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【エッセイ#29】 黒の妄想 -画家ゴヤの力について

幻想とひとえに言っても、様々なレベルがあります。この世の外のものを幻視してしまったかのような奇想もあれば、もっと人間くさい、激しい思い込みや思いつきに満ちた、妄想のレベルのものもあります。 
 
18世紀末に活躍した画家フランシスコ=ゴヤは、しばしば幻想的な作品を描いたものの、多くはどちらかというと「妄想」に近い幻想でした。そして、それはこの時代ではかなり珍しく、今でも観る者の胸を打つ驚くべき作品となっています。

フランシスコ=ゴヤ自画像


 ゴヤは1746年スペイン生まれ。画家を志して当時の美術アカデミーの試験を受けるも失敗し、自費でイタリアに留学し、ほぼ独学で絵画を身に付けます。そして、義兄のコネを利用して、最初は王侯貴族向けのタピストリーの下絵描きの仕事に就きます。そこから上流貴族の注文を次々に受けるようになり、出世を重ねていきます。 
 
美術アカデミーにも認められ、39歳の時にアカデミーの助教授になり、翌年にはスペイン国王カルロス三世のお付きの画家に。そして、王が没してカルロス四世が即位した43歳の時には、とうとう正式に「宮廷画家」となって、画家として頂点に立ちます。 
 
彼の書簡集が遺されていますが、とにかく強欲で、金銭にうるさく、出世欲が激しい。また、傲慢ではあるけど、ある意味無邪気な性格でもあるように見えます。それゆえか、貴族たちへのお世辞や追従も得意のもの。確かな技術と併せて、注文主の要求に素直に応じるその世渡り上手な部分によって、公的な出世を得たのだと伺えます。 

『カルロス四世の家族』
プラド美術館蔵
煌びやかではあるが、
とても賢明には見えない国王一家

 
しかし、そんな得意の絶頂だった彼を悲劇が襲います。46歳の時に難病にかかり、一時は目と耳が不自由になります。目の方は何とか恢復したものの、耳は完全に聞こえなくなってしまいます。 
 
しかも、彼が宮廷画家になった1789年、隣国フランスでフランス革命が勃発。激動の時代に巻き込まれることになります。 



ここからの彼は、ある意味異様な活動を見せることになります。
 
表向きには、カルロス四世の家族の肖像画を描いたりして、宮廷画家の役目を果たしていきます。折しも、ナポレオンがスペインを侵略し、カルロス四世は退位。フェルナンド七世が即位し、その後、ナポレオンの兄のホセ一世、イベリア半島からナポレオンを追い出したイギリス軍、そして帰還したフェルナンド七世と、めまぐるしく権力者が変わるものの、その都度肖像画や、要望されて称賛のための神話画を描いたりして、乗り切ります。
 
しかし同時に、こうした公の部分とは違う、暗い部分が爆発するようになっていきます。

特に「黒い絵」と呼ばれる奇怪な、暗黒の油絵。それらを絶えず描き、公にすることもなく、「聾者の家」と呼ぶ自宅に飾っていました。その中でも、最もグロテスクで有名な『わが子を食うサトゥルヌス』は、狂気の眼が見開かれた神が人肉を食らう、衝撃的な作品であり、これを食堂に飾っていたということですから、尋常ではありません。

『わが子を食うサトゥルヌス』
プラド美術館蔵
彼が毎日食事の時に見ていた絵画

また、銅版画集『ロス・カプリチョス』、『闘牛術』、生前刊行されなかった『戦争の悲惨』、『妄』といった作品集では、フランスとの独立戦争の際の惨禍での、むごたらしく処刑された人間たち、貴族や民衆の蒙昧さ、奇怪な怪物たちの跋扈する悪夢等、民衆の悲惨な実態を描く苛烈さと、自由な幻想を赴くままに広げた作品となっています。

『ロス・カプリチョス』より
『理性の眠りは怪物を生む』

 
こうした部分を挙げて、彼を「民衆の画家」「人間の暗黒面を見つめた画家」と称賛する声もあるようです。しかし、私は、彼はそうした孤高の芸術家とは、あまり言えないと思っています。


 
というのも、裏の『ロス・カプリチョス』の表側では、かなり俗っぽい作品も創り続けていたからです。
 
ある意味悪名高い『着衣のマハ』『裸のマハ』では、ベッドに扇情的なポーズで横たわる女性を、着衣バージョンと脱衣バージョンの二つで描き分けています。二つとも、時の宰相ゴドイ(カルロス四世の王妃マリア・ルイーサの愛人で、近衛兵から成り上がった男)の依頼によるものでした。これは明らかに、ポルノグラフィックな用途の作品です。

『着衣のマハ』
プラド美術館蔵
全く同じポーズで『裸のマハ』がある


また、ナポレオンの侵略に抵抗する人々が銃殺刑される事件を描いた『1808年5月3日』は一見戦争反対を唱えるような、崇高な作品に見えますが、この作品は事件のずっと後の1814年に、復位したフェルナンド七世にゴマすり目的で描かれて献上されたものです。

『1808年5月3日』
プラド美術館蔵
白いシャツの男は明らかに
十字架上のキリストのモチーフ

 
これは果たして、彼の人格が分裂したものと言えるのでしょうか。表向きは権力者の御機嫌取りをして、隠れて人間の暗黒面を見つめ、民衆に同情を寄せていたのでしょうか。
 
しかし、いくら権力者におもねると言っても、限度があります。聾者になってからは、ゴヤは主席宮廷画家であり、大臣の私的なポルノなど、ことわる口実はいくらでもあったはずです。あまりにもあけすけな作品を見ていると、寧ろ、悪乗りしているような雰囲気があります。
 
また、1797年には、女公爵だったアルバという女性に恋し、肖像画を描いています。その中で女性は地面を指さし、そこには「ゴヤだけ」と書かれています。中学生レベルの恥ずかしい所業であり、恋仲だったとも言われていますが、寧ろ、ゴヤが一方的に思いを寄せていたと考えるのが自然でしょう。

『黒衣のアルバ公爵夫人』
アメリカ・ヒスパニック協会所蔵
見えづらいが、
足下には「ゴヤだけ」の文字

 
こうした稚気を見ていると、表側のゴヤもまた、彼の重要な一側面のように思えてきます。つまり、金にがめつく、権力者に取り入り、精力旺盛で、年甲斐もなく惚れやすい「にもかかわらず」、ではなく、「だからこそ」、人間の暗い側面や、怪奇な部分を見つめられたのではないでしょうか。
 
そう考えてみると、彼の「奇想」は、例えばウィリアム=ブレイクのような、この世ならざるものの幻視とはだいぶ異なる気がします。そうした幻視はある種の崇高さが宿っていますが、ゴヤの幻想に出てくるのは、不安、恐怖、嘲笑、恍惚といった、どれだけ負の面があろうとも、人間くさい感情です。それらをまとめて、「妄想」と言い切っていいでしょう。
 
ゴヤ自身が、人から見れば醜い欲望に振り回されているからこそ、欲望に振り回されて残虐にも凶暴にもなれる人間が、頭ではなく感情で理解できるのでしょう。そして、音のない世界に一人取り残されたとき、そうした感情が、イメージとなって、彼の中で闇の翼を広げて羽ばたいた、そんな気がしています。

『鰯の埋葬』
王立サン・フェルナンド美術アカデミー蔵
陽気でどこか不気味な民衆の祭りを描く
晩年の傑作


これは、以前書いた、破滅的な人生を送ったカラヴァッジョとは、真逆の状態です。カラヴァッジョの場合は、彼の作品の崇高さとは殆ど摩擦を起こすレベルの、人格と生活の破綻がありました。

ゴヤの場合は、表側の公的な栄光の宮廷画家としての自分と、私的などす黒い自分が、百八十度違うようでいて、どちらもバランスをとって同居できています。両人とも、友人には決してなりたくない、という点では共通していますが、芸術家としての人生は対照的です。



私が好きなゴヤの晩年の作品があります。簡素な素描で、ぼうぼうの白い髭を生やした老人が、両手に杖を突きながら、こちらをいかめしく見つめています。その横には、「それでもわしは学ぶ」の文字が書かれています。

『それでもわしは学ぶ』

まさに、立ち上がれなくてもどのような状態になっても、描き続けるゴヤの姿勢を雄弁に表した作品です。こうした力強い欲望に支えられているからこそ、暗い一連の銅版画やどす黒い妄想をぶちまけた絵画も、決して閉じた状態になることなく、そのパワフルな魅力で、今も人々の心を打つのでしょう。私たちが生きる時にも、そうした前向きな姿勢が、あらゆる物事に必要だといえるのかもしれません。


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


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