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アーカイヴのあり方を見つめ直し創造的にデザインする──YAU SALON vol.24「"クリエイティヴ・アーカイヴ"でつくる創造と社会の循環」イベントレポート

「有楽町アートアーバニズム」(YAU)の一環で開催されているトークセッション「YAU SALON」。その第24回目として、2024年4月24日、YAU CENTERで実施されたのが「"クリエイティヴ・アーカイヴ"でつくる創造と社会の循環」だ。

この春から、YAUは東京藝術大学と連携して「有楽町藝大キャンパス」を開講する。YAU STUDIOで東京藝大の講座を公開し、一般の方も受講できるというプログラムだ。そのなかの講座「クリエイティヴ・アーカイヴ概説」「アート・リサーチ演習」では、創作活動にまつわるアーカイヴのあり方がテーマとなっている。

そこで今回、上記の講座を担当する東京藝術大学未来創造継承センター長・毛利嘉孝教授と、公立はこだて未来大学・島影圭佑准教授をゲストに招き、クリエイティヴ・アーカイヴについて伺うとともに、これからの社会や企業活動におけるアーカイヴの役割について議論した。

文=中島晴矢(アーティスト)
写真=Tokyo Tender Table


未来の「継承」を担う「クリエイティヴ・アーカイヴ」とは?

有楽町、国際ビル1FのYAU CENTERで開催されたYAU SALON vol.24。はじめにモデレーターの深井厚志が、YAUの新たな試みである「有楽町藝大キャンパス」について概説した。

YAUは2024年4月、東京都、東京藝術大学(以下、藝大)とともに、アートと社会を結ぶコーディネーター育成のための連携協定を締結した。持続性のある芸術文化エコシステムを構築するため、関係者がそれぞれの強みを活かしながら、アート領域と社会をつなげる人材育成に取り組んでいく。

そこで今年度に開講されるのが「有楽町藝大キャンパス」だ。藝大の学生が単位を取得できる正規の授業を外部にも開き、社会人と藝大生がYAU STUDIOでともに学び合う「社会共創科目(公開授業)」5講座をオープン。そのうちの一つが、藝大の未来創造継承センターから提供される「クリエイティヴ・アーカイヴ概説」である。

未来創造継承センターとは、2022年に藝大が設立した全学組織。この組織が掲げるキーワードが「クリエイティヴ・アーカイヴ」だ。センター長を務める社会学者の毛利嘉孝は、「有楽町藝大キャンパス」の講座「クリエイティヴ・アーカイヴ概説」のメイン講師を担当。毛利が未来創造継承センターとクリエイティヴ・アーカイヴについて解説する。

毛利嘉孝氏

毛利:
創立130年以上の歴史がある東京藝大にはさまざまな資料が眠っています。もちろん他の大学と同様に書類などの紙資料は収集してきましたが、これからのアーカイヴについて考えると、紙に残らない情報はたくさんある。そもそも藝大の場合、アーカイヴする対象も論文や書類ばかりじゃなく、当然、作品もあります。もちろん一部の作品は美術館で収蔵していますが、収蔵されない、あるいはできないタイプの作品もありますよね。

最近の美術の動向で言うと、展示そのものがかなり変わってきています。とりわけ現代美術の世界では、伝統的な絵画や彫刻だけではなく、アートプロジェクトやワークショップなど、コミュニケーションそれ自体を作品として提示する作家が増えている。そういう活動をアーカイヴするのって、なかなか難しいんですね。

従来のやり方であれば、写真や映像を撮ったり報告書を作ったりするわけですが、それだと伝わらないことがたくさんあります。むしろ、インスタレーションを組み立てるためのマニュアルだとか、ワークショップを立ち上げるスキームといったものこそが、おそらく必要とされている。もっと言えば、その場の雰囲気をどうアーカイヴできるのか。たとえばある表現の現場で、雨が降ったり子どもが泣いたり、いろんなことが起こる。それらを一つひとつ、何らかのかたちでしっかりと残していくことが大事だというのは、多くのアーティストが感じているはずです。

こうした状況を踏まえたうえで、どのようなアーカイヴが可能なのかということは、藝大の学内でもここ数年議論されてきました。そこで出てきたのが「クリエイティヴ・アーカイヴ」という概念です。せっかく多様な領域や手法を持った芸術系の大学なのだから、もっと創造的なアーカイヴを担うことができるのではないか───こういう考えで進めているのが、未来創造継承センターのクリエイティヴ・アーカイヴなんですね。

たしかに、表現を取り巻く環境や作品の様式が変化し続けている現在、アーカイヴの手法も大きな転換を迫られているのは事実だろう。さらに毛利は、未来創造継承センターがYAUと連携するに至った経緯を語る。

毛利:
いまお話したように未来創造継承センターは藝大のアーカイヴを扱う組織ですが、いわゆる「大学史」みたいな書籍編纂とは違った別の歴史のフレーミングができるはずなので、藝大で取り組んでいるクリエイティヴ・アーカイヴの手法を大学の外部で展開できる方法が何かないかと考えていました。そのときにちょうど「有楽町藝大キャンパス」の話をいただいたので、ぜひ一緒にやりましょうと。特殊な才能を持った藝大生たちと、幅広い専門性や知識を持った社会人の人たちが交わることで、クリエイティヴ・アーカイヴをより深く掘り下げられると思いますね。

具体的に「クリエイティヴ・アーカイヴ概説」では、前期に研究者やアーティストを招いて講義を実施。ゲスト講師には、戦災や災害のデジタルアーカイヴの第一人者である東京大学大学院教授の渡邉英徳や、映像人類学者の川瀬慈、アーティストの下道基行や長谷川愛、アートベース・リサーチを社会調査の方法として採用してきた社会学者の岡原正幸、実験的な演出家の高山明など、多彩な顔ぶれが揃う。

後期にもキュレーターや演奏家などが登壇するうえに、座学のみならず実際に手を動かす「アート・リサーチ演習」が並行して開講する。アートを媒介にした調査を通じて、実践的にクリエイティヴ・アーカイヴの手法を学んでいくワークショップのシリーズだ。

リサーチで得られた素材からアーカイヴをデザインする

後期の講座「アート・リサーチ演習」の講師であり、公立はこだて未来大学の准教授を務める島影圭佑は、デザインリサーチャーという肩書きを持つ。

島影圭佑氏

「専門はデザインなんですが、デザインを真剣に突き詰めたらこういうアウトプットになった」と笑う島影のアーカイヴに関するスタンスのベースとなっている展覧会が、2022年に企画した「“現実”の自給自足展」(N&A Art SITE、 中目黒)だという

島影:
「“現実”の自給自足展」では、ギャラリーを一種の舞台装置として設定し、そのなかでワークショップ、公開インタビュー、上映会などを行いました。空間はその痕跡によって出来上がっていき、さらにウェブ上には随時記録がアップされていく。何らかの当事者でありかつつくり手でもある人たちの持つ身体的な知のあり様を、僕は「生の技法」と呼んでいます。まさに「“現実”の自給自足展」は、展覧会という形式を通して集まってきた人たちと場を共有し、「生の技法」をシェアしていく、小さな学校を仮設するような展覧会でした

島影:
その展覧会の記録として制作したのが、短編映像「現実三兄弟と銀色のきゃたつ」です。一般的なティザー動画とは異なり、民話の方法論を採用しました。現代における民話の在り方を制作を通じて探求しているアーティスト・内田聖良さんがストーリーテラーを担当し、本展のアーキビストを務めた岩永賢治さんがその語りに対して展覧会内で生起したものごとのシーンの記録を当てていく。リサーチによって発見した中目黒の地域性をめぐる物語でもあります。これが僕らなりのクリエイティヴ・アーカイヴだと言えるかもしれません。

「現実三兄弟と銀色のきゃたつ」の上映を受け、毛利はアーカイヴにおける編集の技術に言及する。

毛利:
島影さんはいろんな人と対話しながらモノを作っていく、非常に現代的なデザイナーだとあらためて感じました。また、映像「現実三兄弟と銀色のきゃたつ」では、民話を媒介にすることで情報を整理してみせたわけですね。

基本的にいまのアーカイヴは、昔と違ってデータ量がすごく増えるじゃないですか。写真、映像、音声と、たくさん素材があるから、その整理はなかなか大変な作業になる。結局のところアーカイヴって、過去のものがグチャッと眠っているだけだから、ナマの素材のままでは見せられないんですね。だから誰かがそれを編集しなければならないし、その見せ方自体が一つの技術なんだと思います。

島影の担当する「アート・リサーチ演習」では、アーティストや研究者をゲスト講師に招いたワークショップシリーズを実施。いくつかのチームに分かれて、有楽町という都市をテーマにリサーチをして発表を行う、体験型の講座になる。学生か社会人かを問わず、これらのノウハウを学ぶことで、都市やコミュニティへの新しい視点を培うことができるはずだ。

これからのアーカイヴを幅広く模索するために

イベント後半では、クリエイティヴ・アーカイヴについてより踏み込んだディスカッションが交わされた。

毛利:
率直に言って、ここ10年ほど多くの業界でアーカイヴはブームです。立派な報告書がたくさん作られていますよね。でも、はたしてそれを読んでいる人がどれだけいるのだろうか、という問題がある。誰も読まないようなものなのであれば、それは組織の独りよがりということになってしまいます。だからこれから考えるべきは、「アーカイヴを使って何をするのか?」だと思うんです。

デジタルアーカイヴも流行っていて、なんでもかんでもデジタル化する傾向があります。たしかにデジタル化すれば検索性があがり、ネットで閲覧できるようになります。でも、同時に「それって何の意味があるんだろう?」という根本的な問いも生まれてくる。たとえば、ある音楽をレコードで聴くのとネットで聴くのとでは、まったく別の聴取体験ですよね。デジタル化によって、逆に見えなくなっていることもたくさんあるのではないか。

あるいは自分たちでアーカイヴしなくても、いまやSNSのユーザーがそれを代わりに担ってくれる状況も出来上がっている。美術展があると、みんな山のように写真を撮ってSNSに上げますよね。「じゃあそれで充分じゃないか」という考え方もあり得ます。もちろん各組織に眠るアーカイヴの蓄積は貴重です。だからこそ、それらを有効に活用していきたいんですよ。

たしかに、デジタルデータも含め、死蔵されたアーカイヴの整理や運用は切実な課題だろう。一方で島影は、保存された資料がまだ不足している業界もあると指摘する。

島影:
僕が京都にいたとき、お世話になっていた障害の社会学を専門とする立岩真也先生は、障害当事者の方やその関連の方にインタビューを行った場合、その記録というのは研究者のものではなく、語った人のものであり、そして「公共のもの」であるとおっしゃっていました。そのアーカイヴをもとにいつかだれかによって論文が書かれたり、場合によっては障害福祉に関する法律が変わったりするわけです。他方でまだまだ障害福祉の分野では現場の記述が足りていない。本来記述されるべきものが記述されなかったとき、場合によって、それは「最初から無かったもの」にされ、未来の構想を痩せたものにしたり、誤ったものにしたりする可能性があります。

分野ごとのアーカイヴの多寡という点では、文化芸術のなかでもその差異はある。たとえばビジュアルアートと比べて、パフォーミングアーツでは資料が充実しているとは言い難い。上演の記録が残っていても、完成に至るプロセスが残されていないケースもある。

毛利:
美術館や博物館があるので、もともとビジュアルアートはアーカイヴに意識的です。マルセル・デュシャンの《泉》のように、同時代に無価値とされた作品が、100年後にきわめて高い価値を帯びるといった現象がしばしば起こることも経験的に理解しています。

ところが、映像や新しいメディア、パフォーマンスなどについては諸外国と比較すると、日本では初期のテレビ番組の記録が残っていなかったりする。驚くべきことに、第1回目のNHKの「紅白歌合戦」の映像は残されていません。もちろん当時はアーカイヴ意識が薄かったし、撮影用のテープも高価だったので、一度使用した映像の上にどんどん上書きして番組を撮っていたんです。もちろん今ではその感覚も変化していますが、それでもまだアーカイヴに対して日本は遅れていると言わざるを得ません。欧米ではアーカイヴを一種の公共財と見なしますが、日本は作っては消し、作っては消しを繰り返している。都市計画とそっくりです。アーカイヴについて考えることは、そうした構造を見直すきっかけになります。

島影はアーカイヴの伝達方法について、自身の活動を踏まえて再度俎上に載せる。

島影:
僕はメーカーなどの企業とデザインリサーチ系のプロジェクトをご一緒することがあります。そういったプロジェクトのなかで、創業者の理念を読み返して、そこから映像を制作し、いま一度伝え直す、といったことが起きるときがあります。それによって現行のプロジェクトの意義や必然性をチーム内で再確認したりステークホルダーを説得したりする。これは古典落語に近い。過去に起きたことを、目の前のいまを生きる人たちにどう伝えたらその人たちの感情を動かすことができるのか。そうした語り直しにこそ、クリエイティヴ・アーカイヴのヒントがある気がします。

最後にイベントが会場へ開かれると、YAUとも連携するTOKYO PHOTOGRAPHIC RESEARCHの小山泰介から、「アーカイヴするものとしないものの線引きをどう考えるか?」という質問が上がった。

毛利:
プラクティカルに言えば、アメリカなどのアーカイヴ先進国に比較して、日本には場所も予算も足りていないという問題があります。モノを残すには空間もお金もかかるので、なんでもかんでも保存しておくのは限界がきている。その意味で、アーカイヴを選別する時代になりつつあります。とはいえ、たとえいまは無名でも将来大物になる作家の資料が破棄されたらマズいわけで、その辺が難しいところですね。
少なくとも、国会図書館のように一箇所ですべてをアーカイヴするのは難しくなってきています。そこで考えられるのが、分散型のアーカイヴ。どこかで一元的に管理するのではなく、個人コレクションなども含め、分散させるかたちでモノを保存しつつ、その保管先のデータをしっかりと把握する。クリエイティヴ・アーカイヴの本質は、そうした幅広い記録と継承の可能性を探ることにこそあるのだと思います。

膨大な情報が溢れる現代、アーカイヴのあり方におそらく正解はない。それゆえ議論を広く開いて共有し、試行錯誤を続けていく必要がある。その際にカギを握るのが、ある種のクリエイティヴな技法であることは論を俟たない。「クリエイティヴ・アーカイヴ概説」と「アート・リサーチ演習」を契機に、そんな視点を備えた人々が社会に増えていくことで、より豊かな未来が訪れるはずだ。



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