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『バグダッド・カフェ』を観ました@Amazon Prime

単館映画、ミニシアター系映画の代表。

なので、映画の入りは淡々と。ここで心が折れる人、いると思います。
単館系は掴みが弱いと思っていたりします。

しかし、あなどるなかれ。劇場を後にするときに、
“よかった”などと。そんな表現しか出てこないような感想でなく。

言いたい事が溢れてくる。言葉が浮かばなくても頭の中で様々なイメージが思い浮かぶ。心にグッとくる。

単館映画はそんな思いにたくさん出会えます。

その代表が「バグダット・カフェ」
上映当時、銀座の裏通りにあった映画館で初観賞。

人によっては
映画は知らなくても、観たことなくても
挿入歌「コーリング・ユー」は聴いたことあると思います。

なんせ「コーリング・ユー」が印象的過ぎて、もうたまらんのです。
良いシーンで何度も流れてくるから、、。

冒頭、ドイツからの旅行者夫婦。旅行中に不仲になったのか、車から降りてしまう。
場所はカリフォルニア州の砂漠。

ひとりスーツケースを引っ張り、辿り着いたのが「バグダッド・カフェ」。

この映画、学生時代に観た時には全く感じていなかったが、メタファー(隠喩、例え)が散りばめられてたよ。

代表格がポスターにもなっている、ヤスミンが黄色い給水タンクをブラシで綺麗にしているシーン。あれ、自分自身だったんですよね。

それぞれの登場人物が色でも分けられていたような。
それぞれに意味があったり。

私が今観て改めて面白いなぁと思ったシーンは
コーヒーマシンが壊れている中、拾ってきた水筒(ジャスミンのもの)の中にコーヒーが入っており、常連が飲むと「クソまずい!」
ジャスミンが飲むと「う〜ん、美味しい」ってうなってた。

まだあの頃のアメリカでは“いわゆるアメリカン”でないとアメリカ人は飲めなかったのでしょうか。

シアトル系のコーヒーが美味しいと思える日まで、まだ先のことだったんでしょう。
友人が1989年に卒業旅行で訪れたギリシャでコーヒーを頼んだら、濃過ぎて、ドロッとした粘り気まで感じたわ。と驚いていた話しを思い出したよ。

コーヒー文化が日本とアメリカにはまだまだ追いついていない時代のことでしたね。

さて、バグダッド・カフェ。
場所が砂漠なだけにそこに居るそこに住む人たちの“心”は乾いてしまっているようでその渇きを苦しみを他者に向けている。

そんな中、おっとりとしたジャスミンが一人一人の心の中に潤いを与えていく、それもゆっくりとゆっくりと。

ジャスミンには潤いを与える役割が生きる価値になったようで、活き活きと出来る自分の居場所を見つけたようだった。

皆にとってもジャスミンはなくてはならない存在になっていった。

「一緒にいるから家族」そんな言葉が劇中に出てきていたが、まさに今の世の中がそうであるように思える。

他人と身内ってなんだろう。血縁関係、紙切れでの関係ってなんだろう。
日本にも昔から“近くの他人”って言うよね。

この殺伐とした現在にこの「バグダッド・カフェ」の人たちのように繋がりを持つこと大事にしたいです。

そうなるためにも私自身が潤いを与えられるような人になりたい。
給水タンクを磨くか!!

⚫️東川哲也 official web site
http://asone-labo.com


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