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【創作】夜のバスで【スナップショット】


 
 
遅くなってしまったな
 
うん、塾の補習に付き合ってくれて
ありがとう
明日は仕事じゃないの?
 
大丈夫だ
 
夜景がきれい
バスの夜景って
不思議な感じがする
電車で見る夜景と違う気がするんだ
心の中にすっと入り込んでくるようで
どこか安心する
 
きっとそれは
道の匂いがするからだろう
電車は線路に沿って、
線路は人が歩く道から切り離されている
だから街の灯りも
遠くに見えて
幻のように見えるんだ
でもバスは
電車よりも狭くて
夜の道の空気が直接流れ込んでくる
君はそれが安心するんだね
 
うん、きっとそう
 
それは興味深いね
僕は若い頃それが怖かった
まるで夜の底に吸い込まれていくように
感じていたんだ
まるで自分が道の匂いの
人々の生活の中に
取り込まれてしまうようだ
そうなると
自分の人生を失ってしまうように
思えたんだ
 
若い頃の父さんにとって
人生はどういうものだったの?
 
きっとそれはね
電車から眺める美しい夜景のように
まばゆく輝くもの
輝いて、自分の痕跡をこの世に残したら
自分は彗星のように消えていく
人生とは
そういうものであるべきだと思っていた
そういう人生を送りたいと思っていた
でも、君の母さんと結婚した時
そういう考えはもうやめようと思った
 
母さんのことを愛していないの?
 
どう言ったらいいかな
愛しているかと聞かれれば
そうだと答えるよ
でも、心の奥底では
それは妥協だと分かっている
頭の中のある部分が
冷めてしまっているんだ
彼女の欠点が嫌いということではないよ
でも、僕が夢見ていた愛
つまりとても親密で
人生を賭けるような愛ではないし
僕が夢見ていた人生
つまり燃え尽きるまで
この世に痕跡を残す生き方を
諦めることになることも分かっていた
 
母さんも父さんと結婚したのは
妥協だって言ってたよ
一生一人で暮らすのが嫌だったからって
 
それは母さんの本音だろうね
僕もそんな風に思っているところがある
二人ともそう思っていて
欠点もまあ許容できるレベルだから
それ程喧嘩もしない
 
悲しくない?
本当は愛し合っていないのに
一緒に生きるのは
 
基本的には悲しくない
幸運だとも思っている
でも、時折、ほんの時折
こんな人生ではない何かを
夢想することはある
そこには、自分が心から信頼できる
愛する人がいて
心から望むことをして生きて、死ぬ
そんな人生
子供の夢想だね
でも、そんな夢が無かったら
人は何で生きていられるんだろう
きっと多くの人は、
何かに夢中になって熱狂することで
そういうことを忘れて
普段は生きているんだろう
でも僕は熱狂できない
そして、こうやって夜のバスで
人々の疲労と体臭の交わった
生活の匂いを感じたりすると
自分の若い頃を思い出すんだ
 
私もそういう風になるのかな
 
生き方というのは遺伝しない
環境で多少変わることはあってもね
君にはまだ夢を求める力がある
僕がこんな人間でも
君の人生は全く別だし
君が真に充実した
人生を送る可能性は
いつだってある
大丈夫、不安に思わなくていい
 
私のことは愛していない?
どんな時も一緒にいてくれる?
 
それは難しいね
僕たちは親だろうと子だろうと
最後は一人になるから
でも、君のことは
善良な人間だと
心から思っている
君の善良さは
必ず君自身の人生を切り拓いてくれる
その言葉だけを忘れずに
君が生きてくれたら
僕はそれ以上、自分の人生に望まない
 
今は、消えないでね
 
大丈夫










(終)


※【スナップショット】では
ワンシチュエーションでの
短いダイアローグや詩を
不定期に載せていきます。

※過去の「スナップショット」置き場



今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。


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