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夢を重ねたアップリケ -傑作映画『私の20世紀』の魅惑

【木曜日は映画の日】



夢というのは、意味が分かるようで、分からないからこそ、魅力的だと思っています。

それゆえ、その中身をフィクションで扱うのは、実は結構難しい。「理解できる」と「不思議」の微妙なバランスが必要だからです。

映画でも、物語を進める「装置」として、夢は昔から使われてきました。しかし、映画が夢そのもののような不思議さに満ちている作品は多くない。そんな作品の一つが1989年のハンガリーの傑作映画『私の20世紀』です。


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『私の20世紀』は、ハンガリー出身の映画監督イルディコー・エニェディが、祖国で撮った第1回監督作品です。

イルディコー・エニェディ
『心と体と』(2017年)での受賞時


1880年、エジソンが白色電球を発明して公園でお披露目する頃、ハンガリーのブタペストで、リリとドーラの、双子の女の子が誕生します。
 
少女になった2人は、あるクリスマスイブの日、路上でマッチを売っています。そして、別々の紳士に連れられて別れることに。
 
そして、リリは真面目な社会運動の革命家に、ドーラは瀟洒なドレスを着こなす華麗な詐欺師になります。
 
1900年の大晦日、19世紀最後の日で浮かれるオリエント急行。偶然乗り合わせた2人は、お互いの存在に気づかないまま、謎めいた1人の男と別々に出会う。。というお話です。

『私の20世紀』




しかし、上記のお話は、そのまま語られることなく、驚くほどの逸脱を繰り広げながら、ゆったりと進みます。
 
例えば、双子が別れた後、突如パリで、二コラ・テスラの電気実験の講義画面になり、更にビルマの竹林で男たちが何かを探す場面に、何の説明もなく切り替わります。

どうやらその両方に出てくる男(後でリリとドーラと出会う男)が、エジソンの協力者(竹は電球のフィラメントに使います)であることが、何度か見ると分かりますが、初見では、ぶつぎれの物語が唐突にぽんぽん入り込んでくる印象を受けます。




その後も、何の説明もなく、双子の物語以外の、物語とも言えない断片が、入っては消えます。

その最たるものは、犬が動物実験によって、ヘッドギアのようなもので、恐らくは脳内に映像を流される場面でしょう。犬が研究所?を逃げ出して冒険するところまでも描かれる不思議な場面。
 
また、なぜか動物園のチンパンジーが、自分が捕まった経緯を語るシーンもあります。20世紀の始まりの雰囲気が、動物の目を通して、断片として放り投げられているような感触があるのです。


『私の20世紀』
突如説明なく入る
電球のデモンストレーション場面




そして、リリとドーラもまた、どこか動物めいた眼で、20世紀の始まりを彷徨います。

ドーラが高級宝石店で「ひと働き」したり、リリがシベリアの雪原に居ると、なぜか画面外から声が聞こえて、そりが来たり。全編が御伽噺のような雰囲気があります。
 
リリとドーラは、同じ女優が演じているので、一人の女性が、20世紀初頭のあらゆる場所に、様々に変身して飛び込んでいるような印象もあります。それもまた、御伽噺のような雰囲気に一役買っているのです。
 
そして、謎の男を介して、双子は近づいていきます。鏡の像のように分かれて、対照的な20世紀初頭を歩いた2人が再会した時、何が起こるのか。それは、是非観て確かめていただければと思います。


『私の20世紀』
革命家のリリ


この作品は、例えばゴダール映画のようなコラージュとは少し構造が違います。

断片が滅茶苦茶で意味が分からないわけではなく、よくよく考えると繋がっていて、それでも脱線しながら進んでいく感じ。老婆が様々な逸話を織り交ぜながら読んでくれる、童話のような雰囲気があります。
 
コラージュと言うより、穴の空いた服を様々な色や形の布でつぎはぎして埋める、手作りのアップリケのような印象なのです。




その穴とは、この映画に出てくる男たちの暗い姿とも言えるかもしれません。

発明に成功したのに憂鬱そうなエジソン。性蔑視的な思想で一世を風靡しつつも、若くして自殺する、哲学者オットー・ヴァイニンガー。そして、双子に翻弄される謎の男。

彼らの憂鬱や暗さを、双子がどんどん埋めて、つぎはぎだけど、色彩豊かな服に仕立て上げていくかのようです。


『私の20世紀』
詐欺師のドーラ


そして、それは、夢の論理とも言えるでしょう。様々な欲望があぶくのように浮かんで、微かな繋がりを見せては消えていく夢。
 
この映画自体が、双子の夢であり、二十世紀の人々の夢でもあるかのようです。そして、やはり何の説明もなく延々と続くラストの始原的な映像は、その夢のありかを私たちに示しているのかもしれません。




イルディコーは寡作ですが、2017年、久々に長編映画『心と体と』を発表し、ベルリン映画祭で最高賞の金熊賞を受賞しました。
 
食肉処理所に勤める男女が、毎晩同じ夢を見て、しかもその夢の中で、二人とも鹿になって一緒に過ごしていることに気づく、という不思議で魅力的なストーリーです。
 
『私の20世紀』よりはるかに分かりやすい、人とうまくコミュニケーションが取れない男女の、ちょっと風変わりなラブストーリー映画になっています。
 
しかし、全編が現代の御伽噺であり、誰かの夢を繋ぎ合わせたような、ふわふわした感触は変わりません。年を経て、より簡素になって、その夢のコアが鮮やかに色づいたように思えます。


『心と体と』日本版ポスター




彼女の映画は、分かりやすい物語を繋ぎ合わせつつ、夢の感触である不思議さと懐かしさを覚えさせてくれます。個人的に、以前「スナップショット」シリーズで、夢を扱った時、彼女の映画の感触を思い出して書いていました。
 
様々な夢が重ねられた、ちょっと不格好だけど、あたたかみのあるアップリケ。その民話のような、子供の夢想のような、ジグザグの物語の映画を、機会がありましたら、是非体験いただければと思います。





今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


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