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照らし出すもの

天神橋を渡っていたら、 中之島公園から大きなしゃぼん玉が橋のへんまで
上がってきていて、 わたしはこどもみたい、 かけあしでループ橋をおりて
中洲の芝生へと向かう。 輪っかのつらなる、 長いロープをおけにひたして
踊るような動きとともに にこにこ笑顔のおじさんから、 無数のしゃぼん玉
風に乗って 魔法みたいにうみだされる

そばにいる女の子、 大興奮に飛び跳ねて、 よろこび回転するその笑顔に
おじさんも嬉しそうで、 どんどんと間なく空にしゃぼん玉をいっぱいにする
周りの大人もわあってなって みんなが笑顔で しゃぼんは夢みたい輝いて
こころの重みが肩にのしかかるよう感じていたのが ふわっとしゃぼんと
同じに、 空に舞うよう  体とこころ、 軽く明るく広がって ひさしぶりに
自分の笑顔を自分に気づく。 それと同時に、 さっきまでの重みが改めて
のしっとこころに戻るのを、 胸に感じる。

大人の役目はまちがいなく こどもの笑顔と安心を守ることに思う
おじさんは そのために それをしていた それをみんなの笑顔にわかった
そのあとに入ったケーキ屋さん、 お茶をしている間 小さな子が来るたびに
店員さんが笑顔とことばをお子に向けて 子は飛び上がるようそれに応えて
そんなのはあたりまえの様子なのか あたりまえなのか
そのあたりまえがあたりまえにあることが許されず 笑顔を守るどころか
恐怖と悲しみ苦しみのみを、 容赦なく 眠るあいだですら子に負わせ続ける
いまガザで起きている大人の所業 それを許している大人たち それを見な
いふりする大人 大人はいったい なんで大人なのかを思う

昨日はパレスチナの土地の日で 新宿で行われた大規模な集会 そこで、
イスラエルの男性が参加者にからみ、 逆に囲まれ オリンピック選手でも
あるらしいそのひとの背に、 いっぽんを思う鮮やかさでシールが貼られた
画像や投稿を、 たくさん目にした。  昨日から今日そのひとが、 変に胸に
残り、 しゃぼん玉おじさんとの出会いを受けて、 内にあるもの明瞭になる

浮き上がった認識は、 おじさんと、 シールを貼られた彼の違いで
それは 彼は敵なるものを外に見ていて おじさんはこどもを見ていた

自分の正しさへの投資が、 敵をうみだす
おじさんは子の笑顔を思い、 きっと自作の縄から、 しゃぼん玉をうみだす
デモに参加されたひとは イスラエルの蛮行に怒っていたとしても
見ているのは パレスチナのひとの命と暮らしで 安心と、 安全で

見ているものの違い
自分が見ているものを ひとは生きる

柔道のひとに感じたものは、 心の休まることのない戦いに、 彼の世界は
あるという 終わらないVRのゲーム、 目に装着したまま日々があるような
見るものも、 体験も、 そこでうまれる感情も 狭さの内に閉じ込められた
なかでのものなら どんなにか、 自由がないかを 彼の平たい目に思う

おじさんは 公園を吹く風の動きと、 子達の求めから 踊るようそこにいた
おじさんが見ていたのは そうして、 しゃぼん玉をうみだすことでもない、
その場にいるひととわかりあう その瞬間の、 よろこびだった

自分のために外を見るのか みんなのなかで自分をあるか

敵として、 何かや誰かを感じるときは
そのところ 気を付ける
誰か、 何かを敵にしてしまうと 自分の正しさの証明しか選択肢はなくなる

敵として何かを見るんじゃない
自分の真の必要を、 真にうみだすものを見る
そうしたら 勝つか負けるかでも 正しさの証明でもない
それは、 おじさんのしゃぼん玉みたい
自分の真の必要をうみだすものへ いま自分ができること それを思い
りきみなく、 自分を尽くし生きるとき それは、 VRのゴーグルを外させて
胸にわかるほんとうへ ひとの目を開かせる


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