見出し画像

素直な心のうた -小説『車輪の下』の美しさ


【水曜日は文学の日】
 


以前『三四郎』について、ある種の途上で移行期だからこそ小説として美しいということを書きました。それとは別に、不定形な素の姿だからこそ、美しい青春小説もあります。
 
ヘルマン・ヘッセの高名な『車輪の下』は、そんな魅力的な小説の一つです。




田舎の秀才少年、ハンス・ギーベンラートは、神学校に優秀な成績で合格します。

しかし、厳しい学校での勉強や、反抗的な少年ハイルナー等、周囲の影響を受け、徐々に学校についていけなくなります。ドロップアウトして、何とか故郷での再起を図りますが。。。という内容です。




おそらく、彼の長篇小説の中でも最もよく読まれている、1906年の長篇二作目。この作品は他のヘッセ作品に比べて、やや彼の特徴が薄い作品でもあります。
 

若き日のヘルマン・ヘッセ


ヘッセの長篇小説は、一言で言うと、清浄な心と、デモーニッシュな心の葛藤です。それは、二人の人物の対比によって、描かれていきます。前者の多くは語り手もしくは主人公です。
 
そして後者の「デモーニッシュ」というのは、過度に情熱的で破壊的な心。かつ破滅的で、人間の社会に溶け込めずに放浪する人物の心です。そんな心の持ち主によって、清浄な心の持ち主も変化して成熟していきます。

 『春の嵐』の、「私」とムオト、『デミアン』のシンクレールとデミアンには、濃淡と混交度合いはあれど、この二つの要素があります。
 
前者の要素が強くなれば『シッダールタ』に、後者が強くなれば『荒野のおおかみ』になります。そして、こうした葛藤の頂点に『知と愛』のナルチスとゴルトムントの関係があります。




多少図式的ではありますが、こうした葛藤の合間に、精密で瑞々しい自然描写が入ることで、ヘッセの小説は、ある種の民謡のような散文詩となります。

それはまた、ゲーテから、ケラー、シュティフター、シュトルムと脈々と受け継がれた、ドイツの教養小説の伝統を受け継いでいると言えるかもしれません。

人物達の葛藤(ドイツ観念論ヘーゲルの「弁証法」です)による成熟を経て、彼らの属する市民社会も発達していく、そんな過程を描く小説です。




しかし、このような葛藤は『車輪の下』には、あまりありません。
 
主人公ハンスは、清浄や無垢と呼ぶには、自我を確立していません。ハイルナーは、デモーニッシュな人物ですが、すぐに退場してしまいます。
 
ハンスのドロップアウトも、教養小説的な「放浪」とは違います。放浪による孤独と諦念を経て、再び良い社会を築くために、大人になるわけではない。

というか、ハンスはちゃんと働いて、しかも職場に馴染めません。寧ろ、この小説にあるのは、教養小説と市民社会からの「逸脱」と言うべきでしょう。




そして、それゆえに、『車輪の下』は、不思議な美しさを得ることになります。
 
ハンスは徹底して素直で受動的なゆえ、様々な印象的な場面が浮かんでは消えます。

試験後の川辺の釣り、「僕には女がいるんだ」と笑うハイルナーの声、りんご酒と年上の女性。

こうしたものが、決して何かの成長の材料にならずに、きらめいては通り過ぎていく。
 
そして、物語が最後に行きつく、森と月夜。

それは、市民社会から逸脱した場所の、涅槃のような不気味さと安らぎを端的に表しています。

私はヘッセの精緻な自然描写よりも、簡潔で象徴的なこうした場面の方に惹かれます。そして、このような場面は、ヘッセの作品では案外、稀な気がするのです。




この作品は、ヘッセの自伝的要素がかなり強いと言われています。ヘッセ自身も神学校に入り、ハイルナーのように寮から脱走し、最終的には退学し、時計工場で機械工として働いています。
 
詩人になりたいという強い思いと、母親の支えにより、何とかこの危機を脱します。そして、本屋に勤めながら、詩を自費出版し、作家への道を探ることになります(『車輪の下』のハンスに母親がいないことは、恐らく重大な意味があります)。
 
そうした要素ゆえなのか、ヘッセ本人は、この作品の出来について不安を覚えていたのは興味深いところです。

デビュー作の『ペーター・カーメンツィント(郷愁)』に比べて、覇気がなく、テーマは退屈で失望させるかも、と出版社に宛てた手紙が残っています。
 
素の自分を出し過ぎてしまったという、恥ずかしさがあったのかもしれません。実際、この作品に出てくるハイルナーやハンスの像をもっと深堀することで、後の名作群は生まれます。

逆に言えば、まだ生の状態の作家の素顔が、透けて見えるのです。




その意味で『車輪の下』と比較したいのは、二歳年上で、同じドイツの小説家トーマス・マンの『トニオ・クレエゲル』です。


トーマス・マン


芸術家を目指し、良き市民の幸福に背を向ける青年トニオが主人公の、マンの自伝的小説です。市民社会からの逸脱と言う意味で、『車輪の下』と同じ、裏返しの教養小説のようなところがある作品です。
 
破滅的な『車輪の下』のハンスと違い、トニオの方は、一応一貫して安定してはいます。でも、何かに満足することなく、いつも憂鬱で、自分が背を向けたものに、どこか未練があります。
 
それは、マン自身の偽りない気持ちだったのでしょう。その思いが溢れるのが、幻のように美しいラストです。

『車輪の下』のこの世を超えたラストと比較すると、二人の資質の違いと、それでも共鳴する、若き日への思いの強さに、胸を打たれます。
 




そして、この二人がここまで素直に自分を曝け出すことは、その後、あまりありませんでした。『車輪の下』は1906年、ヘッセが29歳の時の作品。『トニオ・クレエゲル』は1903年、マンが28歳の時の作品です。
 
二十代最後に自分自身を詰め込んだ作品を残した後、二人は、1914年の第一次大戦から第二次大戦に至るまで、戦争と社会の崩壊を目の当たりにします。そして、自身の作品を深化させ、人間とは、社会とは何かを思索していくのです。




『車輪の下』は複数の訳が出ています。私がお薦めしたいのは、ブレヒトの全集訳でも知られる岩淵達治訳。昔は旺文社文庫でしたが、今はkindleで読めます。


他の訳よりも、ハンスたちの言動が非常に大人びていて、旧制高校やちょっと耽美な古いヨーロッパの寄宿学校の香りがします。実際、ハンスは当時ではエリート中のエリートなので、大人びた言動も決して違和感がありません。

この訳が良いのは、人物が口ずさむ歌。節回しが絶妙で、実際に日本語で歌えます。流石はブレヒトの翻訳者といったところです。




その歌はまた、ヘッセ自身の心から洩れた、少年時代を振り返る素直な歌でもあります。

それゆえに、多くの人の心に届き、読者に自身の青春を振り返らせる鏡のような、美しい詩となったのでしょう。そうした鏡となる作品を持つことは、生きることと同じくらい、喜びに満ちたものだと思うのです。



今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


こちらでは、文学・音楽・絵画・映画といった芸術に関するエッセイや批評、創作を、日々更新しています。過去の記事は、各マガジンからご覧いただけます。

楽しんでいただけましたら、スキ及びフォローをしていただけますと幸いです。大変励みになります。

この記事が参加している募集

海外文学のススメ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?