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世界のニュースを伝える、アートの新たな可能性——YAU SALON vol.17「日経新聞、アルスエレクトロニカへの挑戦〜アート×ジャーナリズムから見えた未来〜」レポート

2023年9月27日(水)、有楽町ビル10階のYAU STUDIOにて、YAU SALON vol.17「日経新聞、アルスエレクトロニカへの挑戦〜アート×ジャーナリズムから見えた未来〜」が開催された。

昨年、日本経済新聞社の研究開発部門である「日経イノベーション・ラボ」は、オーストリアのリンツで毎年開催されるメディアアートの祭典「アルスエレクトロニカ・フェスティバル2022」にて、3D没入型の作品《DATASPACE》を発表した。この作品は、アルスエレクトロニカが擁する研究開発部門「フューチャーラボ」との約半年に及ぶ共同制作により誕生した、見る人が体感して考える「未来の新聞」だという。

今回、このプロジェクトを担当した大石信行氏(日本経済新聞社 文化事業局 上席プロデューサー)をゲストに招き、日経新聞社が主導した「アート×ジャーナリズム」の挑戦について、内幕も含めて伺い、その可能性を探った。

当日の模様を、美術や工芸、地域文化の本の編集や執筆に携わる編集者/ライターの永峰美佳がレポートする。

文=永峰美佳(編集者/ライター)
写真=Tokyo Tender Table


■3D没入型未来新聞《DATASPACE》、アルスエレクトロニカに展示

幅16メートル、高さ9メートルの暗闇の大空間で、観客を包み込むのは無数の光の粒。その一粒一粒が、ウクライナ戦争によって生まれた難民を表す。上昇しながら戦闘機のようにこちらに向かってくる線。その角度の変化は、世界の防衛関連企業の株価を示している。

さらには、穀物価格を示す巨大な支柱。それが突然、ガラガラと崩れ落ちる。2011年初頭、中東・北アフリカで本格化した一連の民主化運動「アラブの春」の背景には、食料価格の高騰があった。世界各地で起こる暴動、そして今、ウクライナ戦争によりまた、食料価格が上昇している……。

この《DATASPACE》は、ロシアのウクライナ侵攻による世界への影響を目に見える形にするために、各種データを3次元にビジュアル化した「禅の庭」へと見るものを誘う作品だ。観客は3Dメガネを着用し、この8Kの没入空間で、資源価格や株価、難民の数といったデータそのもののなかに全身を浸すことになる。

このような作品が何故、どのようにつくられたのか。そこにどんな意図が込められているのか。講演の前半は、この《DATASPACE》の制作背景が大石氏から披露され、中盤はYAUからの制作プロセスに関する質問、後半は会場からの質疑応答、ディスカッションとなった。

■「アート」の力で、ジャーナリズムを体験に変える

このプロジェクトが取り組んだテーマは、「アート」と「ジャーナリズム」を掛け合わせた新しいコンセプト「アーティスティック・ジャーナリズム」。文字や写真、映像などによる情報の伝達が従来のジャーナリズムであるならば、ジャーナリズム的認識を、アートや芸術表現によって全身で体験してもらうことで、人と人との対話を生み出し、未来を探究する機会を創出することを目指しているという。

大石信行氏

こういった、アートとジャーナリズムが歩み寄る複合的な手法は世界的にも注目されており、有名なところでは、ロンドン大学ゴールドスミス校を拠点とする独立調査機関で、2018年に世界的なアート賞「ターナー賞」にノミネートされて話題を呼んだ「フォレンジック・アーキテクチャー」などが挙げられる。ちなみに今年の「アルスエレクトロニカ・フェスティバル2023」でも、ジャーナリスティックな視点を意識した作品が多く見られたそうだ。

プロジェクトに携わったのは、日経新聞社からは大石氏と、「日経イノベーション・ラボ」上席研究員(現同ラボ事務局長)の山田剛氏。アルスエレクトロニカからは「フューチャーラボ」共同代表の小川秀明氏と、アーティストのNicolas Naveau氏。この4名を現場の主軸に、多くの人々が関わる複合プロジェクトとなった。

■ディスカッションパートを入れ、対話を生み出す

従来のメディアは、読んだり、聞いたり、見たりするためのもの。しかし「アーティスティック・ジャーナリズム」による、この新しいニュース・メディア《DATASPACE》は、全身で体感するように設計されている。制作のスタートには、大石氏が考案した一つの漢字があった。新聞の「聞」の漢字を分解すると、門構えに「耳」。それに対して、耳で聞くだけではなく、体全体で体験することを示す造語として、門構えの部首に「体」の文字がはめ込まれた。3Dインスタレーションの冒頭にも、これらの漢字2文字が象徴的に示されている。

左は聞き手を務めたYAU運営メンバーの深井厚志氏

作品全体の所要時間は、映像のインスタレーション15分+その後のディスカッションパート15分でワンセットとした。「アルスエレクトロニカ・フェスティバル2022」の9月7日〜11日の会期中、2度上演され、それ以外に、フューチャーラボでの研究成果の発表会で映像インスタレーション15分のみを披露した。「ディスカッションパートを設けたところに、自分のもう一つの意図である、対話を生み出すための仕掛けを込めました」と大石氏は話す。

会期中、200人以上の人がこの作品を鑑賞した。「ウクライナ戦争の世界的な影響について気付かされたという声が多く聞かれました」。また、アルスエレクトロニカ内の巨大空間「Deep Space」のレギュラーコンテンツに採用されたり、パリの有名ブランドから別の形態で使えないかと相談を持ちかけられたりと、思わぬ反響があったという。

■根底にある、メディアが抱える危機意識

このフェスティバル会期中、パネルディスカッション「Media of the Future」が開かれ、今回のプロジェクトに関わった大石氏、山田剛氏、Nicolas Naveau氏に加えて3名のアーティストが参加し、計6名でメディアの将来について語り合った。

そこで大石氏は、プロジェクトに込めた想いについてプレゼンテーションを行なった。新聞はかつての恐竜と同じで絶滅に瀕している。メディア業界の昨今のバズワードが「Selective News Avodance(選択的ニュース回避)」であるように、世界的にニュースを避ける動きが広がっている。ニュースを見ないということは、共感も起きない、対話も生まれない。それは民主主義にとってどうなのだろうかという思いが、その根底にあったという。

「メディア離れが進行する今、伝え方を工夫する必要がある。それはメディアに関わる人ならば、誰もが抱く危機意識であったと思います」。

アーティストのオラファー・エリアソンの有名な言葉がある。「アートは人に何をすべきかを示すものではない。しかし、優れた芸術作品に関わることで、自分の感覚、身体、心を結びつけることができる。それは世界を感じることであり、その感覚は、思考や関与、さらには行動へと人を駆り立てるかもしれない」。

このアートの可能性を手掛かりに、これから必要なのは、ジャーナリストとアーティストが合体した「Journartist」(大石氏の造語)という存在なのではないか、という提言を行い、《DATASPACE》のその先にあるものを共有したという。

■プロジェクトの経緯とその成果

中盤はYAUからの制作プロセスに関する質問に、大石氏が回答した。プロジェクトの始まりは、大石氏が自身の子どもが通う大学のシラバスをパラパラめくっていたときのこと。偶然目に入ってきたのが「アーティスティック・ジャーナリズム」の講座名だった。「一体この講座はなんだろう」。大石氏は社内の山田氏を誘い、一度話を聞いてみたいと、講座を担当する小川秀明氏に初めてコンタクトを取った。

このプロジェクトは、じつは、最初からフェスティバルへの出展が目指されていたわけではなかった。まずは、R&D(リサーチ・アンド・デベロップメント)事業として小川氏がワークショップを行い、そのプロトタイプとして《DATASPACE》を制作、結果としてフェスティバルに出展するという道筋が生まれた。幸い、社内的な理解も得られた。

「デジタル部門を統括している幹部は、イノベーティブなことに関心が高く、プロジェクトに理解を示して、ワークショップにも参加してくれた」と大石氏。「小川さんもよく言うのですが、CEOとか、トップの経営に近い人に理解してもらうことが大事。Cクラスの人の理解を得なければダメなんです」。

小川氏によるワークショップでは、デザインシンキングとアートシンキングの考え方の違いを学んだ。その後、「体感する新聞」をコンセプトに、2022年2月末頃から2週間に一度位のペースで、1時間半程のオンライン・ディスカッションを行った。偶然、2月24日にロシアのウクライナ侵攻が始まり、具体的なテーマが決まった。日経側からは数字データを提出し、表現に関してはある程度、アルスエレクトロニカ側に任せることになった。

実際にこのプロジェクトを通して、日経新聞社としてどのような評価や利益を得られたのだろうか。「成功させたからといって未来の新聞にいきなりたどり着くわけではない。社内でもVR(仮想現実)やAR(拡張現実)でメディアをつくるという話もあるのですが、コストがかかり、そこまで実験的に進めていいのかという懸念もある」。

ただし、社内の意識が変わってきているのを感じているという大石氏。「このプロジェクトができたから、また次もできるんじゃないかというような前向きな空気が生まれました。若い世代へも繋がっていく、そういう広がりを感じています」。

■アートの主観性、人が関われる余地

後半は質疑応答となった。聴講していたアーティストからは「ジャーナリズムは客観性が高く、中立性が求められる一方、アートは制作者の主観が強く反映され、ときにオーディエンスの感情をコントロールする意図すら生じる。アートとジャーナリズムのバランスについて、どのように感じているのか」という質問がなされた。

これに対して大石氏は、「今回のプロジェクトに関して言うと、特にウクライナ戦争が起きている状況だからこそ、小川氏からもNicolas Naveau氏からも、偏った見方をしたくないという強い意志を感じました。それは日経新聞とのプロジェクトだからというより、客観的なデータを伝えることで見えてくる何かがあるはずだという強い信念に基づいていたと思います」と答える。

ただし、それがアートとして良いかという点については、判断できかねるとし、逆にアーティストの目線からはどう見えるのかと質問を返すと、質問者は「アートには正解はないし、そういう意味で見る人次第だろうという気がします」とコメントした。

大石氏は、中立性をどう考えるのか、さらに議論を深める問いを会場に投げかけた。これに、また別のメディアアーティストは「生命科学に関する取り組みにおいて、生命とは何かという問いは、宗教や文化背景によって、それぞれ捉え方が異なる。倫理問題と重なるので、ファクトを伝えたときにハレーションが起きやすい。それをどう馴染ませていくのかが重要になります」と回答。

そこでアート作品を使って対話を生み出すことが行われており、自身もその手法を用いていると紹介したうえで、「ですので、主観的かどうかより、いろんな人たちが関われる余地をどうつくり出せるかが大切なのではないでしょうか」と指摘した。

■価値づけされないところに価値を生み出す

最後に大石氏は、アルスエレクトロニカに日本企業が参加する意味について、アーティストでアルスエレクトロニカ・アンバサダーを務める久納鏡子氏にインタビューした模様を披露。

「多様な価値とチャレンジを馬鹿にしないで、大真面目で取り組む。ビジネスではない対象に挑戦することで、価値づけされていないところに価値を生み出すことができるのではないか」という力強い提言がなされたことを伝えた。

「久納さんも言っていましたが、アルスエレクトロニカは見学するより参加する方が楽しい。今回、出展した際、アルスエレクトロニカ内のパスの区分が『artist』になっていた。普通の会社員がアーティストになったことを実感した。皆さんもぜひそういう体験をされてみてはいかがでしょうか」と、大石氏は話を締め括った。

ジャーナリズムとアートが出会うことで、アートの未開拓の可能性が引き出され、生まれた作品《DATASPACE》は、さらに新たな対話を導き出した。

誰かが体験している戦争を、どこまで正確に数字が表象できるのか。次なる課題を投げかけながら、多くの人が関われる場をどう開いていくのか。意見の異なる人との交流をいかに生み出せるか。どうしたら物事の行き詰まりや、現代の息苦しさを解消できるのか……。少しだけ未来が見えてくる、示唆に富んだトークに心が弾んだ。


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