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Free

だれかの心が自由だということは、 他の人をも自由にするんだ、 でもそれにはとてつもない無頓着さと強さが必要なのだ、 彼を知ってそう思った。

よしもとばなな著 『スウィート・ヒアアフター』 136頁


チベットのひとの焼身自殺についての話になり、 自分の考えを言葉にした
セッションのあと 開いたSNS、 アメリカのかたがイスラエル大使館前で
「フリーパレスティン!」 と叫びながら、 自ら体を焼かれる映像を見た

自分の思いを語られながら歩く、 軍服を着た、 そのひとの表情に
あってはならないことが軽んじられ、 許容され
あたりまえのように保たれているものひとことが、 どれだけ異常かを思う

特に夜になると一段とこころと体が重たくなる
それはSNSでガザでの虐殺、 変わらぬ現状を知るからに思うけど
それと同時に、 自分の内で何かが起こっていたからと、 今日わかる

それをわかったのは こころと体を重たくさせていたものが
自分の中からなくなったから。 朝起きたとき、 ここちの変化を感じて
外へ出て、 図書館へ向け歩く道 それがなんだったのかをわかった

自分の中から消えたのは 希望だった

自分の魂を生きる道 持ってはいけないものの中に 希望があると
希望は信念と同じで、 魂にとっては関係ない そういった意味のこと、
ゲリーが話すのを聞くたびに そこは、 それから、 いまのときまで
わたしは一致しない思いでいて わたしには手放してはいけないものに
ずっと変わらず、 思ってきていて でも起きたらそれが消えていたとき
はじめて、 ゲリーのそう話した意味が、 自分の内で一致した

それは、 確かにという思い。  確かに、 前にもnoteに書いた
宇多田ヒカルさんのいちばん好きな歌、 『テイク5』 その歌詞にも
" 絶望も希望もない 空のように透き通っていたい " とある

歌詞と歌、 ただばくぜんと、 でも強く、 共感の思いでいたのに
その歌を頭の中で響かせながら わたしは希望を、 どのときも見ていた

この数日はほんとう重たくてしんどくて そうだったのは
自分の中の希望がなくなろうとしていたことが 一番の理由だった

原発は廃炉が大変なのと同じに
それまで自分を生かしてきたものが自分に消えてなくなろうとするとき
その出力の低下をからだは感じて それがなくなることの調整が
こころには必要になって なにより当然のものであったのが 芯を抜かれる
ようにして それを取り除くための繊細な作業が、 無意識下で起こる
その変化を わたしは重みとして感じてた

だけどいったん抜け落ち取り除かれてしまったあとのすきまには
ぽかんとでも広々とした 自由があった

" 成功も失敗もない 空のように透き通っていたい "
それは
" 始まりも終わりもない 今日という日を素直に生きたい "
ああ、 ほんとうに そうなのだと思った。

希望はいまから未来を見ているようで
過去を見ての 未来だった

そのどちらでもないいまにいるとき
そこにあるのは いまだった


希望を持ち込まずにただいまにある
可能性を思わずに ただいまできることをする

オイルを頭からかぶり、 体に火をつけられたひとの目は
フリーパレスティン! と叫ばれる声は いまにあった

宇多田ヒカルさんの歌でいちばんは、 『テイク5』 なら
わたしにとってばななさんのいちばんの一冊は、
最初の段、 引用した 『スウィート・ヒアアフター

父とサンさんが同じ日に亡くなり
長く住んだ大阪の部屋をひとに譲って、 ほとんどものを置いたまま
岡山から理由あって、 京都へと、三ヶ月のあいだで二度の引っ越しをした
その直後から2年と続いた、 わたしは半分以上幽霊のようにそのときをいた
その期間を説明してくれるかのように読んだのが、 この本で
ひさしぶりに読み返したら そこにはさらに、 いまの答えがあった

父のいない世界 もう二度と、 同じ幸せを得ることはないとわかった
でもいまわたしは どのときよりも 生きていることの幸せを感じて
いまというときを生きている

社会や国家運営は、 認めては、受け入れては決していけない無慈悲と残虐性
によって保たれている それに飼い慣らされて それが当然化されている
命や尊厳の危機に瀕している ひとや、 動植物にとってそれは 生きる地獄
でしかない 博愛の文字すら目にすることなくなった 迫害あっての世界の
なかで それでもいま、 毎瞬に、 最大の幸せを感じられているのは
先の引用文の言葉

” だれかの心が自由だということは、 他の人をも自由にするんだ、
でもそれにはとてつもない無頓着さと強さが必要なのだ "

わたしの日々は 世界との関わりは
この無頓着さによってなのだとわかった

ゆくさき、 会うひと
わたしがどうであっても そこへの反応というのがない

わたしへの反応でなく
そのひとがただそのひとであることに わたしは自由をもらい
だからいま 幸せしかないように 自分をいられる

無頓着と無関心はちがう

会うひとは、 わたしがどういう思いでプラカードを持って歩いているか
そうしているガザの事態も含めて きっと知っていて
また彼女、 彼らには そのひとの考えや思いがあられることを
そのことの話をしなくても、 どこかでじっと、 それをわかる

ガザのこと話をしないけど、 サモサにシールを置かせてもらえたときと
あといちど 猫仙人から、 猫のコラムが書かれた新聞をもらったお礼に
『STOP GAZA GENOCIDE』 のステッカーをわたしたとき
いつも穏やか笑顔の猫仙人に、一瞬の、 悲痛な表情がうまれるのを見て
わたしたこと、 そのあと申し訳なく思った

おもてにはっきり表現をしなくても
みんなそれぞれ何かを感じ 何かを思い そうしていまを生きている

そこに希望を見ようとすると それはそのとき頓着となって
ひとを 自分を 不自由にする

希望は頓着に 頓着は期待に
期待は 判断へ向かう

100自分をあるにおいて 頓着に期待に判断、 そのどれもゼロの必要が
あると言ったゲリーの言葉に そのすべてが自分の内にあるのを自覚し
それをかかえながらいまをあるのが無理になって起きた消失
頓着に期待に判断、 それらをうみだしていたものが、 希望だった

希望は持ってはゆけないものであると、 そうは思うことなくきてたけど
希望を持ちようが、 見出しようがない、 ジェノサイドの侵攻によって
なんとかとぎゅっとにぎりつづけていた希望が瓦解し、 抜け落ちることで
そこにうまれた 自由という、 ジャッジの線引きのない広々の空間にこそ
わたしがいまできることがあるのをわかった

判断をしない
さばいて何かを感じるのでなく 希望に目をそらすのでなく
ただ目の前のいま、 自分の内で許容してはいけないと感じるもの
ひとがひとであるということ、 そのひとがそのひとであるということ
そこに、 レイシズムやヘイトや蔑視や排除や搾取や暴力や支配や制限や
ひととして当然の権利や主権の剥奪が行われているときは
そこに意味があろうがなかろうが そのとき自分が できることをする
判断でなく そのとき自分はどうあるか。 そこに、 誰にもわたしは
制限も受けたくない 指導も、 正しさも持ち込まれたくない

サモサのひとに こんなこと(プラカード持って歩いてる)しているひとは
誰が見ても変人でしかないと、 まっすぐに、 くったくなく言われた。
わたしは、 店主さんこそ変わった人に思われるひとと思っていたから
そのひとがそう言うのならそうなんだと、 すっとその認識を受け入れた。
変人、、 一瞬は戸惑うも そのとうぜんなふうに発せられた言葉に、
わたしは信頼を感じて、 自由を思った。


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