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異郷は力をくれる -ドヴォルザークの交響曲第9番『新世界』について

【金曜日は音楽の日】
 
 
新しい場所で、新しく何かを始めること。それは、作品に力を与えてくれます。作者がその場所に開いた心で臨めば、素晴らしい変化をもたらすこともあります。
 
そんな異郷での新しい力を取り入れることに成功した音楽として、ドヴォルザークの交響曲第9番『新世界』を挙げたいと思います。
 
第2楽章や第4楽章のテーマがBGMに使われて有名ですが、それ以外にも聴きどころがあり、複雑な味わいの名品になっています。




第1楽章は、暗い序奏から始まります。そして、玉虫色に変化して、花畑を通り過ぎるようなエスニックな旋律も飛び出します。くるくると曲調が変わった後、パワフルな歯切れ良い金管の合奏で終わります。
 
第2楽章は、やはり暗めの和音から、ゆったりした、しみじみとノスタルジックな旋律が木管によって奏でられます。
 
後に歌詞をつけて『家路』という曲にもなったこの名旋律。多分、学校や公共機関で「もう帰りましょう」というナレーションと共に聞いている方も多いでしょう。その後は基本的にはこの雰囲気のまま、緩やかに進んでいきます。
 
第3楽章は、弦の一撃から、木管の短い鳥の啼き声のようなアクセントとティンパニを交えて、緊迫した始まりです。そこに収まることなく、民族衣装をまとった踊りのような、晴れやかな旋律も飛び出し、全体的に華やいだ雰囲気です。
 
第4楽章は、パワフルな弦の合奏から、有名なテーマが、金管によって高らかに鳴り、弦がザクザク刻んで、そのパワーと哀愁を補強します。 


このリズミカルな弦と高らかな金管の組み合わせによって楽章は進んで、全体での合奏で、曲は終わります。




この曲で私が好きな演奏は、ラファエル・クーベリックがベルリン・フィルを指揮した、1973年のグラモフォン盤です。


艶々した金管も弦も美しく華やか。帝王カラヤンが振ると、もう少し重くなるのですが、クーベリックは小回りが利いて、ベルリン・フィルからエキゾチックなうまみを上手く引き出しています。
 
この作品でよく挙げられる名盤は、イシュトヴァン・ケルテスがウィーン・フィルを指揮した1961年のデッカ盤ですが、個人的にそちらはちょっと薄味に感じてしまいます。
 
私はドヴォルザークには、濃厚でエスニックな味が欲しい。クーベリックはチェコ出身であり、ドイツの重厚なオーケストラを指揮することで、同郷のドヴォルザークの音楽的な資質に近づいているように思えるのです。




ドヴォルザークは、1841年チェコの田舎の村生まれ。父親は肉屋であり、音楽好きなのもあって、村の楽団やお祭りで演奏したりしていました。
 

アントニン・ドヴォルザーク


音楽の才能を見出され、プラハの音楽学校でドイツ音楽流の教育を受けます。卒業後は、楽団や個人レッスン等で食いつなぎ、作曲活動に勤しみます。
 
そして、1874年にオーストリア政府の奨学金に作品を応募し、奨学金を獲得。審査員の一人だったブラームスにも絶賛され、親しい交流も始まります。
 
その後、『スラブ舞曲集』や『スターバト・マーテル』といった名曲を書きあげ、ヨーロッパ中に名声が広がり、巨匠と称賛されるようになりました。




そんな折、1891年にニューヨークから一通の手紙が届きます。ニューヨーク・ナショナル音楽院の院長になって、演奏会も開いてほしいという要請でした。
 
最初は辞退したものの、この音楽院が人種やお金に囚われない、あらゆる人に開かれた学校であることを聞いて興味を持ち、何よりも高額の報酬により、アメリカ行きを決断します(この時のドヴォルザークは、6人の子供を育てていました)。
 
海を渡って院長に就任し、実際に講義もしつつ、1893年に作曲されたのが、交響曲第9番『新世界』です。




『新世界』には、確かにアメリカの影響があります。第2楽章の『家路』のメロディは、黒人霊歌を思わせます。音楽院の教え子の中には黒人の学生もいたらしく、彼らから色々と吸収した面もあるのかもしれません。

 


といっても、じゃあこの曲が「アメリカ的」かというと、そうとも言い難いのが面白いところです。
 
おそらくそこには、ドヴォルザークのスタイルが影響しています。彼の音楽は、とにかくめまぐるしく雰囲気が変わるのです。
 
五臓六腑を抉るような沈鬱な雰囲気で始まり、急に激昂したかと思うと、雲が晴れ、花畑で陽気に踊る。このような、気分屋とも言える展開が続きます。
 
交響曲なら、単一の楽章でテーマの変奏をあまりせず、メロディもどんどん変化させていきます。ブラームスが「ドヴォルザークのごみ箱を探せば、名曲が出来上がるだろう」と言った話も伝わっています。
 
それゆえに、統一された「アメリカ的」という感触があまりないのです。




『新世界』でアメリカ的と言えるのは、部分的な表面上の雰囲気なのでしょう。
 
例えば第4楽章の金管の旋律は、大都会を走る汽車、あるいは、アメリカで人気だったブラスバンド音楽を思わせます。有名なスーザは当時大活躍中で、『新世界』の3年後に名曲『星条旗よ永遠なれ』を作曲しています。
 
つまり、黒人霊歌であれ、ブラスバンドであれ、アメリカで実際に聞こえてくる音楽を、曲の要素の一つとして、彼なりに処理したように思えるのです。




そして、多様な主題をどのように展開していくかにおいて、根本にあるのは、バッハからベートーヴェン、ブラームスに至る、重たいドイツクラシック音楽の伝統です。
 
ドヴォルザークはよく「国民楽派」と呼ばれますが、スメタナやチャイコフスキー、シベリウスも含めて、その多くは、ドイツ音楽の伝統の上に、民族的な風味を加味したものでした。

彼らの音楽が、ある意味「疑似民族音楽」風味になってしまう部分は否定できません。
 
しかし、私はそれでも、そうした音楽が好きです。
 
そこには、「今のこことは違うどこかを現出させる」という、音楽の力の一つが顕れているように思えるからです。本当にある国や特定の民族ではなく、架空の、夢のような場所を立ち上げる力です。


ドヴォルザーク『スラブ舞曲集』
クーベリック指揮グラモフォン盤の
アルバムジャケット


ドヴォルザークは、アメリカで実際に聞こえた音楽を取り入れることで、自分の音楽にも新たな風を送り込みました。
 
今までならスラブ風の村の踊りやら、長閑な風景やらで終わっていた音楽が、アメリカ風の旋律をまとうことで、どことも認識できない、でも親しみやすい、二つの味を混ぜたカクテルのように不思議な魅力に溢れた音楽になりました。
 
それができたのは、ドヴォルザークが心を開いて異郷を素直に受け入れたからでしょう。
 
そうすることで彼は、どこにもない新たなエキゾチックな場所の音楽を創りあげた。そんな場所こそが、タイトルにある『新世界』と言えるのかもしれません。



今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


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