あなたが見ている世界はマーヤ(幻)である
これはヨガの教えだけれど、最近本当にそうだな・・・と思う。
私たちは、見ているものをそのままにではなく、そこに自分で無意識に意味を加えて、自分で作った色眼鏡をかけて見ている。
だから同じものを見ていても、見えている世界はみんな違う。
透明な目で見ていないから。
心が透明ではないから。
心には色々なものが既に詰め込まれ、傷もついていて、色もついて、埃も溜まっている・・・ことが多い。
あの人が嫌だと思ったらそのことで頭の中はいっぱいになり、それに押しつぶされそうになる・・・かと思えば、その人が不治の病を抱えていると知れば、同情心が芽生え気持ちがころっと変わることもあるかもしれない。
その人が変わったわけではなく、自分の見方が変わっただけ。心が変わっただけ。
心というのはそうやってコロコロと変わるもの。
そしてその「心」自体を私たちは自分自身だと思って生きている。
そして野放しにしているから、コントロールすることができるとは思っていない。
だから苦しむ。
じゃぁ「心」なんてなければ良いのか?
そんなことはない。
人間にはとても大切な「心」。
ではどうしたら良いのか?
私たちの本質は心ではなく、永遠に続く魂なのだと、例えば思ってみると、心はこの人生を有意義に生きるための道具なのだと気づく。
心が本当の私ではないけれど、心を通して色々な感情を味わうことができる。それは豊かなことなのだと。
私はよくオンラインサークル(メンバーシップ)光のタネのセミナーで、「視点を三つ持ちましょう!」という話をするのだけど、
・今回の人生を生きている人間としての視点
・魂としての視点
・大いなる意識(全てを創造した意識)の視点
を自分の中に持っていると良いと思うと。
どれか一つに偏ると、苦しみが生まれたり、ただ傍観者になり今回の人生を楽しめなくなる。
だからこの三つの視点を行ったり来たりバランス良くすることが、人生という波をバランス良く乗りこなしていく術なのではないかと話している。
頭の中で考えていること、すなわち心が波立っていると、自分の世界はカオスになる。(そう見えてくる)
だから一旦心を静かにするために「瞑想」という練習がある。
瞑想がうまくいくと、その後しばらくは世界を透明な目で観れると思う。
すぐにフィルターは戻ってくるかもしれないけれど、頭の中の声(心の声)を頻繁に静かにする瞑想の練習をしていくと、パターン化されていた思考から少しずつ自由になってくる。
どれだけ自分が、事実ではなく思い込みの世界で生きていたのかにも気づくようになる。
「思考が現実を作る」とはよく言われている言葉だけれど、それが本当に腑に落ちてくると、頭の中で考えていることにもっと意識を向けるようになるし、ネガティブなことを考え続けるのは自分にとって良くないとわかってくる。
エネルギーの世界では、ごまかしは効かないのだと。
話は少し変わるけれど、きょうは、タッカーカールソンがプーチン大統領にインタビューした動画がXに公開されたと聞いたので、それを日本語に通訳してくれている人の動画で聴いていた。
テレビというのは、情報が偏っていると思う。
私たちに自分で考える余地をなるべく与えないように作っているとしか思えない。
これが事実ですからこう考えてくださいと・・・
でもそれは、意図的に作られたフィルターのかかった色眼鏡で世界を見るようなもの。
SNSも同じようなものだけど、自分で探せる範囲が広い。
例えば、今日のインタビューだって、こんなに世界中の人にとって重要な話題なのに、多分主要メディアでは放送されないだろう。
私は大体のことは疑って、自分で調べて、自分にとっての真実を探すようにしている。
色々な角度からニュートラルに情報を受け取り自分で考える。
ヨガは、体と心のクレンジングだと言われている。
なるべく透明な心で世界を見れるように、いらないものを手放して、曇ったメガネを磨き、歪んだ鏡を平らにする。
その先には、心の軽やかさと意識の拡大というギフトが付いてくる。
と、私は感じてる。
生徒さんたちと共に、日々プラクティス・・・
今日もありがとうございました。
おやすみなさい
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