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ある兄妹の物語

物語とは事実に基づいたメタファーである。
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ある村に、二人の小さな兄弟がいた。
とても貧しい暮らしゆえに、兄は街に出稼ぎに行き、妹は家に残った。
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<妹の物語>
彼女は、一人で家を切り盛りしなければならなかった。
両親は農作業で家を空けることが多かったので、朝、ヤギに餌を与えることから始まり、晩御飯の後片付けまですると、夜も更け、クタクタになって寝床に着くのであった。
そんな日々の中で、唯一の愉しみといえば、聖書を読むことだった。
まだ幼い彼女は、読める字も少なかったので、正確にその内容を把握することは出来なかったが、元来、持て余すほどの空想力があったので、その登場人物たちの声色や表情まで克明に思い描くことができた。
朝起きて、一節を声に出して読み、夜まどろみの中で、また一節を読んだ。
12歳を迎えた誕生日。過酷とも言える日々は限界を迎えようとしていた。両親は優しさを向けることはなかった。
ある朝、彼女はこう思った。
「もっと真剣に聖書を読もう。そうしたら、次の誕生日までに、神様はきっと私を救ってくださるはずだ」。
そうして、今まで以上に熱心に読んだ。冬の間は学校に通えたので、人並み以上に文字を覚えた。そして、絵を描くことで、空想をより確かな感覚にした。「何か」が、過剰に突き動かしているのを、疑問に思ったりもしたが、次の誕生日にはきっと救われているだろうと信じて、日々の過酷な雑務をこなし続けた。
そして13歳の誕生日。朝から大雨が降っていた。
いつものようにヤギの世話をし、不機嫌な両親の機嫌をとって、朝ごはんを作り、昼ごはんを作り、郵便物を届けて、夜ご飯を作り、布団のシーツを整え、両親が寝静まった後、部屋に戻り、髪をとかして、聖書を前にして祈った。
「私は真剣にあなたに向き合いました。明日の朝、答えを聞かせてください。世界が変わりますように」
そしてロウソクの炎を消し、目を閉じた。
 
朝。
さらに強く雨が降り続いていた。
彼女は、世界が何も変わらなかったことを知った。
ボロボロになった聖書を手に取り、窓を開けて、外に放り投げた。
それは雨音を遮って、彼方へ飛んでいき、灰色の景色が、全てを包み込んだ。
 
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<兄の物語>
彼は、長い間、街へ出稼ぎに出ていた。
そして、叔父の家の屋根裏に居候しながら、新聞配達で暮らしを支えていた。
彼はおしゃべりが達者だったので、束から見える一面記事を見て、面白おかしく宣伝することが出来た。「首相交代」「株価大暴落」という事実のみの味気ない文面に、彼の一人芝居を加えたものだから、新聞は飛ぶように売れた。

そんな暮らしが数年経ったころ(彼は16歳になっていた)、「修復士募集/年齢問わず」という記事を見つけた。どうやら、教会などに飾られている祭壇画の修復士が足りないらしい。夕方になって、その工房を訪ねてみた。
その工房は活気があった。そこはまさに別世界だった。「自分の語る物語なんて、小さなものだった・・」と理由もなく恥かしい気分になった。
現れた工房の親方は、ライオンのような銀髪と太鼓のような腹を揺らして、「お前は絵心があるのか?」と訪ねた。「はい、期待に答えられると思います」と彼は答えた。「よし。まずは画布の裁断からやってくれ」と親方は無愛想に答えた。
実際に彼は、絵心と呼べるようなものはなかった。昔、妹に鳥やウサギの絵を描いて喜ばせていた程度のものだ。それも「喜ばせるため」に描いたのであって、絵を描くことに何の思い入れもなかった。
彼の心の真ん中には空虚さが広がって、我が物顔に居座っていた。最初から、何もなかった。それだからか、修復という作業が性に合ったようだ。在るものを治す。最初に在るということが、なにより安心できた。
彼はメキメキと力を上げた。親方も先輩たちも一目をおいていた。手取り金も増えたので、故郷に仕送りを増やした。短い手紙を添えたが、絵筆はスラスラと運ぶのに、なぜか文章を書くことには時間がかかった。伝えたいことを文章に表現する力は皆無だった。伝えたいことがあるのかどうかさえ、わからなかった。
 
数年後。
彼は、ある教会で発見された宗教画の修復を手がけていた。
それはキリストが十字架を担ぎながら歩く場面だった。周りには、たくさんの民衆がそれぞれに全身全霊で嘆いていて、兵隊の顔は何も表情がない。中世の画家たちが描いた、ありふれた題材ではあったが、彼はキリストを描けるチャンスが来たことに、ただならぬ感動を覚えた。そして取り憑かれたかのように修復に励んで行った。
特に力を入れたのは、嘆く民衆の中に紛れた家族だ。父母の傍に、幼き少年と少女がいた。その部分は、かなり絵の具が剥げ落ちて、見るも無惨な状態だったが、彼はは「ここだけは間違いなく完璧に再現できる」と確信した。そのような感覚は今までになかった。彼は初めて、自分のために修復をしようと決意した。これを描きたいと。それはとても崇高な想いだったのだと、ずっと後になって気づくことになる。
 
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<妹の物語>
両親に先立たれた彼女は、とある薬師の男と結婚をした。のんびりとして優しい物腰だった。彼の両親も温かく彼女を迎え入れてくれた。彼女は生まれて初めて、ささやかな安息を手にいれた。
収穫祭の日、新しい家族とともに、大きな教会のミサに参加した。そこには立派な祭壇画があった。十字架を背負ったキリストの絵だった。その神々しさは心を打つものがあった。
祈りを終えた後で、義母は、彼女に向かってこう囁いた。
「あの民衆の中に描かれていた女の子。そう、聖書を抱えてた子よ。なんとなく、あなたに似ていると思ったの」。彼女は、再びその祭壇画を見た。ちっとも似ているとは思わなかった。だが、「そうですね」と答えた。義母の優しがが嬉しかったからだ。
遠くで賛美歌が聞こえた。それはとても儚く美しい歌声だった。
 
(おわり)

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