あの頃の僕は君にとってどう見えるかい

双子の兄がこの週末、関西に出かけている。
彼にとっては本当に何年ぶり。で、過去の大学時代〜梅田社会人時代の記憶を訪ねるべく出向いたそうだ。

ちまちま彼からLINEで写真が送られてくる。
懐かしい景色の数々。
梅田や難波、西宮はともかく、伊丹は本当に懐かしく、しばしの感傷に浸ってしまった。

おれが大学時代前半に暮らしていたアパート
ただ懐かしい。

大学時代の前半は双子の兄と伊丹のアパートで暮らしていた。
ふたりともキャンパスが伊丹周辺にあったからだ。

これは過去にTwitterやブログをはじめ、もう幾度と書いているのだけれど、兄と同居していた時期───すなわち大学1,2年もとい18や19のころのおれは人間として終わっていて、性格が最悪なまでに悪かったんである。
幼少期から高校時代に至るまでに溜め込んでいたあらゆるコンプレックスや劣等感を大学進学を期になんとか救済させようとしたのも束の間、大学デビューとやらは見事に空回りで失敗し、おまけに当時は熱烈な恋(もっとも一方通行な片思い)に敗れたのも重なり、とうとう見て見ぬふりや蓋をして来た報われなさやルサンチマンなどが爆発し、結果として18,19のおれはとことんひねくれ、とにかく勝手に敵を作っては周りの人達や終いには世界を妬んだり憎んだりしたのである。
もっとも、そういった精神状態に至るまでの原因はぜんぶ自分にあり、また自分が悪いのはわかっていたので余計苦しかったのではあるが。

その後は色々あってボロボロな大学生活を過ごしながら「悟り」(この言葉を使うのも片腹痛いと分かってはいる)、結果としては他人を妬むことも僻むこともなくなり、今では人の幸せを心から願ったり喜んだりできるようになった。
なので、そういう意味では29歳の今、本当に生きるのがとても楽だ。
「人の不幸は蜜の味」なんて今のおれにとってはとても思えないし、どれだけ甘くとも吐き出すだろう。

自分でいうのもなんだけれど、おれみたいなコンプレックスや劣等感や挫折や失敗、あるいは人からバカにされたり笑われたりするような場面が多い人生の人間が、人の幸せを心から願ったり喜んだりできるようになるまでに落ち着くケースはけっこう珍しいのではないかと思う。
おれはもう多分人に嫉妬したり他人の幸福を羨んだりする事はない。
なぜなら周りの人達の幸せがあって、初めて自分に幸せが訪れると思っているからだ。
又、これも自分でいうのもなんだけれども、自身の人生が上手くいっていない時に他人の人生が上手くいっているのを見ると、とても安心するし励まされる。
なぜならこれもまた上記の想いからだ。

双子の兄からスマホで送られてきた懐かしい風景に、ふとあの頃のおれと今のおれが対話したような、そんな気持ちになった週末。
あの頃のおれに今のおれはどんな言葉をかけてやれるのだろう。
いや、言葉だけでは足りないような気もする。

しかし、関西はやっぱりよいな…
中島らものイベントついでに訪れようか…

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