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だれかの努力と自分の努力 / 左ききのエレン

おすすめされた「左ききのエレン」を読んでいる。


頑張っている人、頑張ろうとしている人、頑張れなくなった人、がむしゃらな人、夢中な人。いろんな方向から、仕事や夢や才能への希望、絶望、切なさが描かれている気がする。まだ2巻くらいしか読めてないけれど、たぶん。


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全力な人がいっぱいだ。

最近、夢やなりたい何かに向かって精一杯の努力を弛まずしている人を見ると、なんだかこころがぐらぐらする感じがする。
何ものかになりたいとか、どうにかなりたいとか、思っているものやことに向かって自分全部を投げ打っているひとをみると、足元を掬われる気持ちになる。体温がさがる。
なんだか、すごく、自信がなくなるのだ。「お前はこんなんでいいの?」みたいに責められている気分になる。そんな感じの努力で、大丈夫?みたいな。
なんでだろう。



この間たまたま作家志望の男の子と話したときも、同じ感覚になった。
彼は、いくつも作品を書いて、国内外の文学賞にチャレンジしていると言っていた。描きたいテーマに関する勉強も頑張っていて、「でもまだ何にも残せてないんですよ」と言う悔しそうな顔は、すごく大人で成熟してて、きらきらして見えた。全力が、すごい。そんな全力の努力、ほんとにすごい、と思った。


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今までの人生で、頑張りすぎて何度か心を壊してきた。頑張っている途中から自分の限界がわからなくなって、オーバーヒートして、心が死んできて身体がおかしくなった。今はめちゃくちゃハッピーガールだけど、あのときはおかしかった。物理的には死んでないけど、生きていない感じだった。それで、頑張りすぎるのは毒だと知った。そして、相応な場所で無理なく努力しようと思った。



今、生死に関わる前の仕事(医療職)から離れて、フルタイムの仕事からも離れて、すごく生きやすいしこの生活を気に入っている。暮らしが楽しいし、書くことも楽しく頑張れている。こんなふうにずっと楽しく生きられて、そして書く仕事もできたら。いつか「書く仕事」でどうにかなると信じて、書いて、人の目に触れる場所において、そして書いている。
オーバーヒートすることのないペースで、辛くならないわたしのリズムで。

それでいい。それがいい。

そう思っていたし、そう思っている。だけど、頑張って頑張って自分全部を投げ打っている人をみると、心がぐらぐらする。


あー、自分もこんな風にがんばらないと、がんばれないと、どうにかはなれないんじゃないの?がんばってもどうにもならないこともあるし、あったけれど。何ものかになりたいわけじゃないけど、やりたいことでどうにかなりたい。それは、少なくともあのひとたちみたいな必死の努力の上にあるものでは?


いつだってわたしを一番責めるのは、わたしである、気がする。



でも、まぁ、自分のペースとリズムと限界値を知って調整することもある意味必死の努力かもしれない。書くことはすごく内面が反映されるから、自分を失わないようにすることも、とても大事だと思う。

いろんな努力の方向性がある。
いろんな人間がいる。
わたしの中にも、いろんな自分がいる。


ただ、がむしゃらな人を見て心がぐらつくのは、まだまだ頑張れる余白みたいな、伸びしろみたいなものがあるからかもしれない。今は、わたしなりの全力未満なのかもしれない。

だから、がんばる。
がんばって、がんばって、わたしなりの全力で、がんばってみる。

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