことを知っていたりもする。

Kazumaはjust nowのダイナミックに流動する世界を垣間見せて来る。

難民の多くが、ドイツやフランス、オランダ、北欧に流入していることがわかります。

国民が右傾化する一方で、排他されがちな2世、3世はでもそこが母国なのです。

日本語をカタコト話すブラジル人、インドネシア人なんかもふつうにいる。

移民の子だといろんなプレッシャーがあると思うのですが、子たちはこうして世界空間と繋がろうとする。

一見青年たちが無邪気にチャットしているだけのように見えるんだけど、大きなうねりの中をKazumaは泳いで行く。


日本の自民党政権、高齢化と年金、去りつつあるパンデミック、事件事故・・。

そういったネガティブな世界に自身も住んでいながら、彼は人たちが生きているほんとの世界に触れたいと願う。

けっして、日本民族はとか、男子はなんていうザ・昭和なんかじゃない。

囲いから飛び出して行くのです。

今目の前に広がる海に出ようとするその姿勢は、ミイラ化するわたしに破壊的なメッセージを送って来る。

まさか、彼もこんな年配者が見て興奮してるなんてきっと想像もしていない。



4.青年たちのメッセージはいつも変わらない


過去の記憶をなぞっていない。なんの決めつけも無く、今を抱きしめて行く。

こう在りたいと願うということ自体は、いつの代でもあります。

若かったかれらも、やがて枯れてしまうのかな?

いいえ、ご紹介したふたりに関しては、活動量がぐんと減っても願うことは変わらないでしょう。


もちろん、いまさら、退職したわたしが俳優を目指したり、多言語活躍するなんてない。

ない、はず。

いや、あるんだろうか?

ないんだけれども、わたしはじぶんがかつて持っていた素直さを復活させねばならないと思うのです。

年金をもらい始め、体のあちこちが故障し、目も記憶もいい加減となり、親や知人がどんどん亡くなる。

テレビも見なくなったれど、そんな予想通りの延長線上に安易にじぶんを置いてはならないと、ふたりがメッセージして来た。

さあ、年や環境のせいにせず、きみも前に行こうよと言って来た。

きみは、死ぬまで青年であることを望んでいたんだろう?と青年たちが誘う。

青年とは、感性の柔軟さなんだと思う。その本体は、素直さ。

その担保だけは、死が迎えに来る直前まで、実はなんとかなるのです。

世間常識をなぞっていないかれらを知り、わたしはとてもとても喜んだ。

あるんだろうか?

いや、ない?

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