おれのロック前夜に

忌野清志郎が亡くなった。
2009年のことだ。享年58歳。
おれは当時14歳の中三だったが、彼の訃報は連日大々的に取り上げられていたことを今でも覚えている。

しかし、だ。
おれ個人のその時の思いとしては、ああ、音楽界かつ芸能界のなんだかとてもえらい人が亡くなったんだなあ…というくらいだった。
それもそのはずで、当時の中学生が忌野清志郎ましてやRCサクセションを知ることは一般的にはない。
そしておれ個人としては翌年にロックンロールが降ってくる、その前夜の出来事であった。

中学のおれが卒業した年のアルバムはできごと欄に記されていた「忌野清志郎」の字。
それほど大きな"できごと"だったのだろう。


その後、おれはTHE BLUE HEARTSをきっかけにロックンロールに目覚め、その途中は高三の時にRCサクセションや忌野清志郎を知り聴いて、もちろんそのカッコよさにシビレてしまったのは言うまでもない。
「雨あがりの夜空に」は勿論「わかってもらえるさ」「スローバラード」「トランジスタ・ラジオ」「僕の好きな先生」「いい事ばかりはありゃしない」…当時17歳、思春期のピークを迎えていたおれにとってはシビレるナンバーの連続だった。

特に清志郎関連ではふたつ強い思い出がある。

ひとつの「トランジスタ・ラジオ」に関しては、その歌詞にあこがれ、けれどもたばこを吸うどころか授業をサボるだなんてとても出来るような度胸がなかったので、せめてもの代替として、胸ポケットにiPodを、そしてイヤホンを学ランの袖に通して頬杖の体勢で耳に装着し、授業中に窓の外を眺めながら聴く、といったことをした。
当時のおれは「いけない」ことをしているようで(ようでというかまあ基本的にはいけないのだけれど…)ゾクゾクした。

Woo 授業をサボッて Yeah
陽のあたる場所に いたんだよ
寝ころんでたのさ 屋上で
たばこのけむり とても青くて

RCサクセション「トランジスタ・ラジオ」より

そしてもう一つ、17歳のアル中4号少年がシビレたのがTHE TIMERSだ。

言わずもがな、THE TIMERSを知ったのはYouTubeに挙げられていた「FM東京」だ。

山口冨士夫との共作がFM東京とFM仙台で放送禁止になったことのし返しに、生放送の歌番組で予定とは違う曲を披露し、放送禁止用語を連発。
その一連のZERRY(キヨシロー)の姿勢に、やはり思春期のピークを迎えていたおれにとってはシビレないワケがなかったんである。
また、その時期というのは思春期特有の選民思想的意識も手伝い、TSUTAYAで彼らのアルバムをレンタルし、狂ったように聴いてはわかった気になり、結果としては「THE BLUE HEARTSや忌野清志郎に気づいていない高校の同級生のヤツらは全員バカだッ」というトンデモない結論に着地したんである。

あれから12年たった今、こうして振り返ると

「お前のほうがよっぽどバカなんだ、思い上がるな」

などと、タイムマシンに乗って当時の自分を叱りにいきたい気もする。

あの世に生まれて15年目の清志郎は今ごろ天国のどこらへんまでツアーを制覇しているんだろうか。

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