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【レビュー・批評#7】世界と溶け合う建築 -フランク・ロイド・ライト展について

先日、新橋のパナソニック汐留美術館で開催されている『フランク・ロイド・ライト 世界を結ぶ建築』展に行ってきました(3月10日(日)まで開催)。

 
建築家、フランク・ロイド・ライトを多角的な視点で切り取る、この展覧会。小規模なものでしたが、充実していました。
 
ちょっと狭めのスペースに、彼の設計図や、建物の写真、模型、彼の書いた手紙等がぎっしりと並んでいます。各パートが吹き抜けで行き来自由なのが面白い構造です。

日本の旧帝国ホテルの設計者ということもあり、日本でも人気があるのでしょう。会場も盛況でした。その中で、個人的にも驚いた、今まで知らなかった発見もありました。


 
フランク・ロイド・ライトは1867年、アメリカ、ウィスコンシン州生まれ。シカゴに移って、建築家の事務所で働いた後、1893年に独立。それから1959年、91歳で没するまでに、70年近く、旺盛に働き続けました。

フランク・ロイド・ライト


彼の設計した建物は「プレイリー・スタイル」とも、「ユーソニアン様式」とも言われています。近代的でありながら、自然と見事に調和しているのが特徴です。彼の代表作の一つである、カウフマン邸(落水荘)は、その特徴がよく出ています。

カウフマン邸(落水荘)

 
幾何学的でありながら、曲線もうまく組み合わされた建物が、川と滝の上に建てられています。建物自体はすっきりと、モダンな感覚なのに、周囲の森と調和しています。

そして、突き出た滝の岩棚がまるで、建物と組み合わさって存在しているかの印象を与えます。それでいて、全体は奇異な感じがなく、居心地が良い。世界遺産にも登録されている、優美な建物です。


 
また、彼は日本の浮世絵のコレクターでもあり、日本文化にも精通していました。本人の、浮世絵がなかったら自分の建築もなかった、みたいなコメントも、展示されていました。
 
彼が来日して大正時代に設計した帝国ホテル(現在のものとは違います)は、エキゾチックでありながら(装飾文様にはなんとマヤ文明の様式も使われています)、どこか日本的な風味もあります。それらを総合して、格調高く、華やかでやはり居心地のよい空間だったことが、写真や資料からも伝わってきました。

帝国ホテル


 展覧会には、彼のこんな言葉もありました。彼の多くの作品の特徴を一言で説明する言葉でもあるでしょう。

建築家はそこに存在している美を見るべきである。美を成立させている自然の性質を理解し、それを活かす努力をしなくてはならない


 
ところで、この展覧会で、私が一番驚いたのは、彼が晩年、なんとバグダッドの都市計画設計を依頼されていたことでした。何でも、彼は『千夜一夜物語』が大好きで、イスラム圏にも昔から関心があったとのこと。その計画を示す設計図も展示されていました。
 

『大バグダッド計画案』(1957年)


8世紀アッバース朝の円城都市をモチーフにしたというその計画は、イラクの王政が倒れたため、結局着手されることはなかったのですが、円形の都市網に、川と塔、緑が組み合わさったその図は、確かに彼の特徴が出たものでした。
 
私は、彼が創った建物は、いくつか知っていました。しかし、彼が創らなかった計画までは知らなかった。それも、1950年代になって、まさかバグダッドの都市計画とは! その驚くべき柔軟性、幅の広さに驚かされます。

会場には、その他、オランダやイタリア、北欧の若い友人たちとの交流を示す手紙や、教育者としての彼の側面に光をあてた展示もありました。


 
彼のこうした旺盛な意欲、そして柔軟性は、一体どこから来たのでしょうか。それはまさしく、彼のルーツにあると言っていいと思います。彼が生まれた場所が、彼の建築様式だけでなく、彼の思考様式も決定づけたのではないのでしょうか。
 
彼が生まれたウィスコンシン州は、近くに五大湖があり、森林も豊かな土地です。カンザスやテキサス程、だだっ広い荒野が広がっているわけでもない。水と森と、そして、広い丘。それが、彼の建築観を決定づけたと思います。
 
会場の外のロビーで、ライトが晩年インタビューに応じた10分程の映像が流れていました。その中で、彼は故郷の自然について大体このように説明します。

低い丘に、突き出た岩棚、森や林。雪が積もると、全てが一つの丘に見えました。

まさに、この言葉には、彼の建築様式の特徴があります。低い丘のような、横に広がったプレーリー様式、森林や岩盤と調和するスタイル。そして、それらを包み込むような存在によって、全体が一つに見える。

ロビー邸
横に広がる「プレーリー様式」


部分は全体と、全体は部分と調和するように、というのは、彼がインタビューでも語っていることです。多分大抵の建築家、いや芸術家が目指すことでもあるでしょう。ライトの場合、その部分と全体の調和を図るのが、雪のように、マテリアルかつ自然な存在であるのが、独特と思えます。


 
彼は自分の建築を有機的(オーガニック)なものだと言っています。落水荘の白いあの外観、グッゲンハイム美術館の螺旋形の白いスロープは、雪のようにどこか抽象的でありつつ、自然な感じがします。

そして、彼の手掛ける装飾は、手の込んだ幾何学模様でありつつ、どこか「オーガニック」、つまり、雪の結晶のようにシンプルな美しさを持っていると思えるのです。

ライトのステンドグラス
どこか結晶の構造を思わせる

丘を雪が覆いつつも、全てを埋め尽くすほどではなく、一つ一つの自然の部分を残しながら、全体へと統合されていく。それは、どこか、抽象的な光景でもありつつ、その土地の自然の特徴をも引き立てる光景です。
 
それゆえに、彼は、日本や中東といった様々な「ここではないどこか」という場所の様式を小さい頃から受け入れ、それがどのようになると一番効果的か、という思考を持ち続けることができたのではないのでしょうか。

こうした光景を根底に持っていたからこそ、どんな場所であろうと、その土地の特性を受け入れて、周囲の環境を生かすという道を選んだのではないか、と妄想してしまいます。

グッゲンハイム美術館

 
もう一つ、インタビューで印象的な箇所がありました。故郷ウィスコンシンに自分の家を建てた際、その場所について語ります。

丘の頂上に建てたら、丘が無くなる。頂上に行く途中に建てれば、丘が手に入るのです。

 何気ない言葉ですが、ここにも彼の建築観が表れているように思えます。つまり、その場所を征服するかのように頂点に、自分の人工物を築くのではない。大切なのは、場所と調和するように、その途中、何かの中間地点に建てること。そうすれば、自分にとって美しい場所を手に入れられる。
 
ライトの建築は、この中間地点の思考と、細部を殺さない抽象化の思考とが、あらゆる具体的な場所と組み合わさってできたものとも言えるのでしょう。
 
ライトの多様な活動に触れつつ、こうした様々な思考に誘ってくれるこの展示会。機会がありましたら、ぜひご覧になっていただければと思います。



今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のレビューでまたお会いしましょう。


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