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「他人と比較」をするかどうかは自分で選ぼう

皆さんおはようございます!昨日までの日記はGW前に書いたもので、今日はGW明けに書いたものです!
GW中に撮った動画が物議も醸さずにひっそり「触れたらあかんやつ、、、?」となっていたり、そんな中でも、触れてくれたり、
「最高!」とぶっ刺さってくれていたり、両極の反応を見せていてありがたい織田です!(こういうアートが好きです!)

■他人が決められないこと

アートの授業を高校生にする中で生徒たちにいう言葉として
「大人もあっているとは限らない」ということと、
がゆえに「最終的に自分が納得するために真善美を磨くこと」を伝えています!

真実:何が本当だと思うか。何を信じるか
善悪:何が良くて何が悪いか
美学:何を美しいと思うか

この3つは誰かに言われて決まるものではなくて、自分が決めるもの。

善悪に関しては法律とか規律などもありますが、
それらが正しいかどうかというのはこの人間社会という前提でのみの話であって

地球環境が崩れ、戦争をする人間そのものが正しい補償なんてそもそもないと思っていて、
がゆえにそれら含め善悪は最終自分で判断するものだと思っています。

■比較しなくてもいいところで比較しない

そんな中、やはりまだまだ「他の人の方が」と言って比較をすることって結構あると思っていて、
日本は単一言語島国だから特にそうなりやすいと感じていますし、

織田もこう見えて、周りの目とかって、なにも意識しないと、勝手に周りの目気にしてしまったりしています!

そしてそんな中、
真善美のそれら3つと併せて最近思う+自分にもいい聞かせているのが、
「すごい人がすごいかどうかもその人が判断すればいい」
「会ってもいない人の判断は仮説以上のものにはならない」と思っています。

AIで情報過多社会で嘘もどんどんリアル化して、何がリアルで何が嘘かもわからない中で、会ってもいない人の判断なんてできないなーと思います。

そしてすごい人がいたとしても比較する必要はなくて、
もしそれに憧れたり、興味を持ったり、すごいと思えたなら、その時に初めて比較をしたらいいし、
比較をしなくてもただすごいと思うのもいいし、
会いに行くもいいし、

どうせ自分より上はたくさんいるんだから、
比較はまずは自分の昨日とか今日と比較すればいいし、

本当に高めたい能力や上手になりたいことや、
目的、目標があるなら、他者や一流や一番と比較したらよくて、

比較も「手段」なので使い分けたらいいと思っています。

■目的があるなら徹底的に比較と行動を!

逆に自分が憧れたり、なりたいと思うことがあったり、
目的などがあるならば!!
その時は比較を徹底的にした方がいいと思います!!

そして一流を真似することと、
もしそれに勝ちたいなら、
それに勝てるならその方向で戦い、
勝てそうになくてもやりたいならその方向で戦ったり、
勝てそうになくても別の方法や領域で勝つことを考えたり、
仲間にする方法、両方勝つ方法などを考えたり、

でもその前には比較して、何がどう違うかをみてからが判断する。

「あの人の方がすごいから」
とか損な方向にしか働かない比較をするのではなく、

・まずそれを比較する必要があるのか
・もし比較する必要があるなら、違いが見れているのか?
・もし比較したなら、じゃあどうする?

の3点につきると思っています!

■織田自身は、一流とその解像度を、もっと

日記では自分自身にも言い聞かせることが多く、
織田の場合はまず「不必要な比較」はしないですが、

比較や分析が甘かったり、
一流や一番と比較することをかまけたり、
一流と二流の違いまで見切らずに決めたり、

などの点では甘さがあったことが過去もあったので、
この点は引き続き言い切りたいと思うし、

昔はもっと会いたい人がいれば
本の著者だろうと有名人だろうと、
なんとかして直接会いに行ってたのに対して、
最近そういうのしていないなーと思っていたので、

32歳、まだ背もたれつけてる場合じゃないので、
またワンギア上げていこうと思います!

ということで今日もみなさん素敵な1日を!^^


アート、教育、探究、子育て、生き方。アーティストとして、スクール長として、本音しか書きません!