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大学でアートセラピーを教えるということ

みなさま、こんにちは。

実はこの4月から、東京の大学で、アートセラピーに関する講義を担当させていただいています。

これまで高校で心理学を教えたり、企業や大学院に招かれて講義することはあったものの、
大学に所属する講師として講義を担当するのは初めてのこと。

そもそも日本はアートセラピーが学べる大学って多くないんです。そんななか、その大学史上初めてのアートセラピーの講義を立ち上げさせてもらったわけです。これはもう、なんて言葉にしたらいいのか、とにかくすごいことです。

※ちなみに現在所属している大学病院はそのまま常勤で勤めていて、この授業のコマの部分だけお休みをもらって外勤させてもらう形をとっています。なので、メインの所属は変わらずです。


お話をいただいた時はとても嬉しくて、期待と不安で心臓が張り裂けそうだったのですが、
実際に始まったら、想像以上に楽しくて。

そして、想像以上に苦しくて(毎週の準備が)。

それはもう大変に刺激的な日々を過ごさせていただいています。


講義を受けてくださっているのは芸術学部の4年生の学生さんたち。

4年生と言ったら、大学最後の年。
1分1秒がとっても貴重な時間です。

そんな時期に自分の授業を選択してくれた学生さんには、感謝の気持ちでいっぱいです。
(もう履修してくれただけで単位と最高評価あげたいくらい!…もちろんそういうわけにはいかないのですが)

なんとか彼らにとって価値ある時間にしようと、毎回できる限りの全てを注ぎ込んで準備しています。



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ちなみに、彼らは芸術を学んできた学生さんたちなので、臨床心理学とはほとんど無関係なのです。

でも、アートセラピー(特に私の専門の)は、サイコセラピーの理解とスキルの上にアートの理解とスキルを組み合わせたものなので、臨床心理学を学ばずして本質を伝えることはできません。

そんなわけで、授業では臨床心理学や精神医学、心理療法、その理論なんかも説明するのですが、
これがまあ、めちゃくちゃ大変です。

生徒さんがほとんど初めて触れる分野。万が一にも間違った情報を伝えるわけにはいかないので、例えばフロイトやユングの話をするとなったらもう一度オリジナルの文献を読み直しますしその時代背景周辺人物や当時の医療技術についても調べます。
なんならそれが生まれるに至った彼らの人生、そしてそもそもの精神療法の歴史も1から調べて結局その起源まで遡って学び直して、と、気がつくとそれだけで週末が終わっています。笑

ただコピペするんじゃなく、自分の頭で理解して自分の言葉で伝えたいから、腹落ちするまで勉強しまくります。

"この道の専門家"のつもりでいた自分の理解がいかにあやふやだったかを再確認し、原著を図書館で借りて読み直したり英語の論文に手を出したり。
とにかく日々学び直しなのです。

そして、情報をそのまま伝えても退屈なだけですから、どうやってまとめて、どんな流れで、どう説明するかも考える。聞くだけだとつまらないから、実際に体験するようなワークも交えて、実体験として学んでもらう。

かつ、楽しんでもらう。

そして何より大事なことですが、彼らはアートセラピストになりたいわけではないので、
“彼らの今後にとってためになる” アートセラピーのエッセンスを抽出して、それを伝えていかなければいけないわけです(と私は考えています)。

そういう授業を、慣れない私がやろうとするとどうなるかというと、
もう本当に、ほぼ毎日、四六時中、授業のことを考えるようになります。

例えば理論の回で、クラインやウィニコットを紹介するとしたら。
限られた時間の中でどうやって、どの理論を、どういうふうに説明するか。
彼らの理論を体験的に理解してもらう、感じ取ってもらうにはどんなワークを選んだらいいか。
(この時はスクウィグルをやりました)


どうしたらもっとわかりやすいか、
どうしたらもっと興味を持ってもらえるか、
どうしたらその1回を、参加する人にとっての意味ある時間にできるのか。

そういうことを1週間ずっと頭のどこかで考え続けているわけです。
(もちろん病院の仕事とか、カウンセリングをしている時間を除いてですが)

講義は週に一度しかないのですが、
自分としてはなんだか毎日講義のこと、学生さんのことを考える日々になっています。



***

何よりもまず自分の勉強になっているというか、人に教える以上の勉強ってないんだなと身をもって実感しています。
間違ったこと教えるわけには絶対にいかない。と思うから徹底的に調べますし、
わかりやすく伝えたいから本質を理解するまでじっくり読み込まなければと思いますし。
ありがたいことです。

特に私の学んだUKのアートセラピーのベースになっている精神分析、分析心理学、対象関係論、自我心理学あたりはここ数ヶ月必死で読みあさっています。

精神医療の歴史ももちろんですが、アートそのものの起源にも既にセラピューティックな要素があるわけで、アートと心の関係性を説明するために文化人類学の本まで読み込んで、もちろん美術史も読み直して、歴史とアートの関係性や、精神医療と戦争の関係性や、サイエンスとアートや、サイエンスと精神病理の関係も…あれ?なんか哲学も…と、脱線しては戻り、他分野から学びを得たりと、とにかくキリがないわけです。

なんなら本が何冊か書けそうなくらいのインプット量です。

お分かりと思いますが、それだけ時間をかけたところで、授業はたった100分しかないわけで。
そのうち1/3強はワークに使いたいので、話す時間はかなり限られているのです。

準備に使った時間と、インプットした知識が100あったとしたら、実際に話すのは1という感じでしょうか。

ほんとそんな日々です。

これはもはや、修行なのかもしれません。

この歳になって、こんな形で必死に勉強できる機会をいただけて、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
(慢性的な寝不足でなんか老けてきちゃったけど)


***

そしてまた学生さんが素晴らしいんです。

ワークするととんでもないクリエイティブなものが出来上がったりするし、
考察も鋭いんですよね。

毎回授業の最後にリアクションペーパーを書いてもらっているんですが、これを読むのが楽しみでしょうがなくて。
鋭い指摘があったり、自分の至らないところを教えてもらったり、新しい視点を共有してくれたり。

彼らにとって私は「アートセラピーの先生」なわけですが、私にとっても彼らは私の授業を指導してくれる「先生」だと感じています。

***

そんなわけで、この新しいお仕事が楽しいですというお話でした。
1年終わる頃には燃え尽きてそうですが、それはそれでいいかなと。
講義の内容、せっかくならnoteにもなんらかの形でまとめたいなと思っていますが…

しばらくは、目の前の生徒さんたち相手に全力疾走したいと思います。

暑かったり寒かったりの季節の変わり目、みなさまもどうかご自愛ください。



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